第33話 亀兎、苦い水を飲む。


 あれからどれくらいの日が過ぎたか。なんて。多分一週間くらいだ。毎日二食の食事を兵士が運んできて、皇太子殿下が夜にやって来る。そんな日々。


 皇太子殿下は嫌にお酒の臭いを纏ってからここに来る。それから尋問が始まる。皇太子殿下に対する反逆の意思についてひたすら、何度も繰り返し問われる。


 どんな言葉が罪を重くするのか分からない。俺はその時間だけは獣人化を解いて無言を貫いた。獣人化を解いている間は、体重が増加するから外に連れ出されることもない。



「何をやってんだ、俺は」



 晴れた高い空をぼんやりと眺めていると、そんな言葉が漏れた。何もできないまま時間が過ぎていく。この時間以上の拷問はない。この国に危機が迫っていることを知りながらも何もできない歯がゆさに苦しむことしかできない。



「おい、人手を貸してくれ! 王城の前で民衆がクーデターを起こした!」


「反逆罪で大量検挙か?」



 兵士たちがそんなことを言いながら牢の周りからいなくなっていく。どこか浮ついた、楽し気な声に反吐が出る。人の思想を弾圧して苦しめることの何が楽しい。いや、楽しいのか。そこに楽しさを見出すしかなかったのか、それしか楽しいことを知らないのか。どちらにしても哀れなことだ。



「国のために生きる」



 何度目かに口にした言葉。俺は窓の格子に手を掛けた。ガンッ、ガンッと鈍い音がする。手で引っ張ったところでこれは壊れない。それなら。


 格子に齧りついたまま獣人化を解除した。まずはリクガメの姿。顎の強さならリクガメよりもウミガメ。フォルムチェンジをしてウミガメの姿になる。確かアカウミガメとアオウミガメでも顎の力が違うらしいけど、どっちがどっちか、俺がどっちかは知らない。


 ギリギリと口を動かして木を削る。歯はないけれど、人間の姿では難しかっただろうことができるからこっちの姿の方が顎の力が強いことは明らかだ。


 何度も何度も口を動かす。そのうちにバキッと一際大きな音がして身体が宙に浮いた。獣人化して着地をして見上げると、格子が一本折れていた。けれどいくら目の粗い格子でも、少なくとももう二本折らないと。


 だけどもう一度同じことをやるには時間がかかる。窓に手を掛けて頭を外に出す。肩も出せるだけ出すと、歪な形で身体が止まった。


 ここで獣人化を解除すると、横幅がさらに広くなる。俺の身体を挟んでいた木がメキメキと音を立てて軋む。軋んでヒビが入った両側の木には、想定以上に上手く俺の甲羅が刺さっている。


 身体を揺らして甲羅で木を削る。早く、早く。下から微かに聞こえる民の声。何を言っているかは分からないけれど、彼らを失ってはこの国の大きな損失になる。


 ギリギリ、ガリガリ、メキメキ、ミシミシ。不穏な音を響かせながら木を削っていると、慌てた様子の足音が聞えた。ここまで豪快にやっておいてバレないとは思っていない。だけど捕まってやる気はさらさらない。



「おい! 何をしている!」



 後ろから声が聞えた瞬間、俺はこれまでで一番大きく左右に動いた。ベキッという音と共に両側の木が枠から下だけ外れた。これだけあれば、十分だ。俺は獣人化して、その隙間を抜け出した。



「脱獄だぁ!」



 兵士の声。その手が俺の足を掠めた瞬間に獣人化を解除して、背中向きに水路に飛び込んだ。激しい水音。口に広がる苦み。強い衝撃で大して中身の入っていない胃がそのまま飛び出しそうになったけれど、急いで身体を反転させて水の流れを遡る。


 けれど逆流するのはスピードが上がらない。途中で水路を飛び出して獣人化して走り出す。濡れた服に風が当たって身体が震える。身体が重たい。それでも足を止めてはいけない。



「民のために身を投げてくださった宰相補佐様に恩情を!」


「宰相補佐様を返せ!」


「真に民を思ってくれるのは宰相様と補佐様だけだ!」



 王城の前で横断幕を掲げる民。口々に俺の開放を願い、ミズキと俺を信じていることを叫んでくれている。それを兵士たちがどうにか収めようとしているけれど、民はヒートアップしていく。


 俺はどうするべきか悩んだけれど、王城の奥から武器を手にした兵士が走ってくるのが隙間からチラリと見えた。民は普段なら音に気が付くはずなのに、今日はヒートアップし過ぎて聞こえていないように見える。



「俺はここです! 皆さん、ありがとうございます!」



 こんなに俺を信じてくれる民のためなら、自分の身の安全を放り投げてやる。


 俺は兵士と民がぶつかる最前線に向かって走りながら叫び声を上げた。その場の全員の視線が俺に集まる。兵士たちは俺の脱獄に気が付いて、民はそこに俺がいることが信じられない顔をして、誰もが呆然としていた。



「捕らえよ!」



 冷ややかで無情な声。あの日俺を捕らえた兵士が、剣を引き抜いて俺に向ける。その遥か後ろ。皇太子殿下が表情のないのっぺりとした顔でこちらを見ていた。怒るでも嘲笑うでもない。これは皇太子殿下の本意ではないのかもしれない。



「待たれよ」



 凛とした芯の通った声。緊迫した空気を切り裂いて、更に圧の強い空気が周囲を包む。白地に菊の模様が刺繍された衣装。彼こそ、この国を統治する国王陛下だ。



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