第四章 宮廷薬師の娘

第16話 皇室の裏事情


「聞いたか、皇太子様の婚姻の話」

「ああ、あの皇太子様がもうそんな歳になられたなんて……時の流れとは早いものですね」


 宮廷で働く者たちの関心は、このところ皇太子の婚姻に関する話で持ちきりだった。

 花巫女の選定と同時に行われている皇太子妃の選定も進んでおり、どこの家の娘が皇太子妃になるかと、ああだこうだ言い合っている。

 一番有力な候補なのは、現在の皇后・美海ミヘの親戚筋だ。


 噂によれば、ミヘはこの星華せいか帝国の建国時に尽力した忠臣・ヤン太赫テヒョクの末裔。

 現在、高官たちの多くがその陽家にゆかりのある人物ばかりということもあり、皇太子妃にも陽家と関わりのある家から選ばれるのではないかとのことだった。


「お前はどう思う? 蓮水リョンス

「……え? 何が?」


 薬棚の整理をしていたリョンスは、急に同僚の薬師に話を振られて、手を止める。


「だから、皇太子妃様がどの家の娘になるか、だよ」

「皇太子妃か……花巫女じゃなくて」

「花巫女なんて、家柄は関係ないだろう? 俺たちには誰が選ばれるかなんて予想できるかよ。最終的に選ぶのは皇太子様だ。あの皇太子様の好みの女なんて、想像もつかないだろう? そもそも、予想しようにも巫女たちは男の前じゃ、いつも顔を隠しているし……」


 瘴気や呪いを祓いに来る星宮殿の巫女たちは、男の前では顔を隠している。

 彼女たちが顔を出すのは、同じく男子禁制の後宮殿で行なっている祓いの舞の時や、何か特別な儀式の時だけだ。

 なんの情報もないため、誰が花巫女に選ばれようが宮廷で働く男たちには関心のないことだった。

 一方で、高官の娘たちは顔がわかっている。

 皇后や皇女たちが主催する茶会や歌会に参加することもあるし、とくに宮廷薬師は皇族や貴族たちの診療もしているため、そちらの方が関わることが多い。


「賭けの対象にすらなってない」

「おい、誰だ、そんな不敬なことを始めた奴は……」


 リョンスの知らない間に、皇太子妃になるのはどこの家の娘か、賭けが行われていたようだ。


「お前なぁ、そんなに真面目では面白みがないだろう。まったく、若い頃はもっとこう、お前にも遊び心があったはずだが、どうしたんだ?」


 この同僚とは、確かに若い頃から共に働いてはいるが、彼はリョンスの娘が星宮殿の巫女————しかも、年齢的に花巫女に選ばれる可能性が高いことは言っていなかった。

 薬師としては信頼はしているが、少々口が軽いのが玉にきずだ。


「心を入れ替えたんだ。娘を失ってから……な」

「ああ、そういえば、お前の娘さん、まだ見つかってないんだって?」

「……ああ」


 言えるはずがなかった。

 星宮殿に娘がいるなんて、宮廷薬師としては恥だ。


 星宮殿の巫女たちは、薬師に直せない病気を奇妙な術で治す。

 彼女たちの言葉を借りれば、それらは呪いによるもの。

 薬師の多くは、そういう目に見えないものは信じていない。

 しかし、どんな薬を使っても寝込んだままだった人間が、巫女たちの手によって回復するのは事実だった。

 宮廷薬師たちは、それを認めたくはないが、無下にもできない。

 星宮殿の巫女を呼ぶのは、最終手段————つまりは、治せないと手を上げたことになる。

 薬師としての自尊心を傷つける行為だ。


「どこかで生きていればいいが……」


 同僚は同情して悲しげな目をしていたが、リョンスは誰にも話すつもりはなかった。

 花巫女に選ばれれば、必ず助けが必要になる。

 その時が来たら、助けられるように何の問題も起こさず、宮廷薬師の地位にこれまでしがみついてきた。

 妹の鈴明リンミョンが東宮殿でその準備をしているように、リョンスもできることをしてきたのだ。


「————ところで、麝香ジャコウの数が減っているが、誰に渡した?」

「え……? ああ、それは————確か、皇后様が……」

「皇后様?」

「ほら、最近、陛下と上手くいってないって噂だろう?」


 皇室には、皇太子以降長らく男児が生まれていなかった。

 皇帝と皇后ミヘとの間には、三人子供がいるが、上の二人は皇女。

 一番下の第三皇子・留星リュソンが生まれて三年。

 皇帝の足は皇后から遠のきつつある。


「リュソン皇子は体が弱い。皇后様としては、他の側室たちに先に皇子を産ませたくないんだろうさ。だから、引き止めるために常に色々お試しになっている」


 皇太子に何かあれば、世継ぎになるのはリュソンか第一皇子だ。

 まだ幼く、体も弱いリュソンより第一皇子の方がその可能性は高い。

 ミヘはもう一人皇子を産まなければ、自分の立場が弱くなることを気にしていた。


「皇子を産んでこそだと思ってるからなぁ。まぁ、その点を考慮しても、やっぱり陽家から選ばれると思うんだよなぁ、皇太子妃は……」


 対立している他の家から皇太子妃を選ぶことは、まずないだろうと賭けをしている誰もがそう思っている。

 嫁姑問題は、どこの家でも起こる厄介ごとだ。

 わざわざその可能性が高い家から選ばれることはないだろう。


「だから、賭けの話はもういいと言っているだろう。それに、儲けたいなら陽家以外はやめた方がいい」

「はぁ? なぜだ、リョンス。何か根拠でもあるのか?」

「……なんとなくだ」


 リョンスは知っていた。

 後宮殿へ体調を崩していた側室に煎じ薬を届けた帰り、皇后が話していたのを偶然聞いてしまったのだ。


(陽家の娘たちと、皇太子様の相性は最悪らしいからな……)


 皇太子妃の候補者全員の相性を星宮殿の巫女たちに占わせたが、陽家と関わりがある家の娘は、誰一人、適任者がいない。

「養子を取ってでも、どこかから連れてこい」と発狂していた皇后の金切り声が、部屋の外まで響いていた。


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