第38話 奪う人、奪われる人


「————聞いていますよ。最近、夫婦仲が良くないそうじゃないですか」


 皇后・ミヘは、自分の膝を枕に眠っている息子・留星リュソンの頭を優しく撫でながら、スンソンに呼び出した本当の理由を話した。


「聞いている……? それは、本人からですか? それとも、うちに送り込んだ間者からですか?」

「間者だなんて……あの子は前は陽家の使用人だったというだけよ。そんな、悪いものではないわ」


 スンソンは結婚後は宮廷を出て別邸で暮らしている。

 そこで働いている使用人には、何人か陽家と繋がっている人間がいるのだ。

 情報がすぐに皇后の耳に入るのが気に入らないと抗議しても、スンソンの妻は、現皇帝にとって初孫を身ごもっていのを理由に、祖母として、心配しているのだとミヘは言う。


「大事な時期ですからね。一体、何が原因なのか聞いてみたくて。それに、フィソンも行方不明となれば、もしもの時はあなたが次の皇太子となることは明らか。そうなれば、ゆくゆくはもう直ぐ生まれるあなたの子供が男の子だったら、後継となるかもしれない。私はね、心配なのですよ。一体、何があったのです?」


 全て知っているという目をして微笑むミヘ。

 スンソンはその表情が苦手であったが、誰かに言わなければもう耐えられなかった。

 そこに酒の力も加わって、つい吐露してしまう。


「弟が羨ましいのですよ。情けない話ですが、何度、あいつが生まれなければいいと思ったか……————あの東宮殿も、美しい花巫女たちも、長男である俺のものになるはずだった。庶子であろうと、俺のものになるはずだった。でも、あいつは生まれた時から、俺から全てを奪っていく。初めて……生まれて初めて心から欲しいと思えるほどに惹かれた女子おなごも、あいつの花巫女だった。改めて思い知らされたのです。家に帰れば、愛おしくもない、腹の大きな女が待っている。それがどんな気持ちか、あなたにはわからないでしょうね」

「あなたも、あの娘を……?」


 スンソンの話を聞いて、ミヘは目を丸くする。

 使用人から聞いた話では、スンソンの様子がおかしくなったのは、東宮殿で行われている祓いの舞を見た後から。

 てっきり鸚哥エンガにでも惚れたのかと思っていた。

 もしそうなら、エンガを使ってスンソンの心を操るのに都合がいいと。

 エンガには男を魅了するように、徹底的に教育をするようしてあったのに、まさかスンソンまでソランに魅了されていたとは……


 ソランが舞っている姿を見たことがないミヘには、その魅力が理解できない。

 だが、それならその恋心は十分に利用できると思い立ち、直ぐにまた笑みを浮かべる。


「それなら、あなたのものにしてしまえばいいではりませんか」

「は……? 何を言っているんですか? 皇太子の花巫女ですよ? もう、決まってしまったことです。あれは……————」

「まだ、なっていません」

「え……?」


 わけがわからず、スンソンは顔をしかめる。

 皇太子の花巫女として選ばれた女を、どうやって自分のものにできると言うのか。

 最終選考の四人に残っただけでも、花婿であるフィソンのお手つきということになると言うのに————


「花巫女が本来の務めを果たすのは、皇太子妃との日取りが決まった後です。それまでは、花巫女は星宮殿で過ごします。まだ、誰のものにもなってはいないのです」

「それは……そうですが————」


 スンソンは戸惑った。

 いくら惚れてしまったとはいえ、そんなことはできない。

 花巫女は、日取りが決まるまで星宮殿から出ることは不可能なはずだ。

 それを、一体どうやって自分のものにしろというのか……


「これは、星宮殿にいる者から聞いた話なのですけどねぇ」


 皇后の————陽家の手のものは、そこら中にいる。


「あの花巫女、実は東宮殿の花巫女になることを望んでいなかったようですよ。毎晩泣いているそうです。本当は、スンソン皇子の花巫女になりたかったと……」

「え……?」

「四年前は、年齢制限により花巫女に立候補することもできなかったそうです」

「そんな……どうして……俺のことを」

「詳しくは知りません。でもね、聞いた話では、まだあなたが宮廷にいた頃に会ったことがあると……そう聞いていますよ? きっと、四年以上前のことですから、あの子もまだ幼く、あなたも自分のことは覚えていないだろうと……」

「そんなに幼い頃から、俺のことを……?」


 自分の屋敷にさえいるのだから、スンソンにはそれが皇后の嘘であっても、信じずにはいられない。

 その話が本当なら、やはりソランも自分のものになるはずだった。

 奪われる。

 また、フィソンに奪われてしまう。


「どうです? ちょうど、私はこれから星宮殿に行こうと思っていたのです」

「星宮殿に……?」

「ええ、見つからないフィソンを探すのに、皇巫の力を借りようと思いましてね。私は以前、行方不明になった祖父を探すのに、巫女の力を借りたことがあるのです。巫女の術には、人を探す術もあるのだとか……一緒に行きませんか?」


 男子禁制の星宮殿。

 皇后と一緒に入るなら、皇巫の許可も簡単に下りる。


「あなたは、あの娘を連れ出せばいい。連れ出すことはできなかったとしても、穢してしまえばいい。知っているでしょう? 花巫女は、穢れを知らない……男を知らぬ巫女にしか、勤めることができないことを————」


 スンソンはゴクリと喉を鳴らした。


「あなたに穢されるなら、あの巫女も本望でしょう?」





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