うさぎとかめと

こーの新

第1話 亀兎、亀になる。


 遅刻する遅刻する遅刻する。それよりなにより殺される!


 パンを咥える余裕もないほど出社時間ギリギリに目が覚めた。昨日の夜、彼女に振られたと泣き喚く親友からの長電話に付き合って、寝たのは結局日が昇るころ。どうにも眠くて仮眠だけのつもりで目を閉じたせいでこんな状況になっている。それは分かる。


 寝癖を直すこともそこそこに、スーツに着替えてとにかく家を飛び出した。人気が全くない、細くて薄暗い路地裏を走る。朝食用にパンでもお餅でもなんでも良いから持ってくれば良かったと後悔したのはついさっき。


 全力で走る俺の後ろで同じように全力で走っている女がいることに気が付いたのはその直後。それが包丁を握った見ず知らずの女で、髪を振り乱して俺の苗字を叫びながら追いかけて来ているという異常な状況を理解するのにはかなり時間が掛かった。


 どうして見ず知らずの女が俺の名前を知っているのか。どうして俺を殺そうとしているのか。何も分からないけれど、五分後に発射する電車に乗れれば逃げ切ることも遅刻を回避することもできて一石二鳥。


 なんて拳を握り締めた直後。駅の近くの大通りに合流して、人の多さに安心した。目の前の信号が赤になる。これだけ人がいれば安心だろうと足を止めた瞬間、背中に言葉にならない痛みが走った。身体を貫いた何かが引き抜かれると同時に吐き気がして、痛みが現実味を帯びる。


 足が震える。視界がグラリと歪んで、地面が目の前に近づいてくる。どうにか手をつく。肘の力が抜ける。アスファルトは案外冷たい。周りの人のものか、悲鳴が耳をつんざく。ざわざわした音。


 これはもう、遅刻だな。


 ざわめきが遠のいた。



*****



 次に目を開けると、ぼんやりとした視界に星空が見えた。幼いころにそうしたように星を掴もうと手を伸ばす。



「ちょっ、危ないって!」



 そんな叫び声とともに、星空は逃げていってしまった。何かがおかしいと思って目を擦ると、そこは青いハニカム構造の壁がふわふわと浮かんでいるような、不思議な空間だった。



「あのさぁ、起きて早々人の目に指突っ込もうとしないでくれない?」



 ふわふわした声に身体を翻して飛び起きる。目の前にいたのは白いローブで全身を覆ったもっふもふの白髪を生やした若そうな男。真っ黒な瞳に光が入ってキラキラと輝く。さっきの星空はこの男の瞳だったらしい。男の手には杖、かと思いきや双槍が握られている。


 あまりに物騒な姿にさっきの女を思い出す。思わず後退ると、ポスッと誰かの腕に抱き留められた。



「あ、すみません」



 驚きながらも振り返ると、学ランが視界に入った。何事かと後ろに立っていた男をマジマジと眺める。赤い裏地のマントを右肩からはためかせて、刈り上げた黒髪に黒い冠を被っている。その手には何故か大きな鎌。


 前も物騒、後ろも物騒。脳のキャパを超えて頭がクラクラしてきた。



「大丈夫ですか?」


「あ、はい」



 黒いお兄さんに顔を覗き込まれる。白んだ空のような色が不気味にも思えるけれど美しい。



「そろそろ落ち着いたみたいだし、説明しても良い?」


「何の?」



 つい聞き返すと、白いお兄さんはケラケラと笑った。白いお兄さんに手招かれるままに彼の前に行くと、黒いお兄さんが白いお兄さんの隣に立った。並ばれると2人の顔は瓜二つ。色と髪が違くなければ。



「まず、ここは死後の世界の上にある神の世界。僕はこの世界の創造神、こっちは弟で甥で部下の死神」



 中二病ですか、と口を滑らせそうになったけれど、それ以上に二人の関係性が気になり過ぎる。けれどそれを聞ける雰囲気でもない。


 ちょっと真面目に考えようか。俺はさっき女に殺された気がする。この場所は俺が今まで見たどことも違う異空間。ということは今はこの白いお兄さん、創造神さんの話を聞く必要がありそうだ。



「キミはこの死神の手違いで、よく似た名前の男の代わりに死んじゃったの。予定にないのに執行されることになったから、急遽死後の世界の者を使ってキミを殺させたんだ。訳も分からずに殺されて驚いたでしょ」



 世間話かのようにあっけらかんと告げられた創造神さんの話に俺は開いた口が塞がらなかった。手違い、そんなことで俺の短い人生が訳も分からず終わらせられたのか。怒りを通り越して呆れてしまった。



「本当に申し訳ありませんでした」



 死神さんは俺に向かって深々と頭を下げて謝罪の意を示してくる。まあ神でも誰でもミスはするだろうし、そこは責めても仕方がない。いろいろ湧いて来る感情はグッと飲み込んだ。



「頭を上げてください。あの、俺を死ななかったことにはできないんですか?」


「それはできない相談だね。時空を歪めることになっちゃうの。でも他の世界に送ることならできるから、それでも良い? 丁度空きがあった動物たちの国への転生を死神が手配してくれたから、そこに行ってね」


「えっと、俺に選択肢は?」


「ごめんね」



 創造神さんはニコリと笑う。誤魔化したな。


 家族は、友人は、会社は。思うところがないわけではない。でもどうにもならないと言われてしまえば騒いだところで、とも思う。義理堅く生きてきたつもりだったけど、自分の淡泊な一面にため息が零れる。



「まあまあ。生きていればどうにかなるものだから。ね?」


「一度死んでますけど」


「申し訳ありません」


「いや、えと、大丈夫ですから。冗談ですから!」



 まあ死んでるのは冗談じゃないけど。死神さんを責めるつもりはない。あまりにも謝られると良心が痛む。



「詳しいことは死神から教えてあげて」


「はい。名前はそのままカメトと名乗ってください。種族は亀、出身はタートランドにしておきました。獣人化する動物としない動物で生きる環境が変わる世界ですので、カメトさんには獣人化のスキルをお渡ししておきます。言語についてもあちらの世界の言語は理解できるようにしておきます」


「ありがとうございます?」



 獣人化についても世界についてもよく分かっていないけれど、かなり良い待遇にしてもらえているんだと思う。そうじゃなかったら納得いかないし。



「僕からもプレゼント。フォルムチェンジのスキルをあげる。リクガメにもウミガメにもなれるから上手く使ってね。キミの死は僕の管理不足でもあるから。これでも申し訳なく思ってるんだよ?」



 創造神さんがそう言った途端、俺の身体がキラキラと光り始めた。フォルムチェンジについても色々聞きたいけど、白い光が気になって目がそっちに向いてしまう。数を増していく光に驚きつつも見惚れていると、創造神さんと死神さんが俺に手を振った。



「次の人生を楽しんでね」


「カメトさんの幸せな生活をお祈りしています」



 二人の笑顔を最後に、俺はまた意識を失った。



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