第13話 亀兎、守るものを得る。


 俺は少年に向き直ると、もう一度少年の目をジッと見つめる。深紅の瞳が揺らいだ。



「俺はこの街で宰相補佐としてお世話になることになったので、話があれば宰相の屋敷に来ていただいても構いません。素手なら俺を殴っても構いません。ただし、宰相や屋敷の他の方に危害を加えるようであれば相応の対応をさせていただきます」



 少年は目を見開く。周囲の人たちもざわざわと動揺していることが分かる。俺はべつに危害を加えられたいわけじゃない。痛いことも嫌いだし、もう一度殺されるなんてまっぴらごめんだ。


 それでも俺がこの街で暮らす中で、できることはやりたい。ミズキが環境や国政の方から国を守るなら、俺は心に寄り添って国を守りたい。その中で不満や不便を拾い上げてミズキの役に立てるなら、多少の不利益は被ってやる覚悟だ。


 どうせ印象は最悪なところから始まっているんだ。恐れるものは殺されることくらいだ。やれることは全てやってやる。



「皆さんもどうぞ、日々の不満や不便を話しにいらしてください。俺にできることなんて話を聞くことくらいです。それだけのことしかできませんが、できることを一つ一つ、やらせてください」



 俺が立ち上がって周囲のうさぎたちにも声を掛けると、みんな困惑しながらも頷いてくれた。まずはここから。少しずつ、街のみんなに受け入れてもらえるように頑張るだけだ。



「それでは、今日はこれで失礼しますね。宰相、時間を取らせてしまい申し訳ありません」


「いえ、構いません。行きましょう」



 宰相は凛々しい表情を崩さずに、何故か俺の腰に腕を回してエスコートをするように歩き始めた。



「えっと、宰相?」


「気にするな。行くぞ」



 ぼそりと呟かれた声は仄暗くて、もしかしなくても自分がとんでもないことをしてしまったのではないかと思う。考えてみれば、あんなのは自己満足に過ぎない。俺だけじゃなくてミズキと侍女長さんを危険に晒す危険だってある。


 自分がどれだけ平和な世界でのうのうと生きてきたのかを突きつけられた気がする。あんな殺され方をしてもまだ、他人を信用してしまう。いや、正確に言うなら、信用したい。


 だってその方が楽だから。疑うよりも信じる方が、ずっと楽。裏切られたときが怖いけど、それを考えなければ一番楽だと思う。


 橋を渡って森に入る。周りを確認しながらしばらく歩いたミズキは足を止めた。そしてぐるっと振り向くと黙ってジッと俺の目を見つめてくる。俺が話すことを待っていることはすぐに分かった。



「ミズキ、ごめん。ミズキと侍女長さんのことを危険に晒すような真似をして、ごめんなさい」


「違う、私が言いたいのはそんなことじゃない」



 俺が頭を下げるよりも先にミズキは言い切った。その勢いに俺が動きを止めると、ミズキは俺の腕を引いて自分の胸に押し込めた。



「もっと自分を大切にしてくれ。他の奴らには異種族の奴でしかなくても、私にとってはただ一人の大切な相手で、大切な部下だ。失いたくないんだ」



 ミズキは押し殺したような声で懇願してくる。俺は久しぶりに言われた言葉に戸惑った。学校では孤独だった。会社では無能な駒だった。家族も俺が社会人になってすぐに亡くなっていたし、俺を大切だと言ってくれる人はもういないと思っていた。


 自分を大切にする。そんな考えはいつの間にかどこかに消え去っていた。



「ミズキ、ありがとう」



 だけどやっぱり、俺はこれから自分よりもミズキを大切にしてしまうんだろうな。俺を大切に思ってくれるミズキを、俺も大切にしたいから。大切で尊敬している上司、それ以上に大切にしたい相手だと思えたから。



「カメトが国のために頑張ろうと思ってくれたことは分かった。でも、今後絶対に無茶はしないでくれ。私が傍にいれば止めるが、私のいないところでは絶対に気を付けて欲しい」


「分かった。でもミズキ、俺の傍から離れないでいてくれるって言ってなかったっけ」


「離れなくて良いのか?」


「そうは言ってない」



 目の前でミズキの目がギラッと光る。もしかしなくても自分がとんでもないことを言ってしまったと気が付いて首を振ると、ミズキはニヤリと笑いながら俺を解放した。



「もちろん私はカメトから目を離さないし、他を見ることもない」



 いたずらっぽい笑みを浮かべたミズキは森のさらに奥に向かって歩き始める。俺が慌ててその背中を追うと、足が何かに引っかかってバランスを崩した。



「おわっ!」



 そのまま前につんのめると、俺の声に反応して振り返ったミズキの胸に飛び込む形になってしまった。



「ご、ごめん」


「大丈夫か?」



 体勢を立て直す俺を、心配が滲む呆れ顔のミズキが覗き込んできた。コケてしまった恥ずかしさでミズキと目を合わせることができない。



「うん、ちょっと引っかかっちゃって」


「全く、手でも繋いでいてやろうか?」



 差し出された手に、俺は素直に手を乗せた。そのまま握り締めたけれど、ミズキから反応がない。どうかしたのかとそっとミズキの表情を窺うと、口を金魚のようにパクパクさせている。



「ミズキ?」


「えっと、冗談だったんだけど」



 小さく呟かれた声に、今度は俺が恥ずかしくなった。だけど今更手を離すのも負けた気がする。



「行こ」



 俺は繋いだ手を引いて先を歩く。この選択も恥ずかしくないわけではないけれど、戸惑うミズキの表情を窺うと気分が良かった。


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