第5話 亀兎、宰相の家に行く。
国王陛下と同じ白いうさ耳の女性。街では青や緑の耳を持つ者も見かけたけれど、全体的には白い耳が多いようだった。
「おかえりなさいませ、お坊ちゃま。あらあら、まあまあ。そちらの方は?」
「お坊ちゃまは止めてください。侍女長、彼の部屋を用意してください」
「かしこまりました」
侍女長と呼ばれた女性に宰相さんは俺のことを説明する様子はなかった。侍女長さんもさらに聞くことはしないらしい。だけど今日からここでお世話になるなら、挨拶はきちんとしておかないと。
「侍女長さん、今日からこちらでお世話になることになりました。亀族のカメトと申します。この国のルールも知らない亀ですが、誠心誠意働きますので、ご指導の程よろしくお願いします!」
「あらあら、まあまあ。ご丁寧にどうも」
「カメトさん。私はあなたを働かせる気はありません。侍女長、私の部屋で彼と少し話してきますので、部屋の方はお願いしますね。カメトさん、こちらへ」
宰相さんは王城の前で見たときのような気迫ある面持ちで俺を見下ろす。思わず喉を鳴らしてしまうと、宰相さんは苦々しい面持ちになった。そしてそれを隠すようにくるっと後ろを向いて階段を上って行ってしまう。
「カメトさん、私とも後でお話しましょうね」
「はい。今は、いってきます」
「はい、いってらっしゃいませ」
侍女長さんに見送られて、ツカツカと歩いて行ってしまう宰相さんを追いかけた。
螺旋階段を上ると、その一番奥の部屋に案内された。正面には木製の机がどっしりと構えていて、左右の壁に天井まで取り付けられた本棚には大量の本が並んでいる。小さな図書館のような空間に、俺は少しテンションが上がった。
ついついそちらに視線を奪われていたけれど、ふと気が付くと宰相さんがジッと俺を見ていた。さっきまでとは違った、慈しむような視線。クールな様子にも戸惑ったけれど、これはこれでどんな顔をすれば良いのか困ってしまう。
「本は好きですか?」
「はい、昔から本は大好きでした。こんな風に本に囲まれた部屋には憧れたものです」
幼少期から本が好きで、自分が家を建てるなら小さな書庫を作りたかった。残念ながら安月給のサラリーマンではまだ遠い夢の話だったし、その夢も命を落として途絶えてしまったけれど。
「それなら、好きなときにこの部屋に来て本を読んでもらって構いません。それから、この部屋の向かいの部屋も書庫ですからお好きに使ってください。うさぎ語の本しかありませんから、読めないものがあれば聞いてください」
「ありがとうございます!」
嬉しくて、少し食い気味に返事をしてしまった。けれどはたと気が付く。俺はこの家に使用人として招かれた。そんな待遇をしてもらっても良いのだろうか。
そんな不安が顔に出ていたのか、宰相さんはフッと柔らかく微笑んでくれた。
「この屋敷には私とさっきの侍女しかいませんから、あまり周りを気にする必要はありません。ですが、街に出るときは私とともに行動をしていただきます。異種族の方に対して街の皆さんが何をするか分かりませんから」
「分かりました」
俺が気にしているところとは少し違った。けれど宰相さんの気遣いが伝わってきて泣きたくなった。知らない世界で、誰も知らない、何も知らない場所に来た不安が少し緩んだらしい。
「それで、俺はこの屋敷で何をすれば良いのでしょうか?」
零れそうになった涙を誤魔化そうと宰相さんに向き直ると、宰相さんはムッとした顔をした。唇を少し突き出しているのは幼さが見えて可愛らしい。
「先ほども言いましたが、私はカメトさんを使用人として扱うつもりはありません」
拗ねているような顔をしているけれど、断固として譲らない。そんな意思が読み取れるようだった。けれど俺だって引き下がるわけにはいかない。もしも何かが起きてこの屋敷を追い出されるようなことになったら。俺には生きていく術がない。
「俺も働かずにこちらでお世話になるつもりはありません。もしも客人として扱われるというのであれば、こちらの屋敷を出てどこか別の場所へ行きます」
行く当てがあるわけではない。だけどここまで良くしようとしてくれている人に甘え続けていられるほど俺は与えられることに慣れていない。
ジッと宰相さんを見つめると、宰相さんは眉間に皺を寄せて怒ったようだった。それでいて眉を下げて悲しそうにも見えて、俺は言い方を間違えたかと焦った。
「認めない」
ぽつりと呟かれた言葉に俺は目を白黒させた。そんなことを言われたことも、丁寧さが失われた口調があの口から発されたことも信じがたかった。
「私は、お前が傍にいれば良い。それ以外は何も望まない」
腕を強く掴まれて、逃れることもできない。ジリジリと迫ってくる若草色の瞳が綺麗だな、宰相さんから香る森の木々と庭の花々の香りが心地良いな、なんて脳が現実逃避を始める。
「ダメか?」
急にしゅんと下から見上げられて思わず視線が泳いだ。俺よりも身長が高いくせに上目遣いに見上げてくるとか、反則過ぎる。
「カメト」
名前を耳元で甘く囁かれると、自然と肩が跳ねた。雄々しさと可愛らしさと色気に同時に襲われて、惚れている相手でもないのにクラリとしてしまう。
「良いん、ですか?」
思わず口をついて出た言葉に慌てて口を噤む。けれどそれはしっかり宰相さんの耳に届いていたようで、はちみつのようにどろりと蕩けた視線を向けられる。
俺は自分が間違って少女漫画の世界にでも転生させられてしまったんじゃないかと考え始めるくらいには動揺して、同じくらい胸のときめきが隠せなくなっていた。
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