第32話 亀兎、進言する。


 ひとまず食事を始めてから、俺は皇太子殿下の質問に答えた。



「俺の知り合いを通訳にしたいのではありません。通訳の育成と共に街の学びたいと思ううさぎたちにも学びの場を提供することで、自由な交易の流れをより国内に取り込むことができると考えました」



 皇太子殿下は少し面喰った顔になると、すぐに考え込んだ。



「なるほどな。民にも学びを開放すれば、それだけ国力は上がるだろう。しかし、それは国への反逆の意識を産むことにならないか?」


「何故でしょう?」


「知識が付けば無駄なことを考えるものだ。他国の国政を知り、自国のシステムに異議を申す者が現れれば、この国は崩壊の一途をたどるだろう」


「確かに」



 皇太子殿下にミズキまで賛同して考え込む素振りを見せる。だけど俺には理解ができない。



「誰がそれを無駄だと決めるのですか? 自らの国の誤りに気が付くことの何がいけないのですか?」



 皇太子殿下の眉間に皺が寄る。ギロリと睨んでくるその圧は流石にあの国王陛下の息子だと思う。だけど負けるわけにはいかない。俺はこの命ある限り、ミズキが大切にしているこの国をより良いものにするために力を尽くすと誓った。



「この国を率いるのは王家だ。王家の行動に異を唱えることは反逆罪に値する。わざわざ死を願うものが現れないためには知識は無駄になる」


「それは民のためと謳っているだけで、結局王家を守ることしか考えていないのではないのですか? 王家を守ればこの国を守れるのですか? 民があってこその国でしょう」



 勢いよく言い切って、ふと我に返る。これは反逆罪になるんじゃないか? めちゃくちゃ皇太子殿下の言葉に異を唱えてしまっている状態じゃない?


 心臓がキュッと縮む感覚がした。自分の言葉に責任を持ちましょうとは言うけれど、逃げ出したい。だけど民のためを思うなら逃げだしたらいけない。そもそも足が震えて動けない。



「カメト殿。貴殿には失望したよ」



 皇太子殿下の冷ややかな視線が突き刺さる。部屋の温度も心なしか下がった気がする。どこに隠れていたのか、食堂のドアから流れ込んできた兵士に周囲を囲まれて剣を突きつけられる。



「捕縛しろ」


「はっ」



 良い返事、なんて悠長なことを思っている間に捕らえられて、あっという間にロープで縛り上げられてしまった。



「あらあら、まあまあ」



 侍女長さんが真っ青な顔でこちらを見ている。その手が震えていることに気が付いて、俺は笑ってみせた。反逆罪は死罪。国政を勉強し始めたばかりでも、そんなことは知っている。それでも俺が大切に思う人の幸せを守りたい。どんな状況でも。



「殿下! 宰相として申し上げます。どうかお考え直しください! カメトを失っては、この国の発展はありません!」



 ミズキのいつにない焦りと必死さが滲んだ訴えにも、皇太子殿下は冷ややかな視線を向けた。



「いくら宰相といえど、皇太子殿下である我を侮辱するならばそれはこいつと同罪になるが」



 ミズキはグッと唇を噛んだ。賢明な判断だ。今この国はミズキを失ってはいけない。聡明で民想いな宰相はそう易々と現れないだろうから。



「宰相、後はお願いします」


「必ず助ける」



 ミズキの若草色の瞳に見送られて、俺は宰相の屋敷から連れ出された。そのまま王城へ連れられて、その奥の後宮の隣の棟にある上級罪人の牢に入れられた。確かそれなりな職に就いている者はここ、他の罪人は街はずれの牢に入れられることになっている。


 固そうなベッドとトイレだけが備え付けられた木製の牢。窓にも木製の格子が付けられている。


 兵士たちがさっさと立ち去ると、牢の中には俺、外には皇太子殿下だけが残された。



「ここは後宮のすぐ隣にあるから我はよく見回りに来るんだ」


「そうなんですね」


「ああ。また色々と、話でもしよう」



 皇太子殿下は嫌な笑みを浮かべて、コツコツと高らかに足音を立てて立ち去った。嫌な予感がするけれど、ここから逃げる術はない。こともないかもしれない。


 窓の下には水が流れている。街の入り口に流れる川から引いて来た水路だ。三階くらいの高さしかないし、この格子を突破できれば逃げられる。とはいえ逃げるつもりはない。ミズキにこれ以上の迷惑は掛けられない。



「どうしたものかな」



 ここには屋敷に運び込まれた書物もない。そもそもあの書物を読解できる人がいなくなったのだから、あれも宝の持ち腐れとしか言いようがない。ミズキならノートを読み切ったら読解を始めるかもしれないけれど、今年起こるかもしれない洪水には間に合わない。


 ここで俺にできることは何かないのか。あのたった一つの進言でこんなことになるなんて思わなかった。こんなことなら少年が持ってきてくれたパンを食べてから来たかった。ミズキに自分の気持ちを伝えたかった。



「もう、会えないのかな」



 ベッドに腰かけて膝を抱える。自分で零した言葉にさらに寂しくなって顔を伏せた。


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