第28話 逆らえない運命


 一方、急に使いが来て宮廷に呼び出されたイム元内官はシン内官と共に南方の村から都へ向かっていた。


「まったく、今更、俺のような老体を呼び出して、一体なんの用なんだ」

「詳しくは私にもわかりません。とにかく、急いでください!」


 イムは皇太子付きの内官をやめさせられてから、もう二年以上経っている。

 今更、自分になんの用があるのか全く見当がつかなかった。

 シン内官に理由を聞いても、ただ言われた通りに呼びに来ただけ。

 その上、都からは離れて暮らしているため、今宮廷で何が起きているかも全く把握していなかった。


「こっちにも一応、心の準備が必要だ。どういう状況で、俺を呼んで来いと言われたか説明してくれないか?」

「えーと、そうですね……今、東宮殿では皇太子様の花巫女の選定試験をしていまして————」

「花巫女……? ああ、あの皇太子様がもうそんな年になったのか。それで?」

「その花巫女候補の中に、宮廷薬師の娘が……皇太子様は、その娘のことがどうも気に入っているようなので————」

「宮廷薬師の娘……?」

「ええ、ファ咲蘭ソランという娘で……」

ファ!? ということは、ファ蓮水リョンスの娘か!?」

「ご存知なのですか……?」


 まさかイムの口から、父親の名前が出てくるとは思わず、シン内官は驚いた。

 シン内官は今は東宮殿で皇太子付きの内官をしているが、その前は書庫で雑用をしていたため、宮廷薬師とは全くもって関わり合いがない。

 だからこそ、このイムとソランの父になんの関係があるのか知る由もなかった。


「ああ、そうか……もしや、あの時の————!?」


 イムにとって、ソランの父であるリョンスは気に入らない存在だった。

 何しろ、誰より溺愛していた姪がリョンスのおっかけをしていたのだ。

 それまで「大きくなったら叔父上と結婚する」と言っていた姪の初恋の相手がリョンスだった。

 一方的な片思いではあったが……


「あの時と、言いますと……?」

「いや、なんでもない。気にするな」


 十二年前、イムは池に落ちた少女がリョンスの娘であることは後で知った。

 探すつもりなんてなかったが、あまりにフィソンがしつこかったので、いやいや調べたのだ。

 ところが、相手があのリョンスの娘。

 それも、フィソンの様子からなんとなくフィソンがその娘に好意を抱いているような気がしたイムは、こう考える。


 リョンスの妹は東宮殿の女官。

 同じように女官になる可能性は十分ある。

 家柄から正室にはなれないにしても、将来の側室候補にされるかもしれない。

 もし、そんなことになって、皇子でも生まれたら、いい思いをするのはリョンスではないか……と。


 あの気に入らない男に、そんな美味しい思いをさせてたまるかと、何もわからないふりをしていたのだ。

 それ以上調べなかったため、星宮殿の巫女になっていたことは知らなかったが、リョンスの娘が関わっているなら、その件ではないかと察しがつく。


「————……あの小さかった娘が、花巫女候補とは……俺一人がどうあがいても、運命ってやつは変えられないということか」


 イムはそう呟いたが、シン内官の耳には届いていなかった。





 ◇◆◇



「え……えーと、あれ?」


 翌朝、ソランは頭が石になったのではないかと思うくらいに重く、そして痛い。

 今まで経験したことのない気持ち悪さを感じ、完全に二日酔いを起こしていた。


「ソラン様、大丈夫ですか?」

「ファ女官様がソラン様にって、干し鱈粥を用意してくれましたが、食べられそうですか?」


 璘潾リンリン玟旻ミンミンは心配そうにソランの顔色を伺う。

 本当に具合が悪そうに見えて、心配になる。


「大丈夫よ。そんなに心配そうな顔しないで……」


(きっと昨日のお酒のせいね……)


 はっきり言って食欲はなかったが、湯気が立っている干し鱈粥の懐かしいにおいには惹かれるものがあった。

 記憶の中の母の料理と同じ。

 ソランの母・望月マンウォルは嫁ぐまで料理なんてしたことがない人で、一時期一緒に暮らしていたリンミョンの叔母から習った。

 そのせいもあって、リンミョンが作る料理も同じ味がして、懐かしさで泣きそうになる。


(何この、体に染み渡る感じ……)


 東宮殿で上級女官になるには、ありとあらゆることができなければならない。

 掃除、洗濯は見習い女官の間に徹底的に叩き込まれ、その後、料理や裁縫仕事などを経て皇太子の好みを学び、直接皇太子と接する機会がある入浴の準備、書状の代筆、皇帝陛下や皇后、官吏との間の取次を行ったりと仕事は山のようにある。


 本当はこの花巫女選定試験の期間中、侍女としてソランを支えることができればと思っていたが、花巫女候補の血縁者には不可能。

 そこで、花巫女候補の四人全員の体を気遣って……ということで、きちんと皇太子の許可を得て作られている。

 他の花巫女候補たちも、ソランよりは早い段階で倒れたが、同じように二日酔いになっていたのは明らかだった。


「それにしても、ソラン様の叔母様がファ女官様だとは思いもしませんでした。確かに、口元は似ている気がしますけど……」

「そうそう、私たちも双子だからつくづく思うけれど、不思議よね。血の繋がりって」

「見た目だけじゃなくて、性格も似ていたりするわよね」

「好きなものが一緒だったり」

「そうそう、嫌いなものもね」


(師匠と母上も、双子だからよく似ているのよね……)


 リンリンとミンミンの話。

 そして、リンミョンが作ってくれたこの懐かしい干し鱈粥の味に母を思い出して泣きそうになる。


(もし母上が今も生きていたら、師匠とこんな風に姉妹で話していることもあったのかな……)


 そうして、そこから記憶は徐々に広がり、自分が星宮殿に来る前のことを思い出した。

 庭、水仙の花、白い兎、見知らぬ男の子、池————


(そういえば、あの兎さん、どうなったのかしら……? …………ん?)


 顔をはっきり覚えているわけではない。

 けれど、ふと思う。

 あの時、あの見知らぬ男の子とフィソンが似ているような気がする。

 それに————


(あの時、池の中に……何かいたような気がする————)


 誰かの声を聞いた気がして、ソランはそれが気になって仕方がなかった。

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