第六章 それぞれの初恋

第26話 かつての友人


「認めません、こんな不敬な女」

「ですが……!! 花巫女の最終決定権は私にあります。皇后様に口を出す権限は————」

「まぁ、ひどい。私があなたの本当の母親ではないから、そんな怖い顔をするのね」

「そういうわけでは……!!」

「そういうことでしょう? あなたはこの国の皇后である私に吐瀉物をかけるような女を花巫女とするつもりですか? それにその様子では随分この女を気に入っているのようじゃない。花巫女は、あくまで正室と穢れなく初夜を迎えるための相手でしかないのですよ? あなたは、将来、皇帝になるのでしょう? 陛下と同じように位の低い女との間に子供でも作るおつもりですか? そのせいで、一番傷ついているのはあなたでしょう!?」

「それは————……!!」


 一瞬気を失ったが、すぐに目を覚ました咲蘭ソランは、自分の目の前で、輝星フィソンが衣は汚れているが————とても綺麗な大人の女性と口論をしている状況が理解できなかった。


(だ、だれ……?)


 さっぱり話についていけない。

 それに二人は何故もめているのか、この女性は一体誰なのか……


(わからない……でも、なんでだろう? でも、この人————普通じゃない)


 纏っている空気が違うのだ。

 フィソンが敬語を使っているということは、皇太子より身分が高いということになる。

 見たことのない、不思議な色の瘴気とは少し違う……何かを纏っている人だとソランの目にはそう見えた。


「そもそも、祓いの儀式さえつつがなく行えればいいのですから、巫女として優秀であれば花巫女なんて誰でも良いでしょう? まったく、こんな悪しき風習のせいで、将来はこの国の母となる正室がかわいそうです。いいですか? 花巫女はどうあがいても所詮、側室止まりです。あなたの好みなんてどうでもいいのです」


(なんかよくわからないけど……酷いことを言われているような気がする……)


「どうでもよくありません! 花巫女を選ぶ権利は私にあるんです。皇太子妃は皇后様が選ぶのに、花巫女まで勝手に決めるおつもりですか!? たかが、吐瀉物を衣にかけられたくらいで、なんだというんです!? 私なんて、顔にかけられました!!」

「顔……っ!?」


 美海ミヘは、顎が外れそうなくらいに口をポカンと開けて驚きながら、ソランの方を向く。


「あなた、皇太子の顔に……なんてことを!?」

「えっ!? ご、ごめんなさい!!」


(え、待って!? この人、皇后様!?)


 そこで初めて、ソランはようやく今目の前にいるのが皇后であることと、その皇后に自分の吐瀉物をかけてしまったのだと理解する。

 まだ少し酒が回っていてふわふわしていた頭が一気に冷めて、全身から血の気が引いていくのがわかった。


 皇后様ということは、つまりはこの国の母。

 この国の女性の頂点に君臨しているお方だ。

 そんな高貴なお方の衣を、盛大に汚したのだ。


 必死に何度も頭を下げたが、その度に自分の口から出た吐瀉物が視界に入り、いたたまれない気持ちになる。

 本当に申し訳ないと思っているし、それと同時に、とんでもない人を怒らせてしまったという恐怖を感じる。


(わ、私、今度こそ殺されるんじゃ……!?)


「信じられない……こんな女が花巫女だなんて————認めませんよ!! 即刻、失格にしなさい!!」

「嫌です!! 勝手に決めないでください」


 フィソンは大声で怒鳴った。

 そして、ミヘを睨みつける。


「もう私は決めたんです。私の花巫女はこのソランにすると……皇后様が何を言おうと、絶対にそうします」

「何言ってるの!? ダメだと言っているでしょう!? ちょっと、あなた!! あなた一体、フィソンに何をしたんですか!? この子は、小さい頃から私の言いつけを守って、継母である私にも逆らったことなんて一度もない、優しくておとなしい子なのですよ!? まさか、おかしなまじないでもかけたんじゃないでしょうね!? フィソン、あなたは騙されているのですよ!! 巫女なら、人の心を操る方法くらい知っているのでしょう!?」


 初めてフィソンが言うことを聞かなかったことに動揺し、ミヘはソランの顔を叩こうと手を振り上げた。

 いつも立場をわきまえ、言われた通りにしていたフィソンがここまでムキになっているのは初めてのことで、ミヘもついカッと頭に血が登ってしまったのだ。

 フィソンはソランが殴られる前にさっと自分の方にソランを引き寄せ、とても大事そうにソランを抱きしめる。

 ミヘの振り上げた手は、行き場を失った。


「何をするつもりですか!? 皇后様ともあろうお方が、暴力だなんて……!!」

「失礼な。私はただ、あなたをこの身の程知らずから守ろうと……————」

「————皇后様!!」



 一触即発状態の中、一人の女官が割って入る。

 ソランとフィソンを守るように、その女官はミヘの正面に立った。


「……り、鈴明リンミョン!? どうしてあなたが……」

「皇后様、この子はあなたとは違います」

「な、なんですって……!?」

「皇后様のように、人の心を操ろうなんて、そんな恐ろしいことができる子じゃないわ」


 ソランの叔母であるリンミョンと皇后であるミヘ。

 実はこの二人、幼少期共に過ごした幼馴染————かつての友人だ。

 リンミョンが見習い女官をしていた時、ミヘも同じく見習い女官として後宮殿でともに育った。

 リンミョンは見習い期間が終わり東宮殿の女官となったが、ミヘは見習い期間が終わった後、突然姿を消す。

 それから数年後、皇后としてミヘは再び宮廷へ戻ってきた。


 とても皇后になんてなれるような身分ではなかったはずが、知らぬ間に当時の左丞相の甥の養子となり、今の地位についた。


「それに、『周りが反対すればされるほど、恋は燃え上がるもの』だと、私に言ったのはあなたですよ?」

「……それは……っ!!」


 幼い頃から、ミヘは権力者に取り入るのが上手い。

 特に、男の心を操る才能があった。

 ミヘは当時のことをよく知っているリンミョンの顔を見て、このままでは色々暴露されかねないと察し、悔しそうに下唇を噛みながら引き下がった。


「ま、まぁ、いいわ。今日のところは————……かつての友人の顔を立てて、許しましょう。しかし————」


 ミヘはキッっとソランを睨みつけ、すぐに、ニヤリと笑う。


「その女が花巫女になるのなら、この私が皇后として厳しくしつけるから、覚悟しなさい!!」


 そんな捨て台詞を吐いて、東宮殿を出て行った。



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