第8話 亀兎、うさぎを知る。


 まずはミズキの書斎を出てすぐ隣の部屋に案内された。部屋の内装はミズキの書斎とよく似ている。



「ここは代々宰相の伴侶が住む部屋だ。空いている部屋はここしかないからここで生活してくれ」


「いやいやいや。さっき部屋は余っていると言っていませんでしたか?」


「敬語」



 ミズキはムッとしながら距離を縮めてくる。顔が近い。近いんだよ。顔が良すぎるし、ちょっと可愛いなとか思わなくはないし。


 そうだ。もう大型犬だと思おう。そうでもしないと心臓が持たない。殺される。よく少女漫画のヒロインたちはあんなキラキラしたイケメンを前にしても生きていられるよね。尊敬する。



「ごめんって。あのさ、本当にこの部屋しかないの?」


「ない」


「即答……」



 一応俺はこの屋敷でお世話になる身。それに宰相補佐の役職に申し出てしまったのも俺だ。俺の希望ばかり通してもらうのもな。流石にこれ以上詰め寄るのは気が引ける。



「分かりました。ここでお世話になります」


「そう言ってくれて嬉しいよ。因みにあの奥の扉は私の寝室と繋がっている。好きな時に行き来できるからな」


「鍵かけても良いですか?」


「良いぞ。私は屋敷中の鍵を持っているからな。かけても開けるだけだ」


「意味ないじゃないですか」


「なあ、さっきから敬語なのはわざとか?」



 またジリジリとミズキが近づいて来る。めちゃくちゃ人懐っこい大型犬。ミズキは大型犬。


 自分に暗示をかけてどうにかやり過ごそうとするけれど、目の前で揺れているうさ耳はどう見ても犬じゃなくてうさぎ。ミズキの顔の綺麗さも誤魔化せない。



「あの、近い」


「わざとだ」



 でしょうね。じゃなきゃ鼻先がくっついた瞬間にニヤッとしたり顔で笑ったりなんてしないでしょ。クールなときは表情が読みにくくて困るけど、素の状態もそれはそれで扱いに困る。



「なあ、やっぱり俺の伴侶にならないか?」


「さっき宰相補佐の書類にサインしたでしょ」


「大丈夫だ。あの契約書にはちゃんと、〝婚姻関係になることもことも厭わない〟という文言がある」



 そんな文言があっただろうか。今更ながら契約書をざっくりとしか読まない自分の粗雑さに嫌気がさす。


 宰相さんはようやく顔を離してくれた。と思ったら今度はおでこを突き合わせて満面の笑みを浮かべている。離してくれる気がないことだけは伝わってくる。こんなちっちゃいフツメンな亀のどこが良いんだか。



「因みにあの文言は元々契約書に記されているものであって私が書き加えたものではないからな。共同生活をしていれば身分など関係なく何かの機会に気が向いて妊娠出産、なんてことはこの国ではざらにある」


「婚姻関係になくてもですか?」


「ああ。双方の合意があれば血縁者でも行きずりの者でも、それこそ職場の者でも構わない。婚外子なんてごろごろいる。近くにいる者ほどその可能性は高くなるだろうな。とはいえ位が高い者は婚姻関係にある者以外との間に子を成すことは推奨されないから、事故であっても妊娠すれば結婚すると契約しているんだ」



 流石に動物の国。未だに仕組みについてはよく分かっていないけれど、繁殖についても俺が知っている知識が該当するものはありそうだ。



「うさぎは寿命が短くて肉食獣の国から狩猟の対象として見られることが多いからな。婚姻関係にこだわってばかりはいられない。一つでも多くの命を産んで、その中に獣人化の能力を持つ者が生まれれば国の維持に欠かせない存在として重宝される」


「うさぎの寿命って?」



 俺の質問に、ミズキはようやくおでこを離してくれた。その目には少し寂しさが滲んでいるように見えて、聞いてはいけなかったかと後悔した。



「だいたい七、八年だな。獣人化年齢でも五十歳くらいの見た目まで。ちなみに侍女長が七歳、俺は三歳だ。獣人化の能力も親の能力に寄らないし、能力がない親の元に生まれた子で孤児院は大忙しだ」



 ミズキは努めてなんでもないことのように話してくれた。でも俺はうさぎの寿命事情に何も言えなくなった。侍女長さんはもうすぐ寿命を迎える。ミズキだって何事もなくてもあと四、五年の命ということだ。短すぎる命に、俺は唇を噛んだ。


 ミズキはふわりと笑って俺を見下ろすと、ポンポンと頭を撫でてくれた。



「命は流転する。死んでまた蘇ると考えるのがこの国の伝統だ。まあ、俺の死を考えて悲しんでくれるならそれはそれで嬉しいけどな」



 おどけたように言ったミズキは、何も言えずにいる俺を包み込むように抱き締めてくれた。



「安心しろ。カメトのために俺は長生きするから」


「俺はただの補佐だから」


「いや。俺の大切な人だ。初めて見た瞬間、心臓を掴まれた気がしたんだ。先に捕まえたのはカメトなんだから、離すなよ?」



 目の前にあるのはミズキの胸。だから表情は全く読めない。だけどきっと真剣な顔をしているんだろうなって想像がついてしまうから、顔が熱くなった。好き、とかは分からない。でもミズキのことを嫌いじゃないとは思う。



「さてと。カメト、他の部屋も案内する。行くぞ」



 急に身体を離されたかと思ったら、手を絡めとられてグイグイと引っ張られる。全く子どもっぽい。ちょっと可愛いと思えてしまうのは、きっとそのせいだ。



「手を離せって」


「離さないって言ってるだろ?」



 いたずらっぽく笑ったミズキは、俺の手を引いたまま。そして本当にそのまま屋敷中を歩き回ることになったとさ。



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