第6話 亀兎、口論する。


 いや、おかしい。俺は働かせて欲しいだけだったのに、どうしてこうなった。目の前のドロドロとした甘さから逃れるために頭を振る。



「い、いや! やっぱりおかしいと思います。働かずに住まわせてもらうなんてできませんよ」


「私はカメトと主従関係にはなりたくない。だから働かせない」



 俺の抵抗はあっさりと一蹴された。けれど俺だって引くことはできない。それは何もしないで優雅な暮らしをすることに憧れがないわけではない。だけどきっとすぐに申し訳なくなってしまうだろうし、そんな気持ちでは一緒にいられない。



「この家は宰相の職にある者かその伴侶、その従者しか居住が認められない。ああ、そうか。カメトが私の伴侶になれば良いのだな」



 宰相さんはそう言うとニヤリと満足げに笑った。けれど俺は突然過ぎる提案に口をポカンと開けてしまった。宰相さんがさっきから何を言っているのかさっぱり理解ができない。



「あの、宰相さん? いくつか質問をしても?」


「構わない」


「それじゃあ、えっと、まず今の宰相さんと外での宰相さんは、人格は一緒ですか?」



 俺の質問に宰相さんは首を傾げる。それはそうだ。俺だってこんな聞き方で合っているのか分からない。けれどこの変わりようの理由を聞かないと、気になって先に話を進められない。



「あの、口調とかキャラが、外とは違う気がして」


「ああ、そういうことか。外での私は公のものとなる発言をすることが多いからな。発言にも、日頃の態度にも気を付けている。しかし気を許した者しかいない家の中でまでその姿勢を保つ必要はない。カメトもその内慣れるだろう。まあ本当は、もう少し猫を被るつもりだったんだがな」



 宰相さんは小さくため息を零した。その時の覇気のない顔も相まって、宰相さんの気苦労に触れた気がした。確かに俺も家の外ではダラダラしないように気を付けているし、必要な気配りだと思う。



「それじゃあ、その、さっきから伴侶とか言ってますけど、その役に俺が収まっても良いんですか? 宰相さんなら良いお相手もいるでしょうし、跡継ぎとかも必要でしょう?」


「跡継ぎ? いや、王族ならまだしも他の役職は全て実力主義で採用試験を受ける必要がある。いくらうさぎが色欲の象徴とはいえ、重役に就いても子を成すことに意味を感じない者も一定数は存在する。タートランドでは違ったのか?」


「えっと、分かりません。でも、そうする必要があると思いました」



 宰相さんは古い文献にも精通していそうだ。そう考えると明確なことを言ってぼろを出すことは避けたい。



「そうか。それについては追々調べよう。それからカメトが私の伴侶となっても良いかについてだが、私はカメトに一目惚れしている。問題ない」


「……はい?」



 理解が追い付かないまま身体がピシッと固まった。物凄く真剣な顔で何か凄いことを言ってくれた気がする。えーっと、何を言われた?


 あ、そういえばひとめぼれって美味しいよね。冷めても美味しいとか作ってすぐ食べられない人の味方だと思う。



「おい、こちらはこれでも告白しているつもりなんだが」


「コクハク……」



 そうか、これが告白か。鶴岡亀兎は人生で一度も誰かに告白したことも、されたこともなかった。ということは俺にとって人生初の告白イベントか。その相手が、うさぎの獣人のお兄さん、と?


 宰相の職に就いていて、豪勢な家にも住んでいる。簡単に考えれば玉の輿に乗ったと考えるべきだと思う。それにかなりな美形で、薄桃色の耳としっぽも可愛らしい。若草色の瞳だって美しい以外に形容しようがない。


 ただし相手は男。恋愛自体疎かったから相手の性別に対しても男だからどう、というのが分からない。とはいえ手放しに喜べるかと言われても首を傾げたい。正直な感想は、戸惑っているが正解だと思う。



「あの、お言葉は嬉しいのですが、出会ったばかりですし、まだなんとも言えないと言いますか」



 目を見ることができなくて俯いてしまう。これで怒って追い出されるならそれで良い。俺を受け入れてくれる場所を探して放浪の旅でもすれば良い。


 宰相さんは何も言わない。恐る恐る視線を上げて見ると、宰相さんはぷくっとふぐのように頬を膨らませていた。拗ねている、のかな。実際に頬を膨らませる人なんて初めて見た。



「カメト。私は認めないと言っただろう?」


「いや、そう言われましても」



 思いの外わがままな子どものようなことを言う。拗ね顔のままじわじわと近づいて来るのを手で抑えた。何か打開策はないかと考えを巡らせると、ふと気が付いた。


 この屋敷にいて良いのは宰相かその伴侶、その従者。宰相さんは従者になることは認めてくれない。俺は伴侶は遠慮したい。それ以外ではこの屋敷を出ることになるが、宰相さんはそれも認めてくれない。それなら残る道は一つだ。



「宰相さん、俺も宰相のお仕事をします」


「は?」



 今度は宰相さんの口がポカンと開かれる番だ。宇宙猫状態の宰相さんをつつくと、ハッとした宰相さんは深くため息を吐いた。



「さっきも言ったけど、宰相になるには試験を受ける必要がある。試験は前任の宰相、つまり私が辞任するまで開催されないんだぞ?」


「えっと、宰相の補佐みたいな仕事をさせていただきたいんです。屋敷のお手伝いをさせていただけないなら、お仕事のお手伝いをします」


「……補佐。補佐か。えっと、そんな話は聞いたことがないな」



 俺は思いつきで言っただけなのに、宰相さんの目が分かりやすいくらい、もはや罠なのではないかと思うくらい泳ぐ。その目の動きを追いかけていたら俺の目が回りそうだ。



「本当に?」


「いや、えっと……確かに宰相補佐って役職はあるし、今は空席だ。補佐の任命は宰相が直々に行うことになってるし、この屋敷で住まうことになるけど……って、あ」



 動揺して全て話してしまった宰相さんは慌てて口を押えた。そろそろと、俺を窺うように見てくる。悪戯がバレてしまった子どものようだ。



「宰相さん、俺をあなたの補佐にしてくれませんか?」


「うぅ、分かった。分かったよ」



 分かりやすく項垂れた宰相さんは、机の方にふらふらと歩いて行くと紙に何かを書きつけた。



「これが宰相補佐の契約書。内容を確認してサインして?」


「はい」



 俺はザッと目を通して、一番下に名前を書いた。俺は日本語で書いているつもりなのに、手が勝手に知らない文字を書いてくれる。



「うさぎ語も完璧か。宰相補佐として言語能力に長けていることは頼もしいよ」



 宰相さんは項垂れたままそう言って俺の手から契約書を受け取った。そして、どんよりとため息を吐いた。


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