第7話 亀兎、名付ける。
宰相さんの補佐になったとはいえ、今日はお休みの日らしい。書斎の本を見せてもらっていると、どの本のタイトルも滞りなく読むことができて感動した。だけどこれは少し困ったことで、元の言語が分からない。
「あの、宰相さん」
宰相さんに聞いてみようと思って呼びかけると、机で何やら書き物をしていた宰相さんは不満げに顔を上げた。机に肘をついてその上に顎を載せると、小さくため息を吐く。
「その宰相さんという呼び方、家では止めてもらって良いか?」
そう言われて思い返すと、侍女長さんはお坊ちゃまと呼んでいた。
「すみません。えっと、お坊ちゃま?」
「それはもっと止めてくれ」
肘をガクッと滑らせた宰相さんは苦々しく眉を顰めた。けれどすぐに何かを思いついたようで、パッと表情を明るくした。
「そうだ。カメトのように何か名前を考えてくれないか?」
子どものように無邪気に笑う宰相さんは肩を左右にゆらゆらと揺らして俺を見つめる。うさ耳もぴょこぴょこと動いていて、欲望のままに動いて良いなら撫で回したい。
「俺が考えて良いんですか?」
「構わない。むしろカメトに考えて欲しい」
宰相さんは期待に満ちた目を向けてくる。そこまで期待されるとプレッシャーが凄い。だけどそれに応えてあげたい気もしてくるから困る。
薄桃色の耳と髪、若草色の瞳。それから白い毛並み。その色から連想しようかと思ったけれど、三色団子しか浮かばない。ミシキ? もしくはダンゴ? それとも範囲を広げてワガシか、ワカコ? だけど流石にそれを名前にするのは申し訳ない。
悩んでいると、揺れる宰相さんに既視感を感じた。なんだろう。三色団子は揺れないから違うと思うけど。サクラかな。でもそれよりもっと、宰相さんに似ているものを見たことがある気がする。
「あっ」
「ん? なんだ? 思いついたか?」
俺が声を漏らした瞬間、宰相さんは食いついてくる。真ん中が若草色で、周りが白から薄桃色になる花。実家の畑の脇に生えていたものが懐かしい花。
「ミズキって、どうですか?」
ハナミズキ。カラーバリエーションはあるけれど、実家にあった木は宰相さんとよく似た色をしていた。
「ミズキか」
宰相さんは噛み締めるように呟く。気に入らなかったらどうしようか。やっぱりダンゴかな。窓の外からインスピレーションを得られないかな、と宰相さんの向こうに広がる外の景色にも目を向ける。
「気に入った」
「え?」
弾むような声に宰相さんの方を見ると、宰相さんは満面の笑みを浮かべていた。
「だから、気に入ったと言っている。カメト。これからは屋敷の中や二人きりの時はミズキと呼べ」
「は、はい! えっと、ミズキさん?」
「呼び捨てで良い。ついでに言うが、屋敷の中では敬語もいらない。息が詰まる」
「分かり……分かった。ミズキ」
俺が頷くと、ミズキは満足気に何度も自分の新しい名前を呟いた。そこまで気に入ってくれたなら良かった。だけどちょっと思い出したことがある。
ハナミズキの花言葉。花が好きだった母さんが言っていた。色によって違ったはずだけど、〝永続〟とか〝逆境に耐える愛〟とか。あとは〝私の気持ちを受け止めて〟なんてものがあった気がする。せめてピンクのハナミズキの花言葉が〝永続〟であることを願うしかない。
この世界にハナミズキが存在するのか、花言葉という概念があるのか。分からないけれど、恋愛の方面に紐づけられてしまったら困る。ただでさえ一目惚れ、とか言われたのに。
そうだ、そうだよ、言われたよ。告白されちゃったんだよ。
勝手に思い出して顔が熱くなった。出会ったばかりの人であっても、ストレートに好意を伝えられたら嬉しいに決まっている。もちろんそれが同じ感情を返せるかどうかは別だけど。
「それで、カメト。何か聞きたいことがあったんだよな?」
「あ、うん。ここにある本の中にうさぎ語以外の言語で書かれたものはありま、あっ、ある?」
「ふっ」
慣れなくて敬語が混ざりかけたのを誤魔化しきれなかった。ミズキにも笑われてしまってちょっと恥ずかしい。
ミズキはきっと顔が赤くなっているだろう俺を見てニヤニヤと美形が台無しになるくらい溶けた顔で見てくる。そのまま立ち上がって、俺の方に歩いてくると本棚に並ぶ本の背表紙をするりと撫でた。
「見れば分かると思うが。そうだな。この辺りは外国の書物だ。辞書を使わなければ読めないが、各国の書物を少しずつ集めている。これはやぎ語、くま語、ねこ語、こっちはへび語だな。らくだ語はここにはこの一冊しかないが、王城図書館にはもう少しあるはずだ」
辞書を使わなければ読めない。裏を返せば辞書を使えば各国の書物が読めて、そんな大変なことをしようという意思があるということだ。イメージしていた堅物宰相ではないけれど、やっぱりミズキは国のことを考えている立派な宰相なんだと思う。
「宰相と宰相補佐には王城図書館への出入りが認められている。行きたいときは私も行くから、声を掛けてくれ」
「良いの?」
「当然だ。私がカメトと一緒にいたいからな」
ミズキはそう言うと本棚に手をついた。何故か俺を両腕の間に挟んだ状態で。顔が近い。近い過ぎる。若草色の瞳いっぱいに俺が映っている。顔が赤くなっているかは瞳を見ても分からない。俺はもう視線を逸らすことしかできない。
「カメト」
この声。甘い、囁く声。声だけでどろどろに溶かされそうになるように錯覚する。腰抜けそう。
「失礼します。あらあら、まあまあ。お邪魔でしたか?」
ノックなしで部屋に入ってきた侍女長さんはゆるゆるとニヤけた顔を手で覆いながら、指の隙間から俺たちを見ている。
「侍女長、どうした?」
ミズキは俺から離れない。そのまま侍女長の方を向く。この状況を恥ずかしがる様子もない。侍女長さんも楽し気だし、恥ずかしがっているのは俺だけな気がする。
「カメトさんに御屋敷をご案内しようと思ったのですが」
「それなら私が案内しよう。行くぞ、カメト」
「え、お仕事は?」
「言っただろう。今日は休みだ」
さっきまで真剣に何か書いていたくせに。だけど優しい人だということは分かっている。ここは何も言わずについて行こう。
さっき本棚にドンされたことについては物申したいけどね。
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