第37話 耐えられない


 フィソンが妓楼からいなくなっていることに気づいたシン内官と優守ウスたちは、あたりを探し回った。

 けれど、どこにもフィソンの姿はなく、もしかしたら一人で先に東宮殿に戻っているかもしれないからと、一人宮廷に戻ってきたシン内官。

 それでも、フィソンの姿はやはりどこにもなく、もしかして、ソランに会いたくて我慢できずに星宮殿に行ってしまったのかと、確認にきたのだ。

 皇太子が行方不明————それも、正式な許可を取らずにお忍びで外に出ている。


 その先で行方不明になってしまったなんて知られたら、ついて行った護衛の者たちは職を解かれる。

 何事もなく戻ってくればいいが、少しでも怪我や危険な目にあっていたら、それどころか死罪になる可能性だって十分にあった。


 ソランは星宮殿から出られず、なおかつ男性に近づくことを禁じられているため、門の前にいるシン内官との会話は、見習い巫女を通して行われた。

 とにかく、シン内官は星宮殿の中を確認してほしいとお願いし、ソランはそれを了承する。

 忍び込まれている可能性はないと思うが、もしもということもあるからと、ソランたち巫女は星宮殿の中をくまなく探した。


 それでも、フィソンの姿はやはりどこにもない。

 町を探し回っている護衛官たちからも、見つかったと言う報告はなく、お手上げ状態だった。


(ど、どうしよう。一体どこに……)


 どこを探しても見つからないため、何かあったのではなかと心配になってくる。

 最初はいなくなったことを隠していたシン内官たちだったが、さすがにそうも言ってられず、その話は皇帝の耳にも入った。

 すぐに捜索隊が組まれて、町を中心に捜索がはじまる。

 ソランも探しに行きたかったが、星宮殿からも、宮廷からも自由に外に出られないことがもどかしくて仕方がなかった。


「そうだ……! 失せ物探しの術!!」

「失せ物探しの術? あれは、物を探すときに使うやつでしょう?」


 ソランの思いつきに、ヨンヒは呆れてしまう。

 いなくなったのは人で、物ではない。


「いいえ、人でもできるわ! 前に師匠の部屋で見たことがある」


 サンウォルの部屋には、星宮殿の巫女たちが新たに生み出した術や、過去に研究された術などの資料がある。

 ソランはその中にある失せ物探しの術で行方不明になっていた人を見つけた記録があったのを思い出した。


「でも、あれを使うには、術者が直接、動かないと……」

「それなら、ソランにはできないじゃない。大丈夫よ、そこまで心配しなくても、きっと、すぐに戻ってくるわ。たくさんの人が探しているんだもの……」

「……そうよね」


 その夜は、ソランもおとなしく待つことにした。

 けれど、明け方になってもフィソンが見つかったという報告は届いていない。

 それどころか————


「大変よ、ソラン!!」

「どうしたの? 皇太子様が見つかった!?」

「そうじゃなくて……皇太子様を探しに出た人たちが、虎に襲われたって」

「と……虎!?」


 数年前から、人里に降りてきた虎に人が襲われる事件はいくつか起こっていたが、最悪の事態だ。

 まだ見つかっていないフィソン。

 それに、人を襲った虎も逃走中。


(もし、もしも、皇太子様に何かあったら……花巫女がどうとか、皇后になるとか…………師匠が言っていた願いとか、使命とか……そういうの以前に、大変なことになるわ)



「もう無理! ヨンヒ、お願い……」

「え……? ちょっと、ソラン、何をするつもり!?」


 ソランはいきなり衣を脱ぎ始め、棚の奥に隠してあった男物の衣を引っ張り出した。

 東宮殿に忍び込んだときに着ていたあの衣だ。




 ◇◆◇



「————フィソンが行方不明?」

「はい、そのようで……宮廷では大騒ぎになっています」


 フィソンが行方不明になっている話は、スンソンの耳にも入っていた。

 さらに虎の件もある。


「虎にでも食われて死んだんじゃないか? いい気味だ」


 朝から酒を飲んで、ここ最近、少々荒れた生活をしていたスンソンは、いつもなら心の中で留めておく言葉を口に出して笑った。

 酔っ払っているとはいえ、皇太子————それも、自分の実の弟に対して死ねばいいなんて、宮廷から来た使者は、なんて酷いことをいうのだとギョッとする。


「それで、フィソンがいなくなったことを、なぜ俺に伝えに来た? まさか、この俺にも探しに行けということか?」

「いえ、そうではなく……このお話は皇后様の耳にももちろん入っておりまして————万が一のときに備えて、宮廷へ起こしいただきたいのです」

「万が一?」

「ええ、皇太子様に何かあれば、次はスンソン様だろうと、皇后様が……」

「なんだ、お前も口にはしないだけで、あいつが死ねばいいと思っているのだな?」

「ま、まさか、そのような……!! 私は、ただ、皇后様のお言葉を伝えに来ただけでございます」

「ふん。まぁ、いい。用件はわかった」


 スンソンは酒瓶に残っていた酒を一気に飲み干すと、腹の大きな妻を睨みつける。


「何してるんだ、主人が出かけるんだ。準備をしろ」

「は、はい……」

「まったく、なんだそのだらしのない腹は!」


 いつもより気が大きくなっているスンソンは、自分の子供を身ごもっている妻に対して酷いことを言った。

 さらに使用人がいるというのに、わざわざ妻に全ての支度をさせ、宮廷に向かって千鳥足で歩いていく。


「奥方様、スンソン様は一体どうされたのですか? なんだか、人が変わられたような気がしますが……」


 皇后から送られて来た使者は、以前の様子とまるで違うスンソンの態度に違和感を覚えずにはいられない。

 フィソンと仲が悪いのは有名な話だが、ここまで露骨ではなかったし、夫婦仲もいいはずだった。


「……それが、数日前に宮廷に行って以来、ずっとあの調子なの。私の顔を見るたびに、怖い顔になって……怒鳴って、睨みつけて、全てが気に入らないようで…………私の方が、何があったか知りたいくらいよ」


 ソランに恋をしてしまったスンソンは、自分を取り巻くものすべてが嫌なってしまっていたのだ。

 自分で選んだ花巫女も、気に入らない。

 自分の子を孕んだ花嫁も気に入らない。

 フィソンが手にしているものが、羨ましくてたまらない。


「俺が皇太子だったら……あいつなんて、生まれていなければ…………あの女だって、全部、俺のものだったのに————」


 ずっとギリギリのところで抑えていた欲が溢れ出して、自分でもどうしようもなかった。






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