第48話 怒り


(まさか……鳥家の————呪法……?)


 その瞬間、ソランはすべてを理解した。

 エンムが言っていた、鬼神とはこれのことだと。

 そして、あの日、あの時、ソランの家の部屋の片隅に立っていたあれは、あれと同じものに、自分の母は殺されたのだと。


(母上は、呪い殺された……? でも、どうして、母上が鳥家の人間に恨まれて————いや、待って。違う……)


 呪法は鳥家の巫女によるものだが、鳥家は陽家の下についているとエンムは話していた。

 鳥家の巫女を私的に使い、呪法を使っているのは、ミヘだ。


「————叔母さん!!」


 ソランは、そばで眠っていたリンミョンを呼んだ。

 鬼神はその声に驚いたのか、スッと姿を消す。


「ど、どうしたの? ソラン」


 飛び起きたリンミョンが灯りをつける。

 リンリンとミンミンも、ソランの急な大声に目を覚ます。


「皇后様と……————母上の間に接点はあった?」

「母上……? え? マンウォルさんと?」

「うん」


(絶対何かある。そうじゃなきゃ、あの母上が鳥家から呪われるわけがない)


「そうね……直接会ったことがあるかどうかはわからないけれど……」


 リンミョンは眉間にシワを寄せ、女官見習い時代にミヘとの間にあったことを話した。


「あの女狐は、兄上のことが好きだったわ。私と仲良くなろうと積極的に声をかけてきたのも、それが目的だった。でも、兄上に恋人がいることを話したら……————急に態度を変えたの。『どうして、私との仲を取り持ってくれなかったのか』って……」


 それを聞いた瞬間、ソランの中に今までなかった、怒りの感情が湧き上がる。


「やっぱり……!! そういうことなのね————!!」


(母上も、あの人のせいで死んだんだ。そして、私のことも殺そうとしている。この私を……————仮にも、である私を、呪いで殺そうなんて……)



「————許せない。私を誰だと思っているの」


 ソランは巫女だ。

 それも、あの厳しいことで有名な上級巫女・想月サンウォルに育てられ、初代の皇巫である芙蓉ブヨンが選んだ、史上最強の花巫女だ。


 いつものんびりおっとりしていて、あまり自分の巫女としての力を誇示するような性格ではないソランだったが、この時ばかりはその自尊心を傷つけられたと怒りをあらわにする。



「何もかも、ぶっ潰してやるわ」



 その瞬間、後宮殿には妙に冷たい風が吹いたという。



 ◇◆◇



「————なに? ソランから文か!?」


 翌朝、フィソンはソランが書いた文を受け取った。

 燃えるような真っ赤な封筒を受け取ると、嬉しそうにフィソンはその文に目を通す。

 リンミョンに預けた文の返事だろうと笑顔で読み進めるが、その内容にだんだんと表情が曇っていく。

 眉間に深いシワを寄せ、シン内官はそのフィソンの表情があまりにも怖くて、思わず悲鳴を上げそうになった。


 同時刻、リョンスとサンウォルにも、同じく赤い封筒に入った文が届く。

 二人ともそれぞれ別の場所にいたのだが、フィソンと全く同じ表情をした。

 リョンスにとっては妻、サンウォルにとっては妹であるマンウォルの死に、ミヘが関わっていたことがわかったのだ。

 当然のことである。



「————なんだか、今日は妙に寒くないか?」

「もうすぐ夏になるっていうのに、変だなぁ」

「おいおい、手を止めていないで、作業を進めてくれ」

「ああ、悪い悪い。それで、一体これはなんの準備なんだ?」

「よくわからないけど、皇太子様のご命令だ」


 東宮殿に集められた数人の内官と雑用係は、理由を聞かされないまま、とにかく五つの大きなかめがいっぱいになるまで池の水を汲み上げる。


「まったく、皇太子様は何を考えているのか、さっぱりわからないぜ……」


 皇帝が最終試験に定めた五日間。

 最初の四日間は、ソラン以外の皇太子候補たちが、毎日皇帝の元を訪ね特技を披露したり、自分が妃となったらこんな利点があるなど、必死に活動していた。

 ところが、ソランは目立った行動をまるでしていなかったため、体調が悪いか、そもそもこの試験を諦めたのではないかと噂が流れる。


 そのため、ミヘは別宅に密かに匿っている巫女たちの呪いが効いていると思い込んでいた。

 鳥家の秘伝の呪法は、鳥家の人間でなければその祓い方を知らないのだ。

 ところが、最終日、それまで沈黙を続けていたソランがついに行動に出る。


 東宮殿に皇帝、皇后、皇巫、側室たちだけではなく、官吏や武官、女官、内官に集まるように呼びかける。

 フィソンの前で祓いの舞を舞ったあの場所に作られた祭壇。


「いったい、何がはじまるんだ?」


 花巫女の衣装を着たソランは上座の皇帝たちに一礼すると、一斉に集まった全員に盃が配られる。

 中に入っていたのは、酒か薬か……

 お世辞にも美味いと呼べるものではなかったが、それを全員飲むように指示が出る。


「なんだこれ……? 池の水のような匂いがするな……」


 飲み干した後、誰かがそう呟いた。

 皆、空になった盃を眺め、これはなんだったのかと考えていると、そこへ突然————


「きゃああああああ!!」


 女の悲鳴と落ちて割れた盃の音が響き渡る。


 驚いて悲鳴を出した女官の方を見ると、驚愕の表情で何かを見ている。

 彼女の視線の先に、皆が目をやると、そこには————


「な、なんだあれ!!」

「人か!?」

「化け物か!?」


 黒い人のような形をした鬼神が、ソランの背後に立っていた。


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