第19話 亀兎、恩返ししようとする。


 玄関ホールに向かってドアをゆっくりと開けると、籠を持ったあの深紅の瞳の少年が俯いていた。



「おはようございます」


「お、おはよう」



 ひとまず挨拶をしてみたけれど、少年はそれきり黙りこくってしまった。何をしにきたのかも分からなくて、とりあえず屋敷の中に招き入れた。明け方の屋外は風が少し冷たい。



「その籠はなんですか?」



 流石に無言が気まずくて話題を振ると、少年はグイッと籠を俺に差し出してきた。



「見ても良いのですか?」


「見ても、っていうか、あげる。うちのパンだから。朝、食べて」


「えぇ、良いのですか?」


「昨日の、ありがとうと、ごめんなさいだから。受け取って」



 ようやく少年と目が合った。不安に揺れている瞳を見て、俺はすぐに籠を受け取った。上にかかっていた布を外すと、ふわりと香ばしい香りが広がる。キツネ色に焼けたパンに食欲がそそられる。



「こんなに素敵なものをありがとうございます。それから、昨日のことは気にしなくて大丈夫ですよ。俺は街のみなさんのために生きると決めましたから」


「宰相補佐、なんだっけ?」


「はい。宰相のお仕事を支えるお仕事です」



 俺の返事に、少年は俯いてしまった。何か不味いことを言ってしまっただろうか。不安になっていると、屋敷の階段を下りてくる足音が聞えた。



「カメト、おはよう」


「宰相、おはようございます」



 俺の返事で来客に気が付いたらしいミズキは、小さく舌打ちをしてから俺の隣に来た。お客さんの前で舌打ちはダメだって。俺でも聞こえるんだから、うさぎならもっと聞こえるだろうに。寝起き悪いのかな。



「どういった御用でしょうか。おや、君はパン屋の子でしたか」


「宰相様、昨日はごめんなさい」


「昨日のことは不問とします。君の気持ちが分からないわけではありませんから。ですが、彼への攻撃は私が許しませんからね」



 ミズキが睨みを利かせて見下ろすと、少年の肩が跳ねた。思わず少年とミズキの間に入ると、ミズキは明らかに拗ねた顔になった。だからお客さんの前だけど、良いのかよ。



「では私はこれで。宰相補佐、終わり次第食堂へ」


「承知しました」



 口調が外用と内用がごちゃごちゃになっているミズキを見送ると、少年は肩の力が抜けたようだった。



「ねえ」


「はい?」


「補佐さんに危害を加えたりしないから。恩人に、そんなことはできない。でも、たまにお話をしに来ても良い?」


「もちろん。いつでもお待ちしています。俺も君のお家にパンを買いに行きますね?」


「うん。じゃあ、またね!」



 少年は少し晴れやかな顔で屋敷を出て行った。門の前で手を振ってくれた少年を見送って、俺は門を閉めるために庭に出た。太陽が眩しいけれど、気持ちはすっきりした気がする。可愛らしいお友達ができた気分だ。



「さてと。ミズキのところに行かないと」



 食堂に戻ると、ムスッとしたままのミズキがいた。いつの間にか階下に下りて来ていた侍女長さんはニコニコと笑いながらミズキの様子を眺めている。



「お待たせ」


「ああ」



 ミズキはそれだけ言うと黙りこくってしまった。どうしたものかな。何に怒っているのかも分からないから下手なことは言えない。とりあえず少年から貰ったパンは侍女長さんに渡した。今日の朝食になるらしい。



「お坊ちゃま、本日の朝食はこちらです」


「ああ、ありがとう」



 侍女長さんが俺が作った朝食とパンをいつも通りに提供する。ミズキもいつもと変わらない様子で受け取った。侍女長さんはミズキの視界の外に入った瞬間にニヤニヤと笑う。だいぶ楽しんでるな。



「いただきます」



 ミズキはサラダを一口、それからスープを飲むと首を傾げた。



「これ、いつもと味が違うな」


「あらあら、まあまあ。気が付きましたか?」



 侍女長さんが笑いながら俺の分を配膳する。それから俺の肩に手を置いた。正面に座るミズキが訝しげに首を傾げた。



「今日の朝食は、カメト様が作ってくださったのですよ」


「カメトが?」



 ミズキは目を見開くと、俺をジッと見つめる。困っているような怒っているような視線。思わず肩を竦めると、肩をポンポンと叩かれた。



「お坊ちゃま、まずはお礼を伝えなさいとお教えしましたよね?」



 顔は見えない。だけど強い圧を背後から感じる。ミズキの顔もヒクついて、一瞬のうちに俺に視線が移された。



「カメト。ありがとう」


「いえ、あの、勝手なことをしてすみませんでした」


「いや、嬉しかった。ただ前にも言った通り、私はカメトにそういった仕事をさせたいわけではないんだ」


「違っ、俺は昨日助けてもらった感謝を伝えたくて。俺の育った場所は全員が協力して家事をしていて、それに誰かに作ってもらったご飯は美味しかったから。だから、料理をしただけ。でもこの国では違ったみたいだから、ごめんなさい」



 上手く言葉にならなかった。だけど今感じている悲しさと後悔は捨てなければいけない。自分が勝手にやったことを受け入れられなくて怒るのは、ただの押し付けだから。


 目の前のミズキは眉間に皺を寄せている。俺の感情を捨てて、これからはこんなことはしないと誓う。過去は変えられないけど、反省を未来に生かすことはできる。



「カメト。理解してやれなくてごめんな」


「いや、俺が悪かったから」


「それは違う。嬉しかったからな」



 そう言ったミズキは、視線を彷徨わせるとうさぎりんごに目を止めた。


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