第2話 満員電車と凜とした少女

 草が通う木の芽高等学校は、家から電車で十分程度と近場にある。しかし乗客がともて多い路線で登り方面のため、通学するときいつも電車内は満員だった。


 今日の草の立ち位置は電車の扉の真ん前。

 後ろの乗客の持つスマホが電車が揺れるごとに草の背中をつつき、イライラが募っていく。しかし、満員電車の中では身動きが思うように取れず、その乗客と距離を取ることは叶わない。

 扉のガラスに映るそのスマホの使い手である中年の女性は必死にカツカツと画面を連打している。なにをしているのかまでは分からないが、その視線は画面に釘付けになっており、まるで機械に支配されているみたいである。まわりの人間に注意を払うことなく、ただ画面の中の世界に閉じこもる。

 いま電車の中には多くの人がいるというのに、他者に意識を向けている人は驚くほどに少ない。まるで蛹のように、それぞれがそれぞれの殻を形成しているのだ。こんな大人ばかりで果たしてこの先この国は大丈夫なのだろうか。ひどく心配になる。


 あの反乱が起こったときは、スマホの位置情報が悪用されたということもあり、多くの人が手放したり、代替の機器を利用したらしい。

 しかし反乱が終焉にいたり、日常に戻ったことで、また人間の多くは機械、その中でもとりわけスマホの画面の中に捕らわれてしまった。以前と同じ光景が形成されていく。


 許されるのであれば、後ろの女性のスマホめがけて思いっきり肘鉄を食らわせてはたき落としたいものだ。だが、それをやってしまうと自分が捕まってしまう。だから自重せざるをえない。

 どうにかして、電車内では通信が完全に圏外になるように設定してしまいたいものだ。そうすればきっと、スマホを使う人も減るのではないだろうか。いや、しかし通信環境になくともダウンロードしたものを見たり読んだりすることはできるわけだ。そうなると法律で満員電車内での電子機器使用を完全に禁止でもしない限り、心の平穏が訪れることはないのだろうか。


 あれやこれや考えてもみたが、どうにもこうにも自分一人の力では解決できないことを悟る。

 思わずはあ、と小さくため息をつく。それから、何の気なしに右後方を向き、そして目を見張る。草の視線の先には凜とした黒髪長髪の少女が立っていた。思わずドキリとする。

 その佇まいはとても美しかった。両隣の人が画面に夢中になり猫背になっていたこともあり、綺麗さが際立つ。


 その少女と視線が合った。すると、ぱっと口が開き、にこりとこちらに微笑んでくる。草はそれに小さくぺこりと会釈を返した。

 彼女の名前は染井桜。草と同じネイチャーの一員でこごみ高等学校の生徒会長である。現在高校三年生で一つ年上。そして、草の思い人だ。


 桜を見てどきりとしたのはその立ち姿が美しかったのもあるが、既視感を覚えたというのが実は一番の理由だった。

 桜と草の出会いは、今日と同じような満員電車の中だった。立っている位置も一緒。草の後ろにスマホをいじっている人がいるのも一緒。スマホを草の背中に当ててきていたのも一緒。唯一違うのは、あのときは初対面で今回は知り合いだったこと。

 

 草はふと過去を思い返す。

 初めて桜に会ったとき、胸が高鳴った。だが、声をかけられるはずもなく、その電車で見た、見られただけの関係で終わるはずだった。

 でも、そうはならなかった。運命のいたずらにより、草は逃げ込んだ廃ビルで桜と出会い、共同生活を送ることになった。そして、時間を共にすることでより桜のことを知ることができ、思いは一層高まったのである。

 ネイチャーの他の人たちは残念美人だとか口を開かなきゃ完璧とだとかブラコンを極めし者とか好き放題言っていたが、ちょっと風変わりなところだって桜の魅力だと草は思っていた。


「次は木の芽、木の芽。お出口は右側です」 


 場内アナウンスが流れた。そろそろ降りなくてはならない。この逢瀬は終わってしまう。名残惜しいが学校に遅れるわけにはいかないのでしょうがない。


 扉が開き、僕は電車から降りて数歩歩いたところで振り返った。

 桜は笑顔で身体の前で小さく手を振っていた。

 草も気恥ずかしさを感じながらもそれに手を振って返した。なんだかこういうのは付き合い立てのカップルみたいでとてもいいなと思った。

 スマホで背中をつつかれたことなんてすっかりどうでも良くなった。これで今日一日を最高の気分で過ごせそうだ。


「よし」


 草は力強く拳を握ると、意気揚々と学校へ歩き出した。

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