第2話 亀兎、うさぎと出会う。


 顔がチクチクする。目を開けると目の前には草むら。身体を起こしても草むら。いや、身体を起こしたはずなのに視点があまりにも低い。何かがおかしい。目の前にある緑色の岩のようなもの、これはなんだ? 見慣れないけど、見たことはある。


 先についているのは爪っぽい。そういえば。死神さんが言っていたっけ。俺、本当に亀になったんだ。それなら多分この手の形はリクガメかな。


 なにはともあれ生きている。創造神さんが言っていた通り、生きていればどうにかなる。そういえば創造神さんは他にもフォルムチェンジと言っていたけど。


 なんて思った瞬間、手の形がヒレ状に変化した。水族館で見たことがあるウミガメのヒレだ。視界も少し低くなった気がする。理解できなくても納得するしかないやつだな、これ。


 周りを見渡してみると、森。それはもう、森。


 どう考えてもリクガメの形の方が合っている。フォルムチェンジ。


 リクガメに身体を戻して、改めて周りを確認しても森。あとはオレンジの空。風はひんやりとしていて心地良くて、どこかから水の音も聞こえる。だけど鳥のさえずりとは言えないような鳴き声も聞こえるし、排泄物の臭いが鼻につく。ここはファンタジーなだけの世界ではないってことか。


 ひとまず歩いてみるけど、まあ遅い。亀と人間ってこんなに歩く速さが違うのか。歩幅も違うし当然と言えば当然かもしれない。


 人間と言えば、死神さんが獣人化がどうのと言っていた気がする。獣人化というワードを思い浮かべた瞬間、俺の身体は緑色の光を放ち始めた。すぐに視界も緑の光で覆われて、光だけしか見えない。


 そのワードを出すことで姿が変わるかもしれない。なんてフォルムチェンジの時の要領でそう考えただけだったけれど、正解だったらしい。


 光に赤が混じる。獣人化しているときはフォルムチェンジができないという警告のようなものか。また赤くなった。その言葉を考えるだけで発動してしまうのはなかなか厄介だ。


 光が収まると、視界が高くなった。慣れた高さ。手も足も人間そのもの。服、は死んだときに着ていたスーツらしい。いつもの安いスーツじゃなくて一張羅でも着ておけばもう少しマシな身なりでいられたのに。


 思わずため息を吐いた。だけどそんなことばかり考えてもいられない。顔を上げて、高いところから改めて辺りを見回す。高いと言っても百七十センチに満たないけど。


 高いところから見ても、やっぱり森。だけど西側かな、日が沈んでいく方には木がない。大きくて、何色も複雑に配色された黄色とオレンジが揺めく夕陽がよく見える。


 夜の森は危ないと言うし、のんびりする前に行動を起こすべきだと頭では分かっている。だけどこんなにのんびりと美しいものを見るのはいつぶりだろう。少しだけ、この景色を堪能したい。



「どなたですか」



 背後から突然声を掛けられて肩が跳ねた。低く響いて落ち着きや真面目さをイメージさせるような声。その声から分かることは警戒されていることだけ。知らない人がいれば警戒するだろうし、やっぱり初対面の相手には丁寧に接するべきだよな。


 ゆっくり振り向くことを心がけろ。第一印象は大切。にこやかに、下手に出る。


 うさ耳!



「凄い、え、本物? 凄く綺麗!」


「ち、近い……」


「え? あ、ごめんなさい!」



 中華風の衣装に身を包む青年が持つ薄桃色の耳と髪、若草色の瞳。それが本物だとは信じがたい。なんてぼんやりしていたら、無意識に近づいて触れようと手を伸ばしてしまっていたらしい。目の前の青年が声を発しなければ、そのまま触れてしまっていただろう。


 慌てて離れると青年の頬も薄桃色に染まっていて、それを見たら俺まで恥ずかしくなってしまった。



「えっと、本当に申し訳ないです」


「いえ、大丈夫です。それより色々と聞きたいのですが、よろしいでしょうか?」


「はい」



 青年は近くにあった切り株に俺を誘導してくれた。導かれるままにそこに腰かけたけれど、青年が近くの茂みに座ったから、俺も切り株から下りて地面に座った。草のチクチクする感触が気になるけれど、ふかふかした土と草のクッションは心地良い。



「ふはっ、結構気持ち良いものなんですね」


「そう、ですね」



 青年は俺の言葉に小さく笑う。穏やかで優しい表情。思わず目を奪われてしまう。



「早速ですが、あなたのことを教えて欲しいのですが。うさぎ語を使ってはいますけど、うさぎ族ではありませんよね?」



 青年は表情を真剣なものに切り替える。切れ長の瞳がキリッとしていて格好良い。俺は丸い大きな目で、幼く見られがちなことが気になっているから正直羨ましい。


 いやそれより、うさぎ語って何。死神さんが言語の理解がどうのって言っていた気がするけど、それのおかげで話ができてるってことで良いのかな。分からないけれど、話が通じているなら何でもいいや。



「はい。亀族のカメトと申します。タートランドの出身です」


「え?」



 死神さんに言われた通りに答えると、青年の目が見開かれた。そのままジッと見つめられて、恥ずかしいやらどんな顔をしていれば良いのか分からないやらで居たたまれなくなる。


 気持ちがそのまま顔に出ていたのか、青年はハッと瞬きをして視線を一瞬逸らしてくれた。学生時代から陰キャの部類にいた人間に、綺麗な顔に見つめられる耐性なんてあるわけがない。


 俺がホッと息を吐くと、青年は顎に手を当てて今度は俺の身体を見回してくる。嫌な感じはしないけど、そろそろ恥ずかしさで死に絶える。



「あの……お兄さん?」


「あ、失礼しました。えっと、その、カメト、というのはどういった役職でしょうか?」


「役職、ですか? カメトは名前です。役職は分かりません。ここに来るまでの記憶が曖昧なんです」



 前職は経理部の平社員だったけど。この世界にも役職があるんだな。まあ国という概念があるならそれは存在するか。



「名前、ですか。記憶も曖昧だと……なるほど」



 青年はどこか遠くを見て何やら考え込んでしまった。俺は手持ち無沙汰になって足元の草を弄る。小学生のころは体育の授業中にこんなことばかりしていた。とはいえこんなことばかりしてもいられない。



「あの、お兄さんのお名前を教えていただけますか?」



 思考を遮るようで申し訳ないと思いつつ問いかけると、青年は真剣な表情を俺に向けた。



「カメトさん。私の国に個体に名前を付けるという文化はありません。文献でかつての大国にはそういった文化があったと記録されてはいますが。その国の名が、あなたが生まれたというタートランドなのです」


「え?」



 青年の言葉に俺は困惑した。かつての大国。ちょっと、神様方?



「私はこの森の西に位置するうさぎの国、ラビアスで宰相を務めています。これから日も落ちますし、カメトさんさえよろしければ我が国にいらっしゃいませんか?」



 この森で夜を明かすのは怖いから。なんてことを考えることもできないほど頭がこんがらがってきた。俺は何者に生まれ変わったんだ。


 わけも分からず、導かれるままにラビアスに向かうことになった。


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