第10話 亀兎、恋煩う。
あの一件以来、ご飯の時間まで一緒にいたけれど、俺はなんとなくミズキを避けてしまった。ミズキが嫌とかそういう気持ちはない。元はといえば、俺が悪戯を仕掛けてミズキの気持ちを弄ぶようなことをしたせいだ。
だけどどうにも恥ずかしい。恥ずかしくて、目を見られない。あの恍惚とした目が頭から離れなくなった。それまでだって欲を孕んだ目を見たけど、そこまで理解していなかったんだと思う。
恋愛感情なんて、持ったことも向けられたこともない。避けることは良くないと小説や漫画、アニメにドラマ。色々な媒体に文句を言っていたのに、実際に自分がその立場になると無理だった。リア充、ごめん。
「お坊ちゃまはカメト様のことを随分とお気に召したようでございますね」
なんて侍女長さんが言ってくれた言葉に勇気をもらった。もちろんあんなことをされてストレートに言葉もくれたから、今考えれば気に入られていることは分かる。だけど恥かしさに打ち勝てずにずるずると顔を背けてしまった。
その状態のままお風呂をいただいて、スーツ以外に物がない部屋のベッドでごろりと寝転がった。念のためミズキの寝室に繋がっている扉の鍵は掛けさせてもらった。事前に宣言しておいたから大丈夫だろ。鍵を開けられたら、どうしよ。
「どーしよ」
深くため息を吐く。話をするべきだとは分かっているけれど、やっぱり恥ずかしくて堪らない。目を見たら、俺が俺じゃなくなる気がする。
もやもや考えていると全然眠れない。かと思ったけれど、流石に知らない世界にいきなり放り込まれて、疲れないわけがなかった。自然とまどろんでくる。何かカチャリと音がした気がしたけれど、それを確認することもできずにスッと眠りについた。
*****
朝日に照らされて目が覚めた。寝たら少し頭がすっきりした気がする。身体を起こしてグイッと伸ばすと、呼吸もしやすくなった。そこでふとベッドサイドに置かれたチェストに紙が置かれていることに気が付いた。
〝カメトへ
突然申し訳なかった。
私は嬉しかったが、カメトは嫌だったのか。
避けられるのは悲しい。隣にいるのに孤独だ。
もし怒っていないようなら話がしたい。
ミズキ〟
淡々とした文章。だけどどこか悲し気に見えるそれに胸が締め付けられた。
昨日は俺の一挙手一投足で照れたり拗ねたりするのが擽ったくて嬉しかった。それを思い出せばすぐに分かることだった。俺が避ければミズキは傷つく。簡単な話だったんだ。
俺は昨日より手早くスーツに着替えて、隣のミズキの寝室と繋がる扉の鍵を開けた。扉をガチャリと押し開けると、部屋はもぬけの殻だった。探しに行こうと自分の部屋に戻ろうとしたとき、ガチャリという音と同時にミズキの寝室の扉が開いた。
「え、カメト?」
「わっ、ご、ごめん、勝手に入って……って、え、あ、ごめん!」
ミズキは上半身裸で、薄桃色の髪をタオルで乾かしている姿だった。均整の取れた腹筋だとか、二の腕の形が俺好みだとか。一瞬にしてそんなことが頭を駆け巡っていって、恥ずかしさのあまり自分の部屋に逃げ込んだ。
「また、避けちゃった」
ここまでくると自己嫌悪するしかない。扉に背を預けてズルズルと座り込んで頭を抱える。どうして俺はこうも自分勝手なんだろう。
「はぁ」
ため息をついた瞬間、身体を支えるものがなくなってグラリと世界が傾いた。
「わっ!」
「おっと。ここにいたのか。すまない」
トンッと支えられて、上から優しい声が降ってくる。思わず身体を固くしてしまったけれど、ミズキは何故か俺の背中をスルスルと撫で回す。
「え、えっと、ミズキ?」
「あぁ、すまん。カメトの背中の感触が心地よくてな。っと、そうだ。何か用があったのだろう? さっきはあんな格好ですまなかったな」
「いや、俺が勝手に部屋に入ったのが悪かったから。俺の方こそ、あれからずっと避けていて本当にごめんなさい」
「それはべつに……いや、待てよ」
ミズキは言いかけた言葉を飲み込んだ。何かを思いついたような口ぶりで動きを止めた隙に、そっとミズキの方に身体を向けた。白シャツを羽織るだけ羽織っているから腹筋がチラ見えしている。大好物の二の腕が見えていないだけ俺の心臓は大人しい。邪な人間でごめんなさい。
「カメト。私の目を見てくれたら許してやる」
ミズキの甘い囁きに肩が跳ねる。目を見るなんてただそれだけのこと。今まで誰にだってやってきたこと。だけど今。ミズキが言うとこれ以上に意地悪な条件はない。
だけどここで目を見ないと、話をすることだって叶わないかもしれない。それならやってやるしかない。ここで男気を見せなくてどうする。
半ばやけくそ。半ば勢い。バッと顔を上げると、ミズキの若草色の瞳がドロリと甘く蕩けていた。一秒も目を合わせていられなくて、すぐに目を逸らしたくなる。だけどミズキはそれを許してはくれなかった。
顎を掴まれて、物理的に身動きを取れなくさせられた。俺も男だし、それなりに力はある。だけどミズキの力と有無を言わせないような圧に押さえつけられると動けなかった。
「は、離して」
「そうだな。今後私から目を逸らさないと、目を離さないと誓うなら離してやる」
どうにか絞り出した声に、ミズキはニヤリと笑って返してきた。想定外の返事に口をパクパクさせていると、ミズキの顔が急に綻んだ。手は放してくれないけど。
「そんな顔をしていると、色欲うさぎに食われるぞ?」
冗談めかして言ってくれているけれど、目の奥が笑っていない。甘い空気に身体が溶けてしまいそうで、身体に力が入る。
気を抜いたら、ミズキに身を委ねそうな自分に驚く。この欲しいという感情は恋に起因しているのか、ミズキの甘さに味を占めたのか。自分の奥底で燻る欲望をコントロールできない。自分が自分じゃない。
「カメト、その顔は自惚れても良いのか?」
ミズキは喉を鳴らすと、ゆっくりと顔を近づけてくる。俺が拒めるくらい、ゆっくり。だけど俺はそれを拒めそうにない。
出会ってまだ一日も経っていない。そんな相手に、あり得ないほど狂わされる。だけどそれが嫌ではなくて、受け入れてしまいたいと思ってしまう。
俺はどんな言葉で答えれば良いのか分からなくて、俺はただ目を閉じた。
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