第35話 亀兎、走る。


 屋敷を飛び出すと、ミズキは打ち合わせの通り王城へ向かう。兵士たちの力も借りて川沿いの人々を川から離れたところ、王城の庭に避難させるためだ。俺は先に川へ向かって、自力で動けるうさぎを誘導しつつ動けないうさぎを広場に集める。



「カメト! その、気を付けろよ!」


「分かってる!」



 分かれ道、ミズキは俺に何か言いたげだったけれど、それ以上は何も言わなかった。大丈夫。ミズキのその言葉の続きも俺が言いたかったことも、全員の避難を済ませたときには伝え合える。そのために俺たちは今を生きなくてはいけない。



「皆さん! 洪水です! 王城の方へ移動してください!」



 声を張り上げながら街を駆け抜ける。街の人たちは怪訝な顔をしたけれど、俺の姿を窓から見つけると、慌てた様子で家から出てきた。


 慌てた様子。俺は足を止めて後ろを振り返る。我先にと逃げようとする民を見てはっとした。この国では避難訓練など行われていない。ならばもっと明確な指示を出さないといけない。


 だけど俺一人で。川の近くの人たちの誘導もある中で、この人達を誘導するなんて不可能だ。



「補佐さん!」



 どこかから聞き覚えのある呼ばれて辺りを見回す。すると俺の方に深紅の瞳のパン屋の少年が走ってきた。あの事故のときに彼と一緒にいた友達も引き連れて、少年は息を切らしながら俺の元にきた。



「どうしましたか?」


「オレたちにできることはない? なんか、みんなパニックになってるし」



 彼らの瞳には恐怖の色が浮かんでいる。だけどそれでも、街のために立ち上がろうとしている。俺を救って彼とその友人。任せても良いと思える。



「お願いします。街の人たちを歩いて王城の庭まで誘導してください。歩けない人をおんぶできる人や、担架で運べる人がいたら近所の歩けない方の移動を手伝うようお願いしてください」


「力自慢の兄ちゃんたちに声を掛ければ良いんだな?」


「はい。できるだけ名指しで。分かりやすい説明がこういう状況には効果的です」


「分かった」


「くれぐれも無茶はしないで。俺はキミたちの命が亡くなったら悲しいですから」



 少年たちは深く頷くと、街に散って行った。近くでお兄さんを捕まえた少年が近くの家に連れていく。他の少年も、歩いて避難するように言って回ってくれている。ここは彼らに任せて大丈夫。俺は俺にできることをやらないと。


 俺はまた川の方へ向かって走りながら避難を呼びかける。慌てていた民たちが、前を歩く民の背中について行くように歩く。近所の人を背負ううさぎを見て同じように近所のおばあさんうさぎを背負って歩く。


 連鎖するように冷静に避難を進める住民の姿に俺は目を見開いた。彼らは凄い。自分がどうするべきか、周りを見て判断してくれる。自分の保身に走る人を無視して、全員が生きる道を選んでいる。


 個を大切にする文化はなくても、隣にいる人を大切に思う気持ちは変わらないのかもしれない。



「俺はあっちだな」



 街の中は大丈夫。そのうちにミズキの声掛けで集まった兵士が病院や教会の怪我人も運び出してくれるはず。それなら俺は、国の外に向かう。俺にしか、できないことだから。



「洪水だ! 川から離れろ!」



 叫びながら森を走る。大して早くは走れない。どこまで声が届いているのかも分からない。それでもみんなの森の民も一匹でも多く守りたい。たとえこれが俺のわがままでも、叶えてやる。救える命は救ってやる。



「おい、乗るか?」



 突然声を掛けられて振り返る。そこには一頭のたてがみの美しい馬が立っていた。見るからに足が速そうな良い筋肉を持っている。凛々しい瞳はミズキに似ているかもしれない。



「良いんですか?」


「森の民は種族が違えど神の木の庇護下にある。俺は神の木の守護者の一柱だ。神の木が望む未来へ向かおうとする者を手助けするのは当然だ」


「ありがとうございます」



 神の木。それはこの森の中央に位置する大木だ。謎が多くて、それが存在する場所以外の情報は俺が読んだ書物には書かれていなかった。


 俺は馬に跨って森を駆け抜ける。走ってもらいながら、俺は全力で叫ぶ。喉が枯れて痛んでも、生きていればそのうち治る。


 ラビアスに隣接する場所の上流と下流を走り終えた頃、轟々と騒音が聞えてきた。森の方は大方避難が完了した。街の様子を見に戻らないと。



「あの、ありがとうございました。俺は国に戻ります」


「今から国に行くのは危険だ。お前も避難するぞ」



 馬は俺の言葉を正面から否定すると森の奥へ向かって走り出した。今までの走りは軽いランニングだったことが分かる本気の速さ。身体が風に溶けてしまうような現実離れした感覚と、現実的な身体の痛みと吐き気。その落差もまた気持ち悪い。


 国の避難はミズキがいれば大丈夫。少年たちも頑張ってくれている。民の力を信じるしかない。


 馬の背にしがみつくように張り付いていると、急に眩しさに襲われて目をギュッと瞑った。恐る恐る目を開けてみると、そこには一本の大木とそれを囲むように集まった種族もまちまちな大勢の動物たちがいた。


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