第34話 亀兎、帰宅する。


 国王陛下の後ろに付き従っていたミズキが手を挙げると、民は慌てて跪く。民はそれでも困惑した様子を隠せない。国王陛下は敵だと認識していたのに、信じているミズキと一緒に出てきたのだから当然だ。



「事の詳細は宰相より聞いた。この度の宰相補佐の発言は国を思う宰相補佐としての進言である。よって宰相補佐は無罪とする。宰相補佐の釈放を求めた民も、国を正しき道へ戻そうとしての行動である。よって此度の騒動については不問とする」



 国王陛下の宣言に民が沸いた。無礼講とばかりに俺は民にもみくちゃにされて、あれよあれよという間に担ぎ上げられると空に打ち上げられた。人生初の胴上げに困惑していると、降ろされた俺の手を誰かが引いた。



「宰相補佐。よく戻った」


「みっ、宰相。お待たせしました。この度はありがとうございます」



 俺の手を取ったミズキは目だけで小さく微笑む。こんな時でも外面は保たないといけないことが惜しいけれど、国を守るために必要なことなのなら仕方がない。



「皇太子よ」



 国王陛下の声が響いて民は静まり返った。兵士の後ろにいた皇太子は国王陛下の前に跪く。その姿を俺もミズキも民も、ジッと見つめた。



「其方にはまだ皇太子の座は早かったかの」



 国王陛下の冷ややかな声に皇太子殿下は顔を下げたまま何も言わない。自身の過ちを噛み締めているような姿。少し助けたくなるけれど、これは彼が受けるべきものだと奥歯を噛み締める。



「皇太子の座に恥じぬ行いをせよ。二度は許さぬ」



 国王陛下はそう言い残して立ち去る。皇太子殿下は立ち上がると、静かに王城の奥へと消えていった。



「宰相補佐、怪我は?」


「怪我、ですか」



 そう言われて、背中が少し痛い気がした。痛むところに触れてみると、針で刺されたような痛みが走って膝の力が抜けた。



「怪我、してるみたいです」



 苦笑いを向けると、ミズキは真顔で頷いた。そして俺を姫抱きで抱き上げると屋敷へ足を向ける。民には歓声とざわめきが揺れるけれど、ミズキは気にしていないようすだ。



「ミ、ミズキ、恥ずかしい、です」


「怪我人は黙っておけ」



 抵抗することもできずにそのまま屋敷へ連れ帰られる。すれ違ううさぎたちは俺の姿を見て喜びつつ、状況に困惑するように目を見開く。俺は途中から目を閉じて自分の顔を手で覆って恥ずかしさを隠した。



「着いたぞ」


「坊ちゃま! カメト様!」



 ミズキの声に被せるように屋敷の中から侍女長さんの声がした。手を離して目を開けると、侍女長さんがこちらに走ってきてくれた。



「ご無事でなによりです」


「すぐに風呂と食事の用意を」


「かしこまりました」



 侍女長さんは屋敷に駆け戻る。ミズキはゆったりとした足取りで屋敷に入る。その顔を下から伺い見ると、不意に頬に涙が伝った。



「ミズキ?」


「カメト」



 足を止めたミズキは俺を見下ろす。そして笑いながら顔を歪めると、歯を食い縛った。



「カメトが生きていて、良かった」



 絞り出すような声に、俺は胸が痛んだ。さっきまではクールを装っていたけれど、本当はここまで心配させてしまっていた。それがつらいけれど、嬉しくもある。



「俺はミズキが助けてくれるって、信じてたから」



 俺がミズキの頬に触れると、ミズキは目を見開いて力なくと笑った。そしてミズキがまた歩き始めると、ゆらゆらと揺れる感覚とミズキの温かさに心地良くなる。そのまま目を閉じてしまいたい。



「寝るなよ?」


「うーん、そうだね」


「まったく」



 ミズキは俺の曖昧な返事に小さく笑い声を漏らす。寝不足もあったから眠たくてどうしょうがない。だけどこの幸せをもっと感じていたいとも思う。


 そのままお風呂場まで連れていかれて、ミズキに補助されて身体を洗った。お風呂に浸かろうかと思っていたけれど、甲羅から脇腹にかけての傷が酷いからとミズキに止められた。



「そういえば、牢の格子壊しちゃったんだよね」


「後で修繕費を王城に支払っておく」


「ごめん、ありがとう」


「大丈夫だ。それより、あの民の蜂起。指揮をしたのは私でなくあのパン屋の少年だ。後で礼を伝えておく」


「彼が?」



 驚いた。彼が少しずつ懐いてくれていることは分かっていたけれど、ここまでしてくれるなんて。やっぱり一度、彼のお店に行こう。たくさんパンを買って、俺からも感謝を伝えたい。ミズキも行くなら一緒に行こうかな。


 ミズキは考え込む俺を脱衣所に連れ出すと、髪を乾かしてくれた。ここまで至れり尽くせりだと少し申し訳ない。だけど身体が動かないのも事実。睡眠不足と食事の不足でエネルギーが足りない。



「ご飯を食べたら仕事の続きかな」


「頼む。私も少し進めたが、あまり進んでいない状況だ」



 やっぱりミズキは解読を進めてくれていた。少しでも進んでいるならそれ以上に有難いことはない。


 頷いて返して、二人で食堂に向かう。ミズキは昼食を食べた後みたいだけど、俺と一緒に食べてくれるらしい。



「坊ちゃまもカメト様も。食べやすいよう野菜スープをご用意しました。お2人ともこの一週間ちょっとで随分お痩せになりましたからね。ちゃんと食べて元気を取り戻してくださいね」



 侍女長さんの言葉に改めてミズキを見ると、確かに痩せたように見える。俺は食事の回数と量が減っていたから分かるけれど、ミズキは何かあったのだろうか。



「カメト様、坊ちゃまはカメト様の身を案じるあまりお食事が喉を通らなかったのですよ」


「侍女長、そういうことは言わなくて良い」



 ミズキは照れた様子でフイッとそっぽを向くと、野菜スープを食べ始めた。俺も食べてみると、侍女長さんの料理のあの優しさを感じて泣きそうになった。



「美味しいです」


「ふふっ、ありがとうございます」



 侍女長さんが笑うと、ミズキも小さく笑って俺をジッと見つめてくる。そうだ、後で二人きりになったらミズキに伝えよう。今度こそ後悔をしないように。



「あのさ、ミズキ」


「嵐だ! 洪水が起きるぞ!」


「次はラビアスだ!」



 外から聞こえた二人の声に言葉を切る。慌てて食堂の窓を押し開けて外を見回すと、上空で二羽の鳥が旋回していた。



「カメト? どうした?」


「ミズキ、嵐だ! 洪水が起きる!」



 俺が叫ぶと、ミズキは椅子を倒す勢いで立ち上がって食堂を飛び出す。



「侍女長さん、二階へ避難を!」


「はい!」



 俺も侍女長さんに声を掛けてからミズキを追って食堂を飛び出した。


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