第27話 女官と皇后


「まったく……何が躾よ。嫌がらせする気満々じゃない。ああ言うところは、本当に昔から変わっていないわね!! あの女狐め!!」


 リンミョンは出て行った皇后とその侍女たちの背に向かって、そう悪態をつく。

 一介の女官が、皇后に向かってそんなことをしたら普通、処罰されるのだろうが……

 皇后のやってきた数々のことを知っているリンミョンに、それは通じない。


「お、叔母さん? 大丈夫なの? 皇后様に向かってそんな……」

「ああ、大丈夫よ。だって、あれは本当にとんでもない女狐だもの。皇帝陛下もあんなのにまんまと騙されて————……っと、これ以上は皇室侮辱になってしまうわね。すみません、皇太子様」

「あ……いや、私は別に、大丈夫だ」


 リンミョンはフィソンが幼い頃からずっと東宮殿で働いている優秀な女官だが、まさかミヘと何か因縁があるとは知らなくて、ただただ、フィソンは唖然とする。


「とにかく、今日のところはもう宴会はお開きにしましょう。ソラン、あなたも飲み過ぎだし、皇太子様も飲ませすぎです。ファ家の人間は、大酒飲みの家系ではありますが、流石に度が過ぎます」

「そ、そう、だな。うん、そうしよう。ソランも疲れただろう?」

「そ、そうですね……」


 そこで初めて、フィソンはずっとソランを抱きしめたまま会話していたことに気がつく。

 目があって、急に恥ずかしくなった二人は顔を真っ赤にながら、お互いにバッと離れた。


(な、何これ……!! なんだかすっごく顔が熱いし、心臓の音が……!! ま、まだお酒に酔ってるせいかしら?)


 ソランはチラリと横目でフィソンを見る。

 フィソンもフィソンでソランをチラリと見ていたので、お互いにまた目があって、恥ずかしくてすぐにそらした。


「ああ、それと、皇太子様————」

「な、なんだ?」

「ソランを……この子を花巫女に決めたのなら、ちゃんと守ってくださいね。あの女——……ああ、失礼。皇后様は、おそらくありとあらゆる嫌がらせをしてくると思います。あれはそういう女なので……変な噂とか、策略にはまって、ソランを無下にしたりしたら、この私が絶対に許しませんので」


 リンミョンは、これまでミヘがやってきた数々の悪行を思い出したのか、どこか遠い目をしながら、けれどはっきりとした口調で宣言した。


「ソランを泣かせたら、私が倍にして返しますから」


 そして、ふっと笑ったのだが、その笑顔が怖くてフィソンは必死に首を縦に振った。


「あ、ああ、もちろんだ!!」



 ◇◆◇



「————あのままでいいんですか、皇后様」

「いいのよ、放っておきなさい!!」


 東宮殿の女官が皇后様に向かって失礼ではないかと侍女は思ったが、ミヘの頭の中はそれどころじゃない。

 リンミョンの顔を見て、女官見習いだった頃の記憶が頭をよぎっていた。


 父は死んだと聞かされていたミヘは母方の祖父母の家で育てられたが、その家はとても貧しく、母も病で死んでしまい、女官になれば禄がもらえるからと後宮殿に。

 最初は自分は宮廷に売られたのだと本人は全くやる気がなかったが、当時の皇帝の側室に気に入られ、世界が一変する。

 こんな煌びやかな世界があるのかと、ミヘは他の女官見習いの子たちとは違って、早い段階で自分も側室になりたいと思うようになっていた。

 皇帝のお手つきとなれば、少なくともあの貧乏な家族から禄を奪われなくて済むのではないかと……

 ところが女官見習い期間が終わり、一度実家に戻った時、見たことのない男が家にいた。

 その男は、ミヘの父の友人で、ずっとミヘのことを探していたのだ。


 その父の友人から、自分の父が貴族————それも、左丞相の親戚にあたる人物であったことを知り、どれだけ嬉しかったか……

 ミヘは本来の身分を取り戻し、左丞相の甥である男の養子となった。

 しばらくはその家で貴族の娘としての教育を受けていたが、新しく皇后を選ぶことになり、その候補者となる。

 しかし、本来の生まれで皇帝との相性を占うと、あまりよろしくない。

 そこで彼女は、生まれた日を勝手に変え、今の皇后の座を手に入れた。


 リンミョンは、ミヘの本当の生まれた日も、初恋の相手だって知っている。

 見習い女官だった頃、かなりの色男だと有名だった蓮水リョンスのおっかけをしていた。

 そもそも、ミヘがリンミョンと仲良くするようになったのは、リョンスに近づきたかったからだ。

 リンミョンと仲良くして入れば、妹の友人として目も合わせてくれるし、会話もしてくれる。

 それが狙いだった。

 側室になれなくても、リョンスと結ばれることを夢に見ていた時期もある。


「ところで、例の件はどうなったの?」

「例の件、といいますと?」

「皇太子妃の候補よ。まだ見つかっていないの? どうしても見つからないなら、生まれた日を偽ったて構わないわ」

「は、はい。それが、分家のそのまた分家に、ちょうどいいのがおりまして、今、選定試験に向けて準備しているところです」


 皇太子妃も、花巫女と同じく選定試験を経て決定する。

 まずは星宮殿で相性を占う。

 そこさえ通ってしまえば、あとは試験などないようなものだ。

 最終的に選ぶのは、皇后の役目だ。

 容姿が多少悪かろうが、今の権力を維持できれば、それで構わない。


「それじゃぁ、試験が始まる前に一度私のところに連れてきなさい。ああ、それと、あの巫女……なんて名前だったかしら?」

ファ咲蘭ソランですか?」

「そっちじゃないわ! ジョ家の方よ!」

「あ、そちらでしたか。あの者がどうかしました?」

「どうせ選ばれることはないでしょうから、選抜試験後は星宮殿ではなく私の元に置くわ。巫女としては、優秀なのでしょう?」

「かしこまりました。そのように手配しておきます」


 侍女は深々と頭を下げると、その指示を伝えに星宮殿の方へ走って行った。

 本来なら選ばれなかった巫女の処遇は皇巫が決めるが、今の皇巫はミヘの言いなりだ。

 どうとでもなる。



「————やはり、裏で手を引いていたか」



 物陰からじっと、ミヘを見ていたがそう呟いた。

 しかし、その場にいた誰にも、妖であるヨンの姿も声も聞こえはしない。


「ん……?」


 何かが後ろを通ったような、そんな妙な感覚がしてミヘは一度振り返ったが、風に木々が揺れているだけだった。


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