第40話 手遅れ


「————なっ! 誰だ、お前!!」

「ああああああなたこそ、誰なんですかぁぁぁ!!!」


 横になっていた巫女は、ソランではくヨンヒだった。

 スンソンも驚いたが、それ以上にヨンヒが驚いた。


 ソランと同じく、ヨンヒだって男子禁制のこの星宮殿で育っている。

 父も祖父も早くに亡くなっており、姉は七人いるが、兄や弟はいない。

 女系家族に生まれたヨンヒは、ソランよりもはるかに男に免疫がまるでない。

 たまに仕事で内官と会うことはあるが、わかっていても緊張してしまうヨンヒ。

 男は狼だと、たくさん読んで来た書物で知ってはいるが、まさか本当にこんな風に襲われるとは思ってもいなかった。

 ただソランの代わりに、ソランのふりをしているように頼まれて、部屋にいただけなのに、いきなり現れた男に混乱し、泣き叫ぶ。


「このケダモノ!! 出て行け!! 出て行けぇぇぇぇ!!」

「なっ!? 誰がケダモノだ!!」


 ソンスンはヨンヒの口を手で無理やり塞いで、黙らせようとしたが、すでに手遅れだった。

 近くにいた他の巫女たちが、叫び声を聞いて集まってくる。


「痛いっ!!」


 しかも、抵抗したヨンヒに思い切り手を噛まれてしまう。


「何をする!! お前の方が、ケダモノじゃないか!!」




 ◇◆◇



「ソラン……? どうして、ここに?」


 星宮殿で大変なことが起こっているとはつゆ知らず、ソランは失せ物探しの術で見つけたフィソンの顔を見て、安堵する。

 嬉しすぎて、つい駆け寄り、抱きついてしまった。


「やっと見つけた。よかった……!! どこかお怪我はしていませんか!? 虎は!?」

「……と、虎!?」

「皇太子様が虎に食べられたって……」

「待て待て、落ち着け、ソラン。大丈夫だ。ほらよく見てみろ。この通りどこも怪我なんてしていないし、虎に食べられてもいないだろう」


 ソランはパッとフィソンから体を離し、一歩下がって頭からつま先までフィソンの体を見回す。


「あ、本当だ」


 そこでやっと冷静なった。


「一体何があったんだ?」

「それはこっちのセリフですよ!! 今、宮廷では大変なことになっているんですよ!? どこに行っていたんですか!?」

「え、大変なこと?」


 自分がいなくなって、どれだけ騒ぎになっているか知らないフィソンがキョトンとした顔をしていると、この状況がさらに飲み込めない娘が言う。


「若様、皇太子様だったの!? それに、え、男の人と愛し合ってるの!?」

「……えっ!? 違う違う!! 女の人だぞ?」

「えっ!? 嘘だぁ、アタイ、こんなカッコいい女の人見たことないよ?」


 娘は納得していないようだったが、母親の方が冷静に言った。


「待って、このお方の性別は今どうだっていいわ。それより、若様、皇太子って、本当なの…………ですか?」

「ああ、本当だ」

「えええっ!?」


 母親は目玉が飛び出るのじゃないかと思うくらい驚いて、腰を抜かす。


「わ、私ったら、皇太子様をあんな粗末な布団で寝かせてしまったの……!?」

「え、皇太子様? どういうことですか? この方は一体……? そう言えば、この子の顔、どこか皇太子様の顔に似ている気が…………ま、まさか——……」


 ソランは信じられないという表情で、フィソンと娘を交互に見る。


「待て待て、とりあえずみんな落ち着け。なんだか色々誤解があるようだ」


 そうして、宮廷に戻る道すがら何があったかお互いに説明するソランとフィソン。

 誤解は解け、この娘の本当の父親とも会うことができたが、まだ問題がある。


「ちょっと待て、ソラン。星宮殿からどうやって出られたんだ?」

「えっ? それは、見ての通り、変装してですね……皇太子様がいなくなったことと、虎の件でとにかく星宮殿もバタバタしていたので、隙を見て抜け出しました」

「……そうじゃない。日取りが決まるまで、星宮殿で待機じゃなかったのか? 出て来て大丈夫なのか? 男といると穢れが移ると聞いたが?」

「あ、えーと、どうなんでしょう? でも、結局のところ、私は皇太子様の花巫女なのですから、皇太子様ならいいんじゃないでしょうか?」


 今も普通に手を繋いでいるし、さっきは嬉しすぎてソランは抱きついてしまった。

 穢れたような気は全くしないが、もう手遅れだ。


「確かにそうだな。それなら————」


(花巫女の風習なんて、もはや意味がない。悪習……か)


 フィソンはソランの手を引き、人気のない路地に入る。



「会いたかった」


 鼻先がぶつかる距離でそう呟いて、ソランの唇にそっと口付けた。






【第八章 親心と恋心 了】

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