第43話 見えない証言者
リョンスは、ミヘ皇后や背後にいる陽家の人間がしたことの全てを把握している訳ではない。
ただ、宮廷薬師の自分から見ても、不自然な死が宮廷内で起きていることは事実だ。
特にそれが顕著になり始めたのは、ミヘ皇后に変わってから。
今ではリョンスも宮廷薬師としてそれなりの地位についている為、側室たちが飲む薬を処方することもある。
リョンスがおかしいことに気がつけば、密かに阻止しているので懐柔された薬師による不審な死は少なくなったが、薬師以外にも陽家の手の内の者は宮廷内に多くいる。
毒を盛ることも、わざと怪我をさせることも、彼ら、彼女らを使えばどうとでもできた。
「お前が……星宮殿に連れて行かれた時は、本当に驚いたが————マンウォルの姉が巫女であることは聞いていた。もともと、巫女が多く生まれる家系だと。年齢的にも、皇太子の花巫女に選ばれる可能性が高いと思っていた。巫女の力だけは、権力や金の力でどうにかなるものではないからな……それに、もし陽家が花巫女候補を用意したとしても、お前がその座につくことはわかっていた」
「え……? どうして? 星宮殿には、私以外にも巫女はたくさんいるのに————」
巫女としての力は、ソランと互角。
それも巫女の名門である
「マンウォルがお前を妊娠した時、予知夢を見た」
「予知夢……?」
「お前の母に巫女の力————つまり、瘴気や妖を見る力はなかったが、予知夢は見ることがあった。不思議なことに、本当によく当たる」
その予知夢で、皇帝の衣装を着た男と顔がリョンスにそっくりな女が手を繋いでいた。
マンウォルは夢があまりにもおかしくて、笑いながら話してくれた。
「もしかしたら、将来は皇后になるかもしれない」と……
リョンスはソランが星宮殿に連れて行かれた時、そのことを思い出した。
「マンウォルは皇后だと言っていたが、花巫女の方だと思った。だから、俺も、リンミョンも、お前が東宮殿の花巫女になった時に酷い目に合わないよう、守れる立場になろうと……」
今ではリョンスは例え宮廷薬師を辞めても、薬師として一人でやっていける。
何度もその才能と顔の良さに嫉妬されて、嫌な目にもあってきたが、それでも宮廷に居座っているのは、ソランの為だ。
ソランが花巫女となれば、役目を終えた後に陽家から何をされるかわからない。
それに————
「今回の皇太子妃に選ばれるのも、陽家の娘だろう。姑となる皇后が例えお前には何もしなかったとしても、その娘が何かする可能性がある」
フィソンが皇太子である限り、ソランはその皇太子妃とも東宮殿で暮らさなければならない。
どんなにフィソンがソランを溺愛していたとしても、常にそばにいられる人間が必要だと、リョンスは先を見越していた。
◇◆◇
「それじゃぁ、本当に……神……なんですか?」
「そうだ。わかったか、この色ボケめ」
ヨンは自分が何者か、フィソンに説明した。
普通なら、こんな怪しい猫の話なんて信用しないだろうが、フィソンは昨日、ソランが飛ばした失せ物探しの
どういう仕組みで動いているのか全くわからない奇妙なものだったが、巫女の術がそうさせているのなら、妖が実在していても、なんの違和感もない。
現に今は部屋の外で待機させているが、ル護衛官にヨンの姿は見えていないようで、「一体、一人で誰と話しているのですか?」と聞かれたのが何よりの証拠だ。
「つまり、ソランはヨン様が選んだ、皇巫であり、皇后となる巫女だってことですよね?」
「そうだ。本来であれば、ソランではなくお前の父の二人目の花巫女だった
「女狐たち……?」
「うむ、先の皇帝の側室とそれにくっついていた娘……今の皇后だ」
ミヘが後宮殿で女官見習いをしていたことを知らなかったフィソンは、そこでやっとリンミョンとミヘの会話の意味がわかった。
(単に女官と皇后という関係ではない気がしていたが……そういうことか)
「儂はヨンジョンが何一つ悪いことをしていないことを知っている。全ては、あの二人が仕掛けたことだ。だが、残念なことにこの姿は特別な力を持つ巫女にしか見えぬ。儂の証言は証拠はならないのだ。儂はあの子を救えなかった……」
だからこそ、次にヨンの姿を見ることができる巫女が現れたら、今度こそ同じことを繰り返させまいと思っていた。
「側室だった女の方は、先に死んだが妙な病を罹っていた。あれは、これまであの女のせいで死んでしまった者たちの怨念で死んだのだろう。まぁ、今の皇后が邪魔になって消したのではないかと、
「母上が……?」
「日に日に弱っていった。瘴気をまとってはいなかったから、呪いの類で死んだのではない。毎日薬を飲んでいたようだが、その薬を処方していた薬師は、お前の母が死んだ後、出世したのだ。皇后を助けられなかったくせに。あの頃、人事を担当していた官吏は、あの女狐の養父だった」
真相はわからない。
これも証拠は何一つ残っていない。
証拠がなければ、正すこともできない。
「そうか……だから、あんな噂が……」
「あんな噂?」
「一昨日、町で偶然耳にしたのです。皇太子妃の候補者として、陽家の養子になった娘の話。いくらなんでも、そんな話、ありえないと思って、今、シン内官に調べさせていますが————」
実はフィソンは、町で聞いた皇太子妃候補の噂の真偽を確かめるため、シン内官をあえて皇太子付きから外していた。
皇帝が激怒していたため、左遷ということにしているが、戻る条件としてフィソンが提案した。
もし、噂が本当なら、その証拠を。
嘘であるなら、そんな噂を流した不届きものを明らかにするように。
「なるほど……多少心配しすぎる部分はあるが、なぜ優秀な内官を手放すのかと疑問に思ってはいたが……————では、あのデカい男もそうか? 護衛の……」
「ああ、あいつは左遷です。そもそもこの俺をあんな場所に連れ出した元凶ですからね。ただ、あいつにも戻るための条件を与えてはあります」
「どんな条件だ?」
「虎です」
「虎……?」
フィソンはソランから虎の事件の話を聞いて、すぐにその虎が自分が遭遇した虎ではないかと思った。
虎に人が襲われた事件は、フィソンが矢を射った後にも起きている。
自分がどこにいるのかわかっていなかったため、虎の逃げていった方角が町の中心の方であることに気づいたのは、その話を聞いてからだ。
「あの虎、誰かが飼っていた虎ではないかと……首に、飾りが付いていたような気がしたんですよ。黄昏時に見たので、見間違いかもしれませんが。ウスには、捕まえて確認するように言ってあります」
この日の夕方、そのウスが虎を担いで東宮殿に戻ってきた頃には、フィソンにヨンの姿はもう見えてはいなかった。
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