第34話 欲


「どういう経緯で、あの時の侍女が今、皇后にまでなったのか、詳しいことは私は知らないわ。ただ、ミヘが手を回していたことは明らかなのよ」


 二人目の花巫女に選ばれたヨンジョンが、何者かの手によって失墜。

 初婚というわけではないし、花巫女は必要ないとして、二人目の皇后・美愛ミエ皇后————フィソンの母の結婚式では花巫女の儀式が省略されている。

 そのせいだったのか定かではないが、フィソンを生んですぐに病に侵され、フィソンが五歳の時にミエ皇后は亡くなっている。


「そういう経緯があったから、三度目の結婚式ではやはり花巫女を選ぶことになった。そうして、三人目の花巫女に選ばれたのは、陽家の親族だった。陽家が自分たちに都合のいい花巫女を陛下に選ばせたのよ。陛下が愛していたのは、ヨンジョンだけ。その心の穴を埋めてくれたミエ皇后も亡くなってしまった。花巫女なんて誰でもいいと思っていたでしょうからね……」


 そうして、いつの間にか貴族の養子となっていたミヘが皇后の座につき、今に至る。

 花巫女も皇后も、どちらも陽家の関係者で、さらに、上級官吏たちも同じく陽家に近しい人間ばかりが出世するようになっていた。


「このままでは、この国は欲深い陽家に乗っ取られる。それに、巫女に対する扱いもより酷いものになっていくでしょう。私たちの願いは、ただ一つ……元に戻すこと」

「元に戻す……?」

「そうよ。戻すの。星華帝国は、皇帝と皇巫の力によって建てられた国なの。皇后になるべきなのは、陽家や他の貴族の娘ではない。巫女の力を持った娘こそ、その地位にふさわしい。ソラン、あなたはヨン様だけじゃないわ……死んでいった巫女たちからも選ばれた存在なのよ」


 サンウォルはそう言って、ソランの両手を握る。


(え……?)


 すると、そこから瘴気のような、黒い靄のようなものが発生する。

 ソランの手のひらから、出ているようだった。


「これ……は…………?」

「選ばれた証よ。あの日、東宮殿であなたの中に巫女たちのがあなたの中に入ったの」



 ————私の願いを、叶えておくれ……



 池に落ちた時に聞いた声が、ソランの頭の中に再び響いた。




 ◇◆◇




「————ですから、まだダメですって」

「何がダメなんだ? 決まったことなんだからいいじゃないか」


 一方、まだ数日しか経っていないというのにフィソンは耐えかねていた。

 ソランに会いたい。

 何を見ても、何をしていてもそう思うようになってしまった。

 これはもう、今すぐに会いに行くしかないと、どうにか星宮殿に行こうとしているのを、何度もシン内官に引き止められる。


「日取りが決まるまで、お待ちください!! それに、星宮殿には皇巫様の許可がなければ何人たりとも出入りできないのです!!」

「だから、そらなら許可をもらって来いといってるじゃないか」

「ですから、花巫女に選ばれた者は、その日が来るまで一切男性と接触してはいけないのです。そういう決まりなんです」

「だから、それは私以外の男だろう? 花婿となる私には関係ないだろう?」

「何をおっしゃっているのですか!! 花婿だって男ですよ!!」

「だーかーらー、私の花巫女なんだから、別にいいじゃないか」


 何もシン内官は意地悪をしたくて止めているわけではない。

 花巫女が星宮殿で待機するのは、そういう仕来りだからだ。

 家族だろうと、友人だろうと、全く知らない他人だろうと、男の気にその体を触れさせない為と言われている。

 それに、これだけは恐れ多くて、シン内官は言いたくなかったのだが————


「ダメです!! 会いに行って、うっかり本番前にまぐわってしまったら、花巫女が死にます!!」

「うっかりまぐわ……!? シン内官、何言ってるんだ!! 俺がそんなことするわけないだろう!?」


 フィソンは顔を耳まで真っ赤にして否定した。

 そんな下心は一切ない。

 ただ、少しでもいいから顔を見て、話がしたかった。

 それだけだ。


「それは……今はそうかもしれませんが、実際に会ったらどうなるかわからないじゃないですか!! 皇太子様は覚えてらっしゃらないと思いますがね、寝言でも花巫女様の名前を呼んでいるんですよ!?」

「……えっ!?」


 実は昨夜、「皇太子様の部屋から何か声が聞こえる」と、見張りの内官から相談されて、寝ていたのを起こされたシン内官は、フィソンが寝言でソランを呼んでいたのを聞いている。

 最近、どこか上の空だと思っていたら、これは完全に恋煩いだと確信した。


「いいですか、皇太子様! 口ではどうとでも言えるでしょう。『下心なんてない』、『嫌がる女子に手を出そうだなんてしない』……けれど、体は正直なものなのです」

「は……!?」

「私が東宮殿に来る前は、書庫で働いていたことはご存知でしょう?」

「そうだったな。だが、それは今関係ないだろう?」

「ありますよ!! 書庫にはありとあらゆる書物があります!! そこでよく官吏たちから探していると尋ねられた書物は、なんだと思いますか?」


(書庫で探すといえば、あまり読まれない難しい本だろうか。それとも歴史書か? 伝記も読んでみれば面白いし……だが、利用しているのが官吏なら四書ししょか?)


「し、『詩経しきょう』?」

「『恋愛指南』です」

「れんあいし……ん? なんだ? それは……」

「女子を落とす方法が書かれた書物です。簡単にいえば」


 元となっている話は、ずっと昔の異国で書かれていた話らしいが、それを読みやすいように図解などを足して編纂へんさんしたものである。

 要するに、男女関係に悩んだ官吏たちが、こっそり仮に来る書物だ。


「私は散々、そういう類の話を聞かされてきたのです。それはもう自慢気に。彼らは言っておりましたよ。口では、『衣の上から触るだけ』『先っちょだけ』というものの、結局止められなくなって、最後まで……宦官の私にはその先っちょすらありませんが、一度タカが外れると止められない。そういうものだと。ですよね、護衛官」

「おい、急に俺に話をふるな!!」


 突然巻き込まれて、優守ウスは焦った。

 経験がないと言ったら嘘になるが、あまりこの手の話はフィソンが嫌がるため具体的な話まではしたことがない。


「……まぁ、でも、確かに一度手をつけたら止められないもんですよ。それが惚れた女だっていうなら、なおさら。男なら、目の前にさわり心地が良さそうな乳が並んでいたら耐えられませんよ」


 そう言いながら、何か思い出しているのかウスは両手を軽く閉じたり開いたりしている。


「やめろ、その手の動き!! 品がない!!」

「ああ、失礼しました」

「……それじゃぁ、その日取りはいつ決まるんだ? シン内官」

「それは、皇太子妃様が誰か決まらない限りは、決まりようがありません」


 皇太子妃の選抜試験が終わるまで、最低でも十日以上かかる。

 フィソンはとても、耐えられそうにない。


「そんなに会えないなんて……」


(今でさえ、こんなにも会いたいのに……)


「そうだ、フィソン様、そんなにお辛いなら、気晴らしに出かけませんか?」

「出かける? どこに?」

「ずっと東宮殿で引きこもって勉強ばっかりしているから、悶々としてしまうんですよ!! 俺の贔屓にしている店があるので、そこへ行きませんか?」


 それで気がまぎれるならと、フィソンはウスについて行った。


「————ほら、ここの妓女たちなら触り放題ですよ!!」


 ところが、ウスが贔屓にしている店というのが、なんと星華帝国一の妓楼だった。






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