第3話 幼馴染のクラスメート
教室に着くと、まだ生徒はまばらであった。
授業開始十五分前。高校二年生になって三ヶ月ほど。最近ではチャイムが鳴っている間に教室に駆け込む生徒もあとを絶たなくなっている。
草は椅子に座ると、何の気なしに教室の前方に視線を漂わせる。
すると楽しげに話す二人の女子生徒の姿が目に入る。
「昨日イマジーに上げてた男の人誰?」
「あー、実は彼氏。先週から付き合い始めたんだ」
そう答える女子生徒の顔には満面の笑みが浮かんでいた。とても幸せそうな顔である。
「えー、おめでとう。この学校の人?」
「うん。実は部活の先輩で……」
そこまで聞いたところで、少し恥ずかしくなってきて草は窓の方へ視線を逸らした。
外は梅雨開けということもあり、初夏の訪れを感じさせるように木々が青々と茂る様子が確認できる。また、暑い季節がやってくる。嬉しいような、そうでもないような微妙なかんじである。
それにしても恋愛か。
当然草も興味津々だ。桜とそういう関係になりたいと思い続けている。しかし、桜はこごみ高校でファンクラブがあり、男子の視線を一身に集めているらしい。木の芽高校にまでも桜の噂は流れてきており、憧れている人や恋している人がいるという話を聞く。
単純にライバルが多いし、きっと強敵も数多くいる。だいぶ不安になってくる。
「うーん、どうしたものかな」
「なにがだ、草?」
「うわっ」
急に話しかけられて思わず声をあげてしまう。
そこには幼馴染でクラスメートの秋野麟が立っていた。百八十センチを超える長身が座っている草を見下ろす。
非常にうっとうしい。
「そんなに驚かれるとは。さては桜さんのことでも考えてたか?」
草は苦々しい顔で押し黙る。
「あれっ、もしかして当りか。適当に言ったんだが」
普段はアホなくせにこういった勘だけは無駄にいいのが無性に腹が立つ。
それに、ここで正直に認めるのは癪である。
「ち、違う。さっきイマジーっていうものの話をしてる子がいたんだが、なんだろうって考えてたんだ」
すると、麟はあーと頷いた。
「ソーシャルネットワーキングサービスのことだな。写真や動画を上げることができて、他者と共有することができるアプリだ。まあ、携帯を持っていない草には無縁のものだろうが」
「あー、そういうのがあるのは知ってるよ。たしかに無縁だな」
草は携帯を持っていない。
それは幼い頃の出来事に由来する。草の両親はスマホのながら運転をしていたトラックにはねられて亡くなった。
そんな過去の経験から草は携帯を持たないこと強く誓い、いまだに携帯を持っていないのである。それによって、いろいろと会話に入れないことも多く、連絡も多少不便だが、いまのところなんとかなっているため、草はそのことを大して気にしていない。
「それにしても、ネット上に自分の情報を上げるのってなにが楽しいんだろう」
「さあな。なにかしら面白さがあるんだろ。俺もやってないからわからん」
「それもそうか」
麟はスマホ自体は持っているが、ほとんど持参していない。それは、草と麟の幼馴染であり、麟の彼女のあやめのためである。彼女は心臓が悪いため、その身体を心配してかあやめに会いに行くときにスマホを持たないようにしているそうだ。そして、普段も持たないことが多々ある。一体何のために契約してるのか、とても不思議である。
「だけど、俺たちは現代では少数派だから、逆に驚かれる方なんだけどな」
「そうだなあ。たしかに、このクラスのほとんどのやつがそれに類するものをやってるんだもんな」
草や麟の知らない場所で彼らはつながっているし、お互いの行動も把握している。
実際に会わずとも、そして話さずともどんな生活を送っているのかを知ることができるのだ。なんとも奇妙なものだ。
「しかし、草。お前も大変だな」
「なにが?」
「こんなにスマホが普及している世の中なのに、好きなタイプの女性が画面に依存しない人間、だろ。桜さんがいなかったら好きな人すら見つからなかったんじゃないか」
はははと笑う麟。
「いや、そんなことないだろ。うちのクラスにだってそんなにスマホに執着してない人だっているはずだ」
そう、うちのクラスにだっているはずだ。女子の顔を思い浮かべていく。
だが実際考えてみると知っている限りではあるが、そんな子はクラスに二、三人しかいないことに気づく。なんだか少し悲しくなる。
「そうだ。お前は端から見ればだいぶアブノーマルなわけだ」
「いや、お前も大概だろ」
「俺はあやめがいるから別にいいんだよ」
そう言って、にっと笑う。無性に腹が立つ顔だ。
その余裕をへし折ってやりたい。だが、草にはそんな力はない。
「まあ、いいじゃないか、草。桜さんの好きなタイプは満員電車で携帯をいじらない人だろ。お似合いじゃないか。別に万人受けしなくても、誰か一人いい人を見つければいいんだ」
笑顔でぐっと親指を立てた。きっと頭の中ではいま、いいこと言ったなと自画自賛しているに違いない。
ただまあ、他の人から桜さんとお似合いって言われるのは嬉しくないわけではない。思わず口角が上がる。
「なんかその顔気持ち悪いんだが」
「うるせー」
苦々しい顔の麟を小突く。そういうのは思っても言わないものだ。もっと易しくして欲しいものである。言葉とは刃なのだ。時としてぐさりと胸につきささる。
「ところで今日あやめの退院日だからな。忘れるなよ」
だが、麟はそんな傷ついている草のことなどおかまいなしに話題を変える。
まあ、今日の麟にしてみれば学校よりも何よりもあやめの退院が大切なはずだ。それは、幼馴染の草も一緒だった。
草と麟とあやめ。三人は小学一年生の頃からの腐れ縁だった。
たくさん遊んだし、草と麟はあやめが入院したときには何度も会いにいった。
「忘れるはずないだろ。僕たちは幼馴染だ。それは世界がどうなろうと、機械による反乱が起ころうと、変わらない事実だ。幼馴染の退院祝いを忘れるなんてことあるはずがない」
「たしかにそれは愚問だったな」
麟は、満足げに頷くと席へ戻っていった。ちょうどそのとき、教室にチャイムが鳴り響いた。
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