第37話 亀兎、ラビアスに帰る。


 だけどそれは同時に寂しい人生になるだろう。ミズキや侍女長さん、まだ幼いあの深紅の瞳の少年までもをこの世界から送り出してもなお、俺は生き続けなくてはいけない。そうなったとき、俺はまだこの国を守る誓いを守れるのだろうか。


 俺にとって一番大切なのは、ミズキだ。ミズキが大切だというから、ラビアスを守りたいと思った。俺にとって祖国でもない国が大切なのは、それだけの理由だ。薄情かもしれないけれど、突き詰めて考えればたったそれだけのこと。



「有難い申し出ですが、お断りします」


「ですよね」



 死神さんはフッと笑う。寂し気だけどどこかホッとしているような笑い声に胸が苦しくなる。結局この神は優しさを捨てきれない。やり方には不満があるけれど、俺をこの世界に送り込んだのも、この世界の生命が無駄な死を遂げないためだろう。



「分かっていたんですね」


「それはもちろん。カメトさんは聡明な人ですからね」



 ケラケラと笑った死神さんは、プツリと言葉を切った。辺りを吹く風も一層穏やかになって木々を撫でる。



「カメトさんならここまで落ち着けば大丈夫ですね。カメトさん、ラビアスに戻りますか?」


「はい、もちもん」



 死神さんともう少し話したい気持ちもあるけれど、街の様子も気掛かりだ。死神さんと話したくなったらまたここに来れば良い。来られるかどうかは分からないけど、死神さんが話したいことがあれば呼んでくれるだろう。



「であれば、馬の守護者に送らせよう」



 死神さんがそう言うと、俺をここまで運んでくれた馬が俺の隣に跪いた。そこによっこらせ、とよじ登ると馬は立ち上がってひと鳴きした。



「しっかり掴まっておけ」


「お願いします」



 馬はくるりと踵を返して走り出す。その首にしっかり抱き着くとやっぱり風になったような気分になった。



「カメトさん、また会いましょう。それと、拡大縮小は上手く使ってくださいね」



 頭の中に響いた死神さんの意味深な言葉に、考える余裕もなく頷いて返す。しゃべったら口に大量の空気が入り込んで首を持って行かれそうだ。でも拡大縮小って何。


 最初から全速力で走ってくれた馬は、ラビアスの近くまであっという間に到着した。けれどあともう少しというところで立ち止まると、耳をピクピクと動かした。



「悪いが俺はここまでだな。これ以上は進めない」



 俺にも聞こえる水の轟音。馬から降りて少し先を覗けば、いつもは草と土に覆われているそこが抉られて川になっていた。一キロにはいかないけれど、それに近い幅が抉られたらしい。



「いえ、長い距離をありがとうございました」


「また神の木がカメトさんを呼べば俺が迎えに来よう」


「お願いします」



 馬が立ち去ったあと、死神さんの言っていた拡大縮小について考えてみる。この姿では何も起きないから、きっと獣人化を解いたときに使える能力だろう。不老不死を断った代わりということか。


 能力がそのままの意味なら大きくなったり小さくなったりできるんだろうけど。また微妙な能力だし、使いどころはあるのか分からない。いや、使えるかも。



「試してみるか」



 木の陰から出て、獣人化を解除する。ウミガメの姿。合ってる。濁流を前にして、合計二キロ近い川幅を渡るのは難しい。それなら大きくなって向こう岸に手を着けば良いんじゃないか。


 上手くいくかは分からない。そもそもどれだけ大きくなれるのかも分からない。だけどやってみる価値はある。


 拡大。


 身体がじんわりと温かくなって、視点が徐々に高くなる。身体に痛みはない。もっと、もっと大きくなれ。向こう岸に届くくらい、もっと大きく。


 思えば思うだけ、空にも行けるんじゃないかと思うくらい身体が大きくなる。ラビアスの街の様子も見えてきた。向こう岸も大分削れていて、建物も何軒も流されている。王城の庭で俺を指さす民も見える。ミズキはどこにいるんだろう。無事であってくれ。


 身体が川幅くらいまで大きくなる前に前足が川に浸かった。その瞬間に水嵩が増して街に向かって波が立つ。慌てて後退すると波が引く。けれど後足が木を踏み潰す。これ以上の巨大化は前も後ろも危険だ。


 とはいえ身体の大きさは川幅の四分の一程度。川に足が浸かれば波が街と森を襲う。大きくなるのはダメか。でも小さくなったら流される。


 いや、逆に忍者走りで行けるか? 足を水面に垂直に差し込んで、沈む前に蹴り飛ばして前に進んでいく。確かそれで行けたはず。かつてアニメで見た紫色の曹長さんに憧れて調べたことがある。サイズは某ゲームのブラザーを参考にしよう。


 縮小。


 身体がぐんぐん縮む。視界に入る石や草がどんどん大きくなる。やっぱり身体が熱くなるだけで痛みはない。なによりそれが有難い。


 隣にあった石ころが大岩に見えるくらいまで小さくなったら、川を目指して匍匐ほふく前進する。縮みながら前に進んでおけば良かった。川が遠い。


 どうにか川に辿り着いて、一気に走る。必死に走って、走って、走って。ふと気が付く。この身体で二キロ泳ぐのは辛い。


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