第23話 亀兎、譲れない。
ミズキを怒らせた心当たりならある。胸に手を当てて考える必要もない。
「ごめんなさい」
「何を謝っているんですか?」
心当たりがあって謝ったのに疑問を投げられて、俺も困る。お互いにお互いの顔を見つめながら首を傾げるばかり。先に目を逸らしたのはミズキだった。
「いえ、申し訳ありません。私が紛らわしい顔をしていたのでしょう。カメトといると、つい家と外の区別が曖昧になってしまいます」
今もカメトと呼んでいることは突っ込んでも良いのか、ダメなのか。とりあえず黙っておくことにする。
「カメト、今日の会議は嫌な思いをさせて申し訳ありません」
「いえ、それは宰相が悪いわけではありませんから。俺が全員を認めさせられるように頑張れば良い話です」
そう、誰も悪くない。ミズキも、もちろんあの会議に参加していた人たちも。
慣れた場所に異物が現れれば誰もが不安に苛まれる。そしてその異物を排除しようと考える。それは本能的なものだ。
日本の国会に他国の血を引くものが参加したら、物を申したくなる人もいるだろう。嫌悪から迫害する人もいるだろう。そこにはどちらかが悪いと明確に定義できるものはない。やる気と不安がぶつかった結果でしかない。
もちろん異議は認める。どんな理由があれど他人に危害を与えることを容認してはいけないとは思うから。そんな世界では生きたいと思えない。
「カメトは努力家ですね」
「そうですか?」
ミズキはフッと表情を緩めた。けれど、すぐに表情が固くなる。それは何か言いにくいにくいことがあるんだろうと察するには十分で、俺はジッと黙ってミズキの言葉を待った。
ミズキは指を絡ませたり解いたり。口を開いたり閉じたり。右を見たり左を見たり。天井を見上げたり床に視線を落したり。
俺は書架の方に視線を送って、遠目に見えるタイトルを見ておく。右からは国政に関するもの、左からは他国に関するもの。世界地図はどっちにあるんだ。
「カメト」
「はい」
名前を呼ばれてミズキに視線を戻す。若草色の瞳がくすんで見えるのは気のせいだと思いたい。
「私は会議室に入ってすぐにカメトが視線を集めたことに無性にむしゃくしゃしました。その視線が嫌悪に満ちていたことにも。そして承認印が押された契約書を見せてから誰もカメトに視線を送らなくなったことが嬉しかったです」
なるほど、なるほど。
「ですが、廊下を歩きながら使用人に礼を返すことで彼らから奇妙さと感謝、憧れを含んだ視線を向けられているカメトを見て、またむしゃくしゃしました」
分かった。もう良いから、口を塞いでやりたい。
「カメトが誰かの目に触れるだけでも嫉妬に狂いそうになる。こんな感情は初めてだ」
オーバーキルだよ、ミズキ。俺のライフはもうゼロだから。そして話しながらジリジリと壁際に追いやられているこの状況の説明をして欲しい。これから起こりそうなことを脳内で並べては、そんなことはないはずだと言い聞かせ続ける。
「カメトは辛かっただろうに、ましてや頑張りたいと思っているのに。私はずっとこんなことばかり考えている。もうただの上司と部下、同居人として接することは難しい」
むしろこれまでそういう関係だと思ってくれていたことに驚いているけどね。キスされたり、襲われかけたり。正直もうその範疇は超えていたと思うけど。
キス。ああ、もう。あの感覚を思い出してしまう。
あの甘くて柔らかくて、優しい欲に塗れた感覚。思い出したら最後、もう一度と強請りたくなる。中毒性のあるあれ。
「カメト、そんな顔をされると期待してしまうんだが」
ミズキの手が頬に触れる。その熱にあの感覚がもっと鮮明に思い起こされる。欲しいと本能が泣き喚く。だけど理性は、恋人でもない相手とそんなことをするなんて、と歯止めをかける。
「ミズキ、ストップ!」
理性の勝利。俺はグイッとミズキの胸を押して逃れることに成功した。
「ミズキの気持ちは、分かってる。でも、俺はミズキにそういう感情を持っていないと思う」
「そんなに物欲しげな顔をしておいてか?」
「そ、そんな顔してない」
「嘘だな。じゃあ、聞き方を変える。私にキスされるのは嫌か?」
そう聞かれると、すぐに頷くことはできない。だって欲しいから。でも、それがミズキに恋愛感情や欲情を持っている根拠だと良い切って良いものかは分からない。だって、こんな感情には覚えがない。
「嫌、ではないけど。でも、恋人でもない人とキスするのはダメだと思う」
「なるほど。タートランドはそういう考え方なんだな」
どうしていきなり出身の話になったんだ。思考を巡らせて、前に聞いた話を思い出した。この国では発情すれば相手との関係性を気にしない。婚外子も多いことはデータでも確認した。
ミズキと俺では、そもそも貞操観念に関する認識が違いすぎる。だけどここで郷に入っては郷に従うことはできない。だってこれは俺にとって大事な選択だと思うから。
ミズキは俺の頬からそっと手を離した。そしてそのまま俺に背を向ける。頬が冷めて、少し痛い気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます