第24話 真夜中の訪問者


 これまでずっと、フィソンのそばで育ち、立派な護衛となったウスは、この時初めて、フィソンが心から安らいでいるような、そんな雰囲気を感じ取る。

 ソランのように、瘴気や呪いが見えるわけではないが、明らかにいつもどこかピリピリとしている様子とは違うのが見て取れたのだ。


「なんか……皇太子様とてもご機嫌じゃないですか?」

「私、もっと怖い人だと思ってました……」


 それはリンリンとミンミンも同じで————


「————しばらく二人きりにしておこう。いい雰囲気だし」


 ウスは扉をそっと閉めて、リンリンとミンミンと三人で扉に背を向けて並んだ。


「花巫女様、もうソラン様で決定じゃないですか?」

「残り七日もいらない気がします」

「そうなだな。でも……確か、明日はアレがあるだろう?」

「ああ、そうでした。アレですね」

「アレだけは全員やらないといけないんでしたね……」


 花巫女最終選考、四日目の夜。

 最早、最後の一人は決まったようなものだが……皆が口を揃えていうアレがある。



 ◇◆◇



 しばらくして、ソランは目を覚ました。

 もうすでにフィソンは自分の部屋に戻っており、外は真っ暗。

 月が雲にうっすらかかっている、真夜中だった。


 おかしな時間に寝てしまったせいで、変な時間に目が覚めてしまったのだ。

 夕食も食べ損ねたせいで、腹の虫がぐぅぅと鳴る。


(お腹すいた……)


 何か食べるものをもらってこなければと立ち上がると、ちゃんと円卓の上に夕食が並んでいた。

 すっかり冷めてしまっているが、空腹を満たすのには問題ない。


(あ、この味、知ってる)


 それは鈴明リンミョンが作ったものだった。

 冷めても美味しいなぁと、黙々と食べ続けていると、ふと視線を感じて、部屋の隅に目をやる。


(猫……?)


 以前、星宮殿に連れていかれる前に見た、尻尾が二本ある猫が部屋の隅からこちらを見ていた。

 今のソランになら、それが何かはっきりわかる。

 これはいわゆる、妖の類だ。


「あなたも、食べる……?」


 長く生きた猫の魂は死後尻尾が二本になり、猫又と呼ばれる妖になる。

 悪い妖と、そうでない妖の区別はつく。

 この猫又からはその悪い感じが全くしなかった。

 赤い首輪がついているし、きっと、この東宮殿で大切に飼われていた猫が死んで妖になったのだろうと思った。

 ところが————


「いらん」


 猫又はっきりとそう言った。


(えっ!? 喋った!?)


 喋る妖と出会ったのは、初めてのことだった。

 思わず身構えてしまう。


(もしかして、とても妖力の強い妖!? ど、どうしよう……だったら、祓わないといけないかも————)


「————そう身構えるな。お前に話がある」

「わ、私に?」

「お前以外に、誰がいるというんだ」


 猫又は自分の名をと名乗った。


「儂はとあるお方に長い間飼われていた猫でな……死後、そのとあるお方のめいを受けて、こうして東宮殿の中にとどまっている」

「とあるお方……?」

「そのお方の名は明かせぬが……とにかく、お前をあの小僧の花巫女になるだろうと見込んで、良いことを教えよう」


 ヨンはのしのしとソランの方に近づきながら、話を続けた。


「もう一人の花巫女の座を狙っているあの愚かな鳥家の女————あれがお前にとって強敵となるやもしれぬが、もし困ったことになったら、こう言えばいい。『あの女は皇太子を呪った』と」

「はい? 何言ってるの……? エンガさんがそんなこと、するわけないじゃない。どうして、そんな嘘を?」

「嘘ではない。事実だ。あの愚か者は、自分で呪いをかけ、皆の前で祓うつもりでいたのだ。儂は見ていたからな、証拠ならあの愚か者の侍女が持っている。そもそも、花巫女の侍女に縁者は任命されない決まりとなっているが、あれは鳥家の縁者だ。うまく隠しているようだが、その時点で不正は行われている」


 ヨンの話では、エンガは鳥家の期待を一身に背負っている他、とある権力者の息がかかっているというのだ。

 縁者が侍女をしているのも、自らフィソンを呪って、皆の前で祓って見せるよう指示をしたのは、その権力者だという。

 ソランが先にフィソンと会ってしまったせいで、その作は失敗に終わったが、代わりに祓いの舞で挽回しようとして、それもまた失敗に終わってしまった。


「とある権力者って、誰……?」

「それは、まだ確証がないから言えない。とにかく、はお前こそが花巫女に選ばれるべきだと考えている」


(儂ら……? 他にも、誰かいるの……?)


「お前の祓いの舞、そして、誰よりも早く呪いを祓ったお前の才能は確かだ。やはり儂の目に狂いはなかった。まぁ、もっとも、この儂の姿が見えていた時点で、お前に才能があるのはわかっていたがな……しかし、少々心配なことがあり、こうして話をしようと思ったわけだ」

「はぁ……」


 ソランは、どこまで話を信じたらいいかわからない。

 ヨンの話には何か隠しているような、不審な部分もあるし、本当にこの妖がソランのことを心配して話しているようにはなんとなく思えなかったからだ。


「明日の夜、アレが行われるだろう?」

「アレ……?」

「そうだ、アレだ」


 アレと言われても、ソランにはまるで思い当たるものがなかった。


「どんなに素晴らしい力を持った巫女でも、アレの前では我を失ってしまう。何人もの巫女がアレの前で色々とやらかして失格となったのを見て来ている。お前もそうなってしまっては困る。だから————」

「————ソラン様? どうかしましたか?」


 ヨンが続きを話そうとした時、扉の向こうからウンシムの声がした。

 侍女達は花巫女候補の身の回りの世話を任されているため、常にすぐ近くに待機している。

 ソランの話し声が聞こえて、目を覚ましたのだ。


「……チッ」


 ウンシムが扉を開けたと同時に、ヨンは姿を消してしまった。


「ソラン様?」

「な、なんでもないです。ちょっと、その、寝ぼけていただけよ」


(今の、なんだったの? アレって何?)


 結局、この後朝が来てもヨンは姿を現さなかったため、ソランは首をかしげるしかない。


(もしかして、夢だった……?)


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