第21話 亀兎、返事に困る。


 書庫の場所は前に案内してもらった。けれど中をじっくり見て回るのは初めてで、薄暗い書庫の中をドキドキしながら歩き回った。



「えっと、他国の書物は」



 文字の形からすぐに他国の書物が見分けられるものだと思うけれど、俺には全部が日本語に見えているから分からない。書架の間を歩きながら一冊ずつタイトルを見て確認しなければ分からないのは少し面倒だと思ったりする。



「あった」



 まずはキャッタリナの書物を見つけた。『キャッタリナの暮らし』となんとも分かりやすいタイトルには感謝しかない。


 一ページ目にはキャッタリナの地図が掲載されていて、国の端にはラビアスの入り口に流れる川の少し上流にあたるものが流れているらしい。東部に川と森がある以外は他国と面している土地柄だ。


 ねこの国らしいが、政治や財政、暮らしぶりはラビアスとはあまり変わらない様子だ。食生活は基本雑食。野菜と肉を半々程度食べるらしい。農耕と狩猟で食糧の確保をして、日々の生活を送っているとのこと。



「やっぱり狩猟が必要なんだよな」



 キャッタリナの書物のうち冒頭部を流し読みして、次の書物を探す。キャッタリナの書物が並ぶ棚の裏手でドクラトの書物を見つけた。近くにあったフォクサスとウルフェルの書物も取り出したとき、書庫のドアがゴンッと鳴った。ノックとは言い難い重たい音が下の方から聞こえたような。


 身体を固くして次の動きを待つけれど、鈍い音の後は一向にドアが開く気配がない。俺は書物を机に置いてドアの方に向かった。



「はい?」


「カメト、すまない。開けてもらえないだろうか」



 向こうからミズキのくぐもった声が聞えて慌ててドアを開けると、ミズキがハーブティーが載ったお盆を両手に持っていた。



「ミズキが持ってきてくれたの?」


「ああ、私も書庫に用事があったからな」



 ミズキは俺の横を通り抜けて、机の方に向かう。そしてそこに置かれた書物を手に取ると、ふむと声を漏らしながら自身の顎に触れた。



「それにしても、どうして急に肉食の国に興味を持ったんだ?」



 その質問にはどう答えるべきか。返答に窮する俺を横目に、さっき俺が見た書架を物色したミズキは一冊の本を取り上げて机に置かれた本の隣に並べた。



「これはバーズの本だ。バーズは草食の者と肉食の者、蜜を好む者など多岐に渡る種族による国だ。インセクタルトもそうだが、あまりにも食生活が異なる者が多く共存する国と言えるな」


「ありがとうございます」



 見逃していたそれに有難く感じながらも、ミズキの真意が分からなくて考え込む。ミズキは何が言いたいのか。ここには何をしに来たのか。



「カメトは私の議案を読んだんだよな?」


「はい、もちろん」


「どう思った?」



 なるほど、俺がミズキの議案に疑問を持ったことには気が付かれているらしい。



「議案自体は良いものだと思ったけど、それを他国の模範にするというのは無理があると思ったよ。草食の者は救済できるけど、肉食の者に供給する食糧の確保について考えられていない。各国の事情に理解が及んでいない」



 俺が生きていた社会でも、あちら立てればこちら立たずな政策はたくさんあった。誰にも平等に、なんて言うほど簡単じゃない。俺だって営業先に商品の提案をするときは相手に合わせて違う長所と短所を考えたものだ。それだけ世界は多様なものだ。



「言い訳に聞こえることは重々承知の上で言うが、私たちうさぎは比較的寿命が短い。他国の長寿な国ほど歴史を重んじないんだ。今ばかりを追いかけていると言っても良い」



 何の話が始まったのか。俺はとりあえず頷いた。



「その点私たち宰相は代々書物を通して過去に触れ、何故今ある条約や法令が生まれたのかを知ることができる。理由を知って初めてその重要性に気が付くことだってあるんだ」


「なるほど?」


「それでも時折、いくら正しくないと思っていても、新しい考えと称して過去のものを打ち壊したくなる。自分の感情に流されたくなる」



 ミズキの声が震える。俺はそれに気が付かないふりをして、ハーブティーを一口啜った。



「分かっているんだ。意味のないものだと。獣人化の能力を持って街で暮らす者にも貧困して食に困っている者はいる。そちらへの配慮を後回しにして、狩猟による死を減らしたいとそればかりに囚われている。国民の意見だと言い訳をして、調和を乱そうとしてしまう」



 いつの間にかミズキの手にはミズキが作った議案が書かれた書類が握られていた。ミズキはそれをグシャリと握り潰すと、深くため息を吐いた。



「変な話を聞かせて悪かった。この議案は明日の会議にかけることなく廃案にしようと思う」



 自嘲するような、乾いた笑みを浮かべたミズキは書類をさらにギリギリと握り潰した。思わずその拳に触れると、その力が緩む。泣き笑いを浮かべたミズキの腕が俺の背中に回される。俺は驚きつつも拒めなくてされるがまま。


 抱き締め返してその背中をポンポンと叩いた。誰にだって周りが見えなくなるときも、弱音を吐きたくなるときもある。掛ける言葉が見つからない俺にできることは、黙ってそれを受け入れて寄り添うことだけ。



「聞くところによると、タートランドの者は長寿な者が多かったらしい」


「そうなの?」



 突然の話。そう言われても、俺は知らない。だけど確かに亀は千年、鶴は万年という言葉もあるし、長生きのイメージはある。



「ああ。もしもカメトが長生きをして、ずっとこの国の宰相補佐でいてくれるなら。きっとこの国は迷うことなく他種族との共存の道を歩めるだろうな」



 ミズキの言葉に、俺はうんとも違うとも言えなかった。ただ黙って、ミズキの背中をポンポンと叩き続けた。


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