第15話 亀兎、お姫様抱っこされる。
残った力を振り絞るように、獣人化する。これなら体重が半分以下になるから運びやすくなると期待してのことだった。
しばらくしてズルズルと陸に引き上げられた。河原の草の香りと共に、ゆっくりと酸素を身体に取り込む。薄く目を見開くと、タオルに包まれた少年が肩を震わせていた。
「彼を、温めないと」
起こそうとした身体は、グイッと肩を押されて止められた。見上げると、ミズキが泣きそうな顔で俺を見下ろしていた。
「彼のことは医者と彼の保護者に任せろ。今は自分の心配をしてくれ」
「俺、役に立てた?」
「ああ、カメトのおかげだ。でも無茶はしないでくれ」
囁くような声に頷いて微笑む。ミズキが心配してくれただけで、下がった体温が上がる気がした。
「宰相様、補佐の方にもタオルを」
「ありがとうございます」
ミズキは俺にタオルを被せて、身体を拭ってくれる。屋敷を出たときのクールな雰囲気はすっかり消えて、屋敷の中でみせる素の表情が覗いている。焦りが滲む姿は生き物らしさがあって好ましい。
ミズキの表情をぼんやり見ていたというより見惚れていると、急に近くに二人の獣人が跪いた。
「宰相様、補佐様。我々はパン屋です。この度は愚息を救ってくださりありがとうございました」
俺も慌てて身体を起こすと、今度はミズキが背中を支えてくれた。二人の獣人はあの少年の両親だろう。だけどさっきあの少年の両親は殺されたと聞いた気がしたけれど。
「養父母ですか?」
「はい。店を手伝ってもらう代わりに我が家であの子を預かっております」
「里親制度へのご協力、感謝いたします。今は彼の体調を回復させることを一番に考えてあげてください」
ミズキの言葉に、へこへこと頭を下げた二人は少年の元に戻る。そのまま少年を抱き上げて街に消えて行った。
「我々も帰りましょう」
「はい」
ミズキに手を貸してもらって立ち上がる。一人で立とうとしたらふらりと足元が揺らぐ。そのままへたり込みそうになったところをミズキが支えてくれた。
「ありがとうございます」
「このまま行きますよ」
肩を借りて屋敷に向かう。周りの人たちはずぶ濡れの俺を支えるミズキに道を開けてくれる。俺を見る目は未だに痛いけれど、行きの道よりもほんの少しだけ気にならなかった。
「そういえば、あの少年のご両親は養父母なんですか?」
「ええ、前にも話しましたが、獣人化のスキルは遺伝しません。彼も両親が獣人化のスキルを持たなかったので森で暮らしていて、彼は孤児院に引き取られました。孤児院では里親制度、つまり養父母を募集していますから、それでパン屋に引き取られたのでしょう」
「そのご両親が亡くなったのですか?」
「ええ。ですがみんなの森では他種族の動物を狩ることはどの国にも認められた権利です。彼の両親も狩猟で亡くなりましたし、その遺骨の一部も条約通りに狩猟を行った国から返還されています。法律上咎めることができない、ありふれた死です」
ミズキは声のトーンを落とすだけではなく、より俺に近づいてきた。あまり耳心地の良い話ではないからだろう。いくら法律で定められていても、大切な人が殺されたと思えば簡単には納得できないだろう。
「ミズキは彼に詳しいですね」
「それは遺骨の返還の際に資料に目を通しましたから」
ミズキはそう言ったきり黙ってしまった。ジッと見ていてもそれ以上話してはもらえなさそうで、俺も諦めて歩くことに集中した。
それだけのことしかしていないにしてはやけに詳しい。きっと彼のことを気に掛けていたのだろう。彼のことだけじゃない。きっと同じように悲しむ人々のことを気に掛けているんだと思う。
それならやっぱり、俺は俺のやるべきことをやるべきだ。ミズキが気にしているものを少しでも肩代わりすること。それは補佐の仕事だと思うから。
ミズキが気に掛けている人の話を聞いて、その悲しみや憤りを俺が受け止める。なんて、どこまでやれるかは分からないけれど。
これからの決意を固めているうちに屋敷についた。ミズキが屋敷の敷地に繋がる門を開けると、屋敷の中から侍女長さんが飛び出してきた。その手にはタオルが握り締められている。
「お坊ちゃま! カメト様!」
「侍女長、風呂の用意を」
「できております。すぐにお連れいたしますから、お坊ちゃまも濡れた服を着替えていらしてください。さ、カメト様。こちらを羽織ってください」
やけに用意が良い侍女長さんにあれよあれよという間にタオルを被せられて、あろうことかお姫様抱っこされてお風呂場に連行された。恥ずかしさよりも、細腕の侍女長さんに軽々と抱き上げられたショックの方が大きい。
脱衣所に放り込まれて、侍女長さんが服を脱ぐことも手伝ってくれた。本当は自分でやりたかったけれど、水で服がくっついてしまって一人では脱ぐことが難しかった。物凄く恥ずかしい。
「街の方からご連絡をいただきました。カメト様は勇敢ですね」
「いえ、無我夢中だっただけです。それに最初にすぐ動いたのはミズキですから」
「ふふっ、お坊ちゃまはクールに見せて街のみなさんを大切に思っていらっしゃる、心の温かいお方ですから。幼いころからお世話をしている私が言うのですから間違いありません」
俺の腕から上着の袖を引き抜きながら話していた侍女長さんは、懐かしむように目を細めた。そういえば侍女長さんはいつからミズキと一緒にいるのだろう。幼いころを知っているなら、宰相になってからというわけではないだろう。
「ふふっ、私とお坊ちゃまの出会いが気になりますか?」
「ええと、はい」
俺の考えはお見通しらしい。こうもあっさり見抜かれてしまうと、誤魔化そうという気持ちすら消えてしまう。侍女長さんは服を脱いで腰にタオルを巻いた俺を追って浴室に入る。そして一枚置かれたパーテーションの裏に侍女長さんの影が座った。
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