第20話 亀兎、考える。


 ミズキの視線に気が付いた侍女長さんは、うさぎりんごが入った器をミズキの前に差し出した。



「こちらもカメト様が切ってくださったものです。うさぎの形が可愛らしいでしょう?」


「ああ、そうだな」



 ミズキはそう返事をしても手を出すことなくジッと見つめるだけ。内心は気に入らなかったのかもしれない。いらなければ自分で食べれば良い。そう分かっているけれど、押し殺した感情が溢れ出てきそうで机の陰で拳を握り締めた。



「カメト」



 ミズキに低い声で呼ばれて身体が固くなる。きっと上手くは作れていないけれど笑顔を張り付けてミズキの次の言葉を待つ。



「これ、また作ってくれないか?」


「え?」



 ミズキのことだから、もうやらなくて良いとか言うかと思った。



「これは初めて見た。可愛くて食べるのがもったいないくらいだが、りんごでできているなら食べなければいけないだろう? だからまた、カメトに作って欲しい」



 慎重に言葉を選びながら話すミズキに、気を遣ってくれていることは分かる。その気遣いが心に沁みて、さっき堪えたものとは違う涙が溢れそうになった。



「ありがとうございます」


「何がだ? 私の方こそ、ありがとう」



 小さく微笑んだミズキは、うさぎりんごを口に含む。シャクッと耳心地の良い音に続いて、ゆっくりとシャリシャリと咀嚼する音が聞こえる。緩んだ表情でそれを飲み込んだミズキの視線が俺の目を捉えた。



「味だけでなく見た目も楽しめるとは嬉しいことだ。また、よろしくな?」


「私からもお願いしますね」


「はい!」



 ミズキのいたずらっぽい笑みと、それを見た侍女長さんの暖かな微笑み。頻繁に頼まれることはないだろう。だけど多分、りんごを食べる日はお願いしてもらえる予感がした。


 ミズキが喜んでくれて、それを見て侍女長さんも幸せな気持ちになる。うさぎりんごのおかげで良いものが見られた。



「では、こちらは一度下げますね。デザートの前にお食事を済ませてください」


「仕方がないな。分かった」



 元の位置に戻されるうさぎりんごを寂し気に見送ったミズキは、もそもそとパンを千切って食べ始めた。俺も食べ始めようと同じくパンを千切ると、ふわりと小麦の香りが膨らんだ。



「良い香り」



 一口食べればその香りが味として口いっぱいに広がる。こんがりと焼かれた外側と香りと、ふんわりした内側。カリモチ食感が堪らなく美味しい。



「これは美味いな」


「うん。美味しい」



 少年の家で作ったものらしかった。これはまた食べたい。今度は俺が買いに行きたいな。


 そのまま食事を終えて、うさぎりんごを堪能するミズキを眺めてから今日の仕事。街に出て調査をして、ミズキの書斎に戻ってからその報告書の作成。それが終わったら明日の会議の資料作り。いつの間にか俺用の机がミズキの書斎に用意されていた。


 議会に所属しているうさぎや上位の職に就くうさぎが発案した議題がずらりと列挙された紙の束。俺はそれを大量に複写した。会議の資料にはミズキが発案した議題もあった。


 半分くらいは終わったころ、ミズキはグイッと伸びをした。ミズキの方は俺がまとめているこの書類に書かれている議題の最後の詰めをしていた。



「侍女長にハーブティーをもらってくる」


「俺が行くよ」


「いや、身体を動かしがてら私が行くよ。カメトもキリが良いところで休むと良い」



 ミズキは爽やかな笑みを浮かべて書斎を後にした。一人になった俺は、まとめていた書類をパラリと捲った。



「みんなの森のうさぎたちへの定期的な食糧供給案か」



 気になっていたミズキの議案。流石に同じ作業ばかり繰り返すと他のうさぎの議案も頭には入ったけれど、大抵のものはどれも中身のない議案ばかりだと思った。



「他国による狩猟許可と弱肉強食に起因する捕食のために殺される他種族のものを減らす。それによって残された家族の憎悪が他国や自国に向けられないことを目指す」



 他国にも伝えるための先例的な動きだろう。ミズキも親を亡くしているし、獣人化のスキルがない子どもを失った親もいるだろう。それが弱肉強食、食物連鎖だ。もしこれが実現すれば、確かに憎悪に苛まれる人は減らせる。


 けれどこれはうさぎが草食だから成り立つものだ。


 うさぎや他の動物を捕食するのは、肉食獣。彼らへの食糧の供給となれば、他国から得た肉を与える他にない。その結果、結局誰かが命を落とすことは避けられない。それに獣人化するうさぎは肉を食べる。その確保についても考えるべきだ。



「無理があるだろうな」



 侍女長さんが言うにはミズキはもう異種族の者や自国を恨んだりはしていないらしい。それでも、それをどうにかしたいと思っていることに代わりはないみたいだ。


 追い、逃げ、その命の取り引きの結果に生死がある。そういう今の状態が一番納得のいく形だろう。今は条約でその骨を返還する義務もある。


 たしかに街の人々には異種族への嫌悪と殺気があった。それでも今以上に良い状況をどこの国でも提供することはできないと思う。



「そういえば、肉食獣の国ってどんな場所なんだ?」



 捕食される側ではなくて、捕食する側。そちらの国の様子が気になった。今はまだ実際にその国に行くことはできないだろうけど。



「気になるなら、書庫にキャッタリナとフォクサス、ウルフェル、ドクラト、バーズについて書かれた書物があるぞ。ここにあるものよりはるかに詳しく書かれているから、好きなものを探すと良い」


「ミ、ミズキ! えと、おかえり」


「ああ。ただいま。驚かせたか、すまない」



 ミズキがいつの間にか真後ろに立っていて驚いた。気配を感じた気がするけれど、書類に集中していて意識の外にあった。



「いや、大丈夫。俺は書庫に行ってくる」


「ああ、いってらっしゃい」



 俺はミズキに見送られて書庫に向かった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る