第11話 亀兎、覚悟する。
状況からドキドキを感じながら、自分がこの先のものを欲している事実にまたドキドキする。背徳感ってやつだ。
「おはようござ……あらあら、まあまあ。ふふっ、終わったら食堂にいらしてくださいね」
慌てて目を開けて部屋の入口を見ると、侍女長さんがニヤニヤ笑いながらルンルンとお辞儀をして部屋から出ていった。目の前には侍女長さんのことは気にせずに迫って来るミズキの顔。
「お、俺はご飯を食べます!」
ミズキの胸を押して、ミズキの腕から逃れる。さっきまで全然逃げられなかったのに、あっさりとミズキの腕をすり抜けることに成功した。自分が本気では逃げる気がなかったことに気が付いて膝から崩れ落ちそうになる。
グッと足に力を込めて、そのまま部屋を飛び出す。あのままあそこになんて居られるか、いや無理だ。ついため息が零れる。良く言えば適応力が高いけど、単に流されやすくて考えなしなだけだ。そんな自分に嫌気がさす。
「侍女長さん、おはようございます」
「あらあら、まあまあ。カメト様、おはようございます」
走って追いついた侍女長さんに、さっきできなかった分の挨拶をする。侍女長さんはゆったりと振り返ると立ち止まって美しい礼を返してくれた。きっと俺が近づく足音は聞こえていたんだろうな。
「あら、もう、よろしいので?」
ニヤニヤと笑う侍女長さんにカァッと顔が熱くなった。見られていただけでも恥ずかしいのに、掘り起こされるとさらに恥ずかしい。
「いや、あの、あれはですね、そういうわけではなくて……」
「ふふふ。カメト様、私は嬉しいのです。お坊ちゃまがあんなに人間らしいお顔を私以外に見せていらっしゃるなんて、宰相となられてからは初めてですからね」
柔らかく目を細めた侍女長さん。つまり、ミズキが宰相になる前からミズキに仕えていたということだろうか。獣人化の能力は両親にその能力がなくても発現する可能性は大いにあると昨日学んだ。ミズキもその一人で、侍女長さんが世話をしていたとしてもおかしくはない。
「カメト様、お坊ちゃまのことを何卒よろしくお願いいたしますね? ふふふ」
意味深に笑った侍女長さんはちょこんと頭を下げるとさっさと歩き出す。廊下に侍女長さんの優雅な笑い声が響いていて、俺は慌ててその背中を追いかけた。
食堂に着いてからも笑っている侍女長さんに恥ずかしさで居たたまれなくなっていると、髪を乾かしてから来たらしいミズキも食堂にやってきた。さらりと揺れる薄桃色の髪の後ろがちょこんと跳ねていることを見つけてしまった。
隣に着席したミズキの肩を静かに叩くと、ミズキは少し不機嫌そうにこちらを向いた。
「なんだ?」
「後ろ、跳ねてる」
跳ねているところが分かるように触りながら囁くと、ミズキは目を見開いた。そして机にゴンッと勢いよくおでこをぶつけた。
「ちょ、大丈夫?」
「あらあら、まあまあ。お坊ちゃま、おバカさんになりますよ」
「侍女長、私に少しくらい馬鹿になれと言ったのは其方だぞ」
ミズキの返事に、侍女長さんはふふふ、と微笑んで給仕を始めた。顔を上げて拗ね顔を見せていたミズキも、何故か急に上機嫌になって跳ねているところを手で触り始めた。
「どうしたの?」
「いや。なんでもない」
ミズキは上機嫌のまま食事を終えると、食後に水を1杯ゴクゴクと勢いよく飲み干した。そんなに勢いよく冷たい水を飲んだら、俺はお腹を壊す。ちょっとだけ心配。
「カメト。寝室に着替えを用意しておいた。着替えたら森の様子を見に行くぞ」
「分かりました」
ミズキが自分で用意したのかな。ちょっと驚きながら、自分の部屋に戻るミズキと一緒に俺も自分の寝室に戻った。
ミズキが言う通り、寝室のベッドの上に箱が置かれていた。その中には昨日ミズキが着ていた宰相服と色違いの服が用意されていた。
チャイナ服のような服に、前にほとんど布がない白くて二の腕だけ黒いデザインのベスト。それからダボッとしたズボン、そして白い皮に黒い底が打ち付けられた革靴。帯と言えば良いのか、ベルトと言えば良いのか。薄桃色の水引のような紐が付いた腰に巻くものも用意されていた。
チャイナ服はミズキの若草色のものとは色違いの水色で、黄色いタンポポの花が大きくいくつか刺繍されている。胸元がひし形に切られていて、その頂点には1つ大きな透き通る黒い石が埋め込まれている。確かミズキはエメラルドグリーンの石だったと思う。
「豪華だな」
七五三を思い出す装い。それを纏って鏡に映る自分はあまりにも不格好で笑える。これを着こなすのは時間が掛かりそうだ。
「カメト。着替えたら出るぞ」
「はい」
慌てて部屋を飛び出すと、ミズキが昨日と同じ服を着て立っていた。つまり俺とイロチノオソロ。言葉にすると恥ずかしい。
「なかなか良いな」
「ありがとうございます」
「私のものになったようだ」
「双子みたいですよね」
最大限の悪足掻き。ミズキは苦笑いを浮かべたけれど、最後は優しく微笑んでくれた。
「行くぞ」
「はい」
今はまだ、これが俺の精一杯。愛とか、恋とか。分からないけど。ミズキの隣に立てるように、まずは頑張ろう。
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