第33話 あの人のお気に入り


「ヨンジョン……?」


(ヨンジョンって、確か、皇帝陛下の二番目の……————)


 思わぬ人物の名前が出て、ソランは混乱する。

 サンウォルは、自分が花巫女になれなかったことを悔やみ、ソランにその夢を託していたはずだ。

 恩心ウンシムから怪我さえしてなければ、本当はサンウォルが花巫女に選ばれていただろうと聞いている。

 サンウォルは自分が星宮殿の巫女であることを誇りに思っているし、ヨンジョンに対して、「星宮殿の名を汚した女」と憎んでいそうなものだ。

 しかし、サンウォルの口から語られたヨンジョンは、あの醜聞とはまったく別人のようだった。


「本来なら、このお役目はヨンジョンが果たすはずだった。ヨンジョンは、ヨン様の姿がはっきりと見えていたし、優秀な巫女だったわ。それに何より、陛下に愛されていた」


 実はサンウォルとヨンジョンは親友だった。

 二人は幼い頃から共に星宮殿で育ち、互いに良い競争相手。

 巫女としての実力は互角。

 サンウォルとヨンジョンの師匠たちは不仲で有名ではあったが、弟子の二人は仲が良かった。


「陛下がお選びになるのは、ヨンジョンだってことはわかっていたわ。あの日、後宮殿の祓いの舞で、ヨンジョンを見ていた陛下のあの表情————本当に恋をした人の目をしていたの。きっとヨンジョンなら、ヨン様の望み通り、私たち巫女の望み通り、その使命を果たせるはずだった」


 まだ現皇帝が皇太子だった頃、後宮殿にいる母に会いに来た現皇帝は、その帰りに偶然、祓いの舞を見た。

 その時、男役をしていたのはヨンジョンで、女役をしていたのがサンウォルだった。

 それは最初の妃がまだ存命だった頃で、決して結ばれることのないはずの、皇帝にとっての初恋。

 二人目の花巫女の最終選考の場に、ヨンジョンがいてどれだけ皇帝が嬉しかったか、表情だけでサンウォルはわかっていた。


 ヨンジョンは確かに愛されていた。

 他のどの女よりも、ずっと。

 それがわかっていたから、サンウォルは自ら身を引いたのだ。

 ヨンジョンが花巫女となれば、きっとこの花巫女の制度は見直される。

 悲しい思いをする巫女がいなくなると————


「でも、ヨンジョンは死んでしまった。ありもしない、嘘で……偽りの証言者たちのせいで————」


 偽りの証言者。

 ヨンジョンは他の男と通じてなんていなかった。

 それは、ヨンジョンを知る星宮殿の人間なら誰もが知っていることだ。

 ところが、次々とヨンジョンが他の男たちと体の関係があったと証言する者が現れる。


「何もかも嘘ばかり。ヨンジョンはそんなことをするはずがない。ついには、陛下もその嘘を信じてしまった」


 そして、ヨンジョンは流罪となり、その流刑地で死んだ。

 自分を陥れた犯人はわからず、行き場をなくしたヨンジョンの憎しみは怨霊となって東宮殿の池に沈んでいる。

 東宮殿の池には、そうやって誰かを恨みながら死んだ花巫女の怨念が溜まっているらしく、ヨンジョンの怨霊もそこへ引き寄せられた。

 何度か清めの儀式を行いはしたが、花巫女に選ばれるほどの力をもった巫女たちの怨霊だ。

 簡単に清められるものではない。

 祓うことはできても、完全に清め消し去ることは困難だという。

 その怨霊をなんとか食い止めているのが、あの猫又の姿をしているヨン————初代皇后だった芙蓉ブヨンの霊だ。

 神格化し、ヨンは巫女たちの怨霊から東宮殿を守る神となっていた。


「そんな……一体誰が、そんな酷いことを?」

「犯人はわからない。でも、一人だけ怪しい人がいるの……知恵ジヒェ妃のことを覚えているかしら?」

「はい。覚えています。確か、身体中におかしな発疹ができて……お亡くなりになったと」


 ジヒェ妃は、前皇帝の側室だった。

 原因不明の発疹に苦しみ、七年ほど前にその苦痛に耐えかねて自ら命を経ったのはソランでも知っている有名な話だ。

 薬師の手には追えず、星宮殿の巫女が派遣された直後の出来事だった。

 前皇帝の側室の中では一番若く、後宮殿を出た後に別邸に移ったが、当時腹に子供がいたらしい。

 流れてしまったが、実は現皇帝の子供であると噂があった。


「前皇帝は床に伏せっていたし、ジヒェ妃が妊娠するには、時期がおかしかった。前皇帝を裏切って、その息子である陛下に乗り換えたって…………陛下が後宮殿でヨンジョンを見たのは、その帰りだった」


 現皇帝の生母は、正室の皇后ではなく側室。

 後宮殿にはその生母に会いに通っていたという話になっているが、そこがどうも怪しいとサンウォルは睨んでいる。


「これは私の憶測でしかないけれど、そのジヒェ妃が仕組んだことだと思っている」


 ジヒェ妃は、とても欲が深い女だったと聞いている。

 若くして皇帝の側室となり、当時の皇后が亡くなった後はその座を狙っていた。

 しかし前皇帝が高齢であることと、すでに世継ぎが決まっていることから、その願いは叶わなかったが、その狙いを皇太子に変えていてもおかしくはない。

 皇太子妃も妊娠していたが、体調が優れずにほとんど寝たきりだった。

 もしジヒェ妃が妊娠していた子供が生まれていたら、今頃第二皇子となっていただろう。


 穢れを受けた花巫女との子供である第一皇子より、穢れを受けていない自分との子供の方が皇太子になれる可能性があった。

 ジヒェ妃は正室ではなかったものの、実家は力のある名家だ。

 皇子さえ生まれていれば、皇后の座についてもおかしくなかった。

 もちろん、現皇帝に愛されていれば……の話だが、その願いも叶わず新たに皇后を選ぶことになった。


 それも、花巫女まで新たに選ばれる。

 その中に、現皇帝の心を奪ったヨンジョンがいた。


「ジヒェ妃としては、悔しかったでしょう。だから、ヨンジョンの侍女に自分のお気に入りをつけた」

「お気に入り……?」

「花巫女の侍女なら、花巫女の部屋に捏造した証拠を置くことは可能よ。ヨンジョンの侍女は三人。ウンシム、シナ、


 そのミヘこそ、当時はまだ見習いの女官だった現在の皇后・美海ミヘである————


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