第44話 強かな女
「まさか、こんなに早く捕まえてくるとは……」
「なんですか、その嫌そうな表情は。捕まえて来いって言ったのは、フィソン様ですよ?」
ウスを見て、いくらなんでも早すぎるとフィソンは思った。
(もう数日くらい苦労すればいいのに……)
捜索隊は誰一人として見つけられなかったというのに、やはり武官としてウスは優秀。
絶対に敵に回してはいけない。
「死んでいるのか……?」
「ええ。一発ぶん殴ったら大人しくなりましたよ? まぁ、脚に矢が刺さっていたんで、血が足りなくなって弱っていたのかもしれないですけどね」
虎の死体をどさっと地面に置くと、ウスは虎の首に食い込んで隠れていたいた飾りがよく見えるように首輪を引っ張る。
「見てください、この家紋」
首輪には、太陽を模したような家紋が描かれていた。
「これ、陽家の家紋ですよね? 虎を飼うことは、禁じられているはずなのに……」
星華帝国では、個人で虎の飼育は禁止されている。
許されているのは、珍しい動物を使った見世物小屋などの国から許可を得ている業者だけだ。
「それで、実は妓楼で聞いたんですけどね……」
「おい、まだ妓楼の話をするつもりか?」
「まぁまぁ、いいから聞いてくださいよ! 俺は別にフィソン様に妓女を勧めたかったわけじゃないんですよ!! 冗談だったのに、真に受けて勝手にどっかに消えてしまうなんて……————って、今はその話は置いておいて、重要なのは、その妓楼で行われている催し物の話です」
「催し物……?」
あの妓楼の主人は、手広く様々な商売をしている。
妓楼では毎日決まった時間に、催し物として動物に芸をさせていた。
もともと動物好きのフィソンに、珍しい動物を見せてあげようと、ウスはあの妓楼に連れて行ったのだ。
「その催し物で、虎が出てくるものがあったんです。でも、何日か前からその虎が出てこなくなったって、常連の客が話していて————なんでも、娘を貴族の養子にさせる時に、その娘が一緒に連れて行ったそうなんですよ」
「養子にさせるのと、虎になんの関係がある?」
「そこまでは知りません。可愛がっていたんじゃないんですか? 虎は……まぁ、体はでかいですが、顔はよく見ると猫に似てますし……」
虎を可愛がっているとは、珍しい娘だなと思っていると、そこへ今度はシン内官が現れる。
「————違います。おそらく、薬に使う予定だったそうです」
「薬……?」
「虎には薬にできないところなどないと言われていると、本で読んだことがあります。骨や臓器を乾燥させて使うそうです。皇太子様との初夜で飲ませる強壮剤を作るのに用意した虎が逃げ出したと、その妓楼の娘が養子になった家で騒ぎになっていました」
シン内官も、フィソンの指示通り噂になっていた妓楼の娘のことを調べ、その家へたどり着いた。
密かに使用人達の会話を盗み聞きし、家の周りを探った結果、あの噂が真実であることを知る。
「妓楼の娘は、
(
フィソンはすぐに、皇太子妃候補となっている娘達の名簿を確認した。
「いた。こいつか……!!」
この時、すでに選考は進んでいる。
結果は、分かりきっていた。
「やっぱり、父上に進言しなければ……————」
貴族の娘でない者を正室にするなんてあり得ない。
それに、そんなことがまかり通るなら、正室になるのは貴族でなくてもいいということになる。
ならば、ソランを正室にしても、なんの問題もない。
「これ以上、陽家の好きにさせてたまるか……!!」
フィソンはすぐに皇帝にこのことを話そうとした。
急い足で東宮殿を出て、謁見を申し出る。
しかし、いくら皇太子とはいえ、そう簡単に会えるものではない。
内官が確認を取りに行っている間、外で待っていたフィソンの視界の端に、色とりどりの衣を着た若い娘達の列が入る。
皇太子妃の三次試験より先は後宮殿で行われるため、移動している最中だった。
「————な……っ!?」
その中に一人、ソランに似た雰囲気の娘がいた。
こちらをちらりと見て、その娘は微笑んだ。
ミヘはソランを嫌っていた。
てっきり皇太子妃候補にはソランとは正反対の娘を選ぶと思っていたフィソンは、皇后のその強かさに驚愕する。
ほんの一瞬ではあったが、その娘をソランかと思ってしまったことに、ぞわりと鳥肌が立つ。
◇◆◇
リョンスが星宮殿を去った後、ソランの部屋を意外な人物が訪ねて来た。
「昨日は驚いただでしょう? 体調はどう?」
「大丈夫です」
元皇巫で、第一皇子スンソンの生母・
エンガと同じ鳥家の出身。
今は側室という立場のため、後宮殿に住んではいるが現在の皇巫とも皇后とも関係は良好で、星宮殿への出入りを無条件で許されている唯一の人物である。
「うちの愚息が本当に申し訳ないことをしたわ。もしあの時、この大事な体に指先一つでも触れられていたらと思うと、本当に申し訳なくてね……被害にあったヨンヒにも怖い思いをさせてしまったし、あなたにも直接謝りたくて……————本当に、申し訳なかったわ」
まさかこんな大物に深々と頭を下げられると思っておらず、ソランは慌てる。
「そ、そんな、大丈夫ですよ!! お顔をあげてください!!」
エンムは清廉潔白という言葉が似合う女性だった。
弟に嫉妬し、女性に対して非道な行いを平気でやるスンソンの母とは思えないほど、心穏やかな人だと評判である。
皇巫の座を降ろされるとわかった後も、文句の一つも言わなかったのは宮廷では有名な話だ。
「ありがとう。もうこんなことは二度とさせるつもりもないけれど……もし何かあれば、私を頼ってちょうだいね」
「は、はい」
エンムはソランの手を取ると、懐から何かを取り出してソランの手のひらに置いた。
「実は、謝罪と、あとはこれを渡すために来たの」
それは赤い巾着袋。
手で握ってしまえば、見えなくなるくらいの小さなものだったが、よく見ると生地が裏返されている。
「これは……?」
「これは鳥家の巫女に代々伝わる『返し袋』といってね、呪いや災いから守ってくれるものよ。肌身離さず常に持っていて。あなたきっと、このままだと呪われてしまうから————」
(ん……? 今、なんて?)
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