第九章 猫が描いた夢
第41話 東宮殿の奴ら
「————聞いたか? 東宮殿の奴らの話」
「ああ、全員左遷されたそうじゃないか」
宮廷薬師・
「陛下も皇太子様も、相当お怒りだったようだぞ」
「命は取られなかったんだから、まだマシだろう」
一昨日の夜、皇太子の行方不明と虎による被害が重なり、宮廷はとても慌ただしかった。
皇太子が虎に食われたなんて噂も流れていたが、昨日の昼過ぎに一人でひょっこり戻ってきた。
怪我などしていないか、念のため診るように呼ばれて、リョンスは
それより、今話題なのは今回の件で皇太子の護衛のためについて行った内官と武官たち。
「シン内官は、まだ東宮殿に入ってから二年ほどだろう? 元は書庫で本の虫だったからな。書庫の雑用に戻されたらしい」
「でも、まさかホ護衛官までとは……あの人は幼少の頃から皇太子様のそばにいたから、誰の下につけるか人事の奴らも悩んでいるらしい」
「ホ護衛官は強すぎるからなぁ……上官たちも、自分より強い部下なんて威厳が保てないし」
「きっと、どこか地方にでも飛ばされるだろうさ。国境警備とか」
「出た。人材の墓場」
好き勝手に噂して、笑っている内官たち。
別の官吏たちも同じような話をしていた。
(まったく、他人の話なんてしていないで、自分の仕事をしろ……)
心の中で悪態をつきつつ、星宮殿へ急ぐ。
昨日、酔っ払った
正確には未遂で終わったのだが、
スンソンの狙いはソランだったという話だが、ソランは運良く厠に行って被害はなかったらしい。
しかし捕まったスンソンの「ソランは俺の女だ」という発言のせいで、不貞を疑われかけた。
それは絶対にありえないと他の巫女たちが証言し、お咎めなしとなっている。
(風邪を引いていると聞いたが……今までこんなことはなかった。大丈夫なのか、ソラン……)
実は昨日からソランは体調を崩して寝込んでいたらしく、心配した皇巫が直々に薬師であるリョンスを星宮殿に呼び、ソランを診て欲しいと言われている。
親であっても、薬師であっても、花巫女に選ばれたソランの体に触れることはできないが、面会は許されていた。
呪いや瘴気の類は皇巫の目から見ても感じられなかったため、薬で治るだろうと、そういう話だ。
だがこれはソランがヨンヒと入れ替わった時についた嘘。
ソランが星宮殿を抜け出している間、誰か訪ねてきた時のために体調が悪く寝込んでいるという設定にしてしまった。
布団を頭までかぶって、ソランのふりをしていたヨンヒも、まさかあんな事態が起こるとは思っていなかったが、一度ついた嘘を突き通すしかない。
星宮殿の巫女たちはヨンヒの悲鳴で大混乱していたため、普通に考えたらよっぽど長い間厠に行っていたことになるソランは、抜け出していたことはバレずに済んでいる。
その為、ソランが抜け出したことを知っているのはヨンヒのみ。
日頃真面目に巫女として過ごしているソランが、言いつけを破って外に出るわけもないだろうし、この嘘を疑う人はいなかった。
◇◆◇
一方、東宮殿では新たに皇太子付きに任命されたチム内官とル護衛官が仕事の引き継ぎに追われていた。
チム内官もル護衛官も、実はどちらも陽家の遠い親戚。
つまり、皇后の手の内にいる者たちだ。
第二位だった皇位継承権も、三歳の弟に抜かれ、さらに従兄弟にも抜かれ四位に転落。
二度と皇帝になることは叶わない。
スンソンを利用しようと考えていた皇后は、簡単に手のひらを返し、東宮殿の様子を監視するように自分の手の者たちを用意した。
ところが、シン内官も
東宮殿の仕事は、皇太子の機嫌さえ損ねなければ楽な仕事だと思っていた二人は、間者なんて余裕でこなせると思っていたが、すぐにそれが勘違いであったことを思い知らされる。
どれだけシン内官が優秀だったか。
いつも金魚の糞のように皇太子にくっついているだけだと思われていたウスの大変さも。
わからないことだらけで、
しかもこの状況で、東宮殿の業務について一番詳しいのは上級女官の
察しのいいリンミョンは、この二人が皇后の手の者だということがわかり、間者なんてしている暇がないほ多くの仕事をわざと与えたのだ。
「ほら、何をしているんですか、チム内官!! 兎小屋の次は、犬小屋ですよ!」
「あ、ああ……わかっている!!」
「ル護衛官! また皇太子様を見失ったんですか?」
「す、すまない……」
「この時間なら、池の近くでポヤと散歩しているはずです。行ってください」
「池? ああ、あの庭のところだな!! わかった!!」
次々に指示を出しつつ、リンミョンは自分の仕事もこなしていく。
ただでさえ、人手不足だったところに今回の左遷だ。
優秀な人材が二人も抜けてしまったが、これもソランの為だとリンミョンは心を鬼にする。
「まったく、使えない男どもめ……ああ、忙しい。忙しい」
そして、東宮殿の様子がいつもと違うことに気づいたヨンは、リンミョンの動きを見て感心する。
あれだけ心強い味方がソランにはいる。
なんて頼もしいことだろうと……
(あとは、皇太子妃との日取りさえ決まってしまえば、全てはうまくいくだろう。ソランの花巫女としての気が満ちるまで、あと七日ほどというところか)
次に庭でポヤを散歩させていいたフィソンの姿を確認して、ヨンはすぐにその場から立ち去ろうとしていた。
ところが————
「————え、猫? なんだ、お前、どこから来たんだ?」
(は……?)
合うはずのない目が合った。
「それに尻尾が二本もあるじゃないか、珍しいな」
強い巫女の力を持つ者にしか見えないはずのヨンの姿を、フィソンの目が捉えている。
(どういうことだ……!?)
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