第13話 噂の真相


 誰かに素直にお礼を言う事。

 フィソンは、それが大の苦手だった。

 恥ずかしくてたまらない。

 いつも顔から火が出ているのかと思うくらいに、耳まで真っ赤になってしまう。


 そんな単純な事も簡単にできない自分が情けなくて、結局、礼を言う機会を何度も逃してきた。

 感謝を伝えることは、フィソンにとってとても勇気のいる行為。

 十二年前のあの少女に対しても、目の前にいる謎の男にもきちんと礼を言わなければと……ずっと心に引っかかっていた。


(よし、言うぞ————)


 一つ深呼吸をして、礼を言おうと口を開いたフィソン。

 しかし、これから礼を言われる本人から、質問が飛んでくる。


「……え? どうして、私が皇太子様にお礼を言われなければならないのでしょうか?」

「なっ……!!」


 謎の男はキョトンとしている。

 意味がわからない……と、顔に書いてあるかのように。


「お、お前が、あのとき、ポヤを東宮殿に連れてこなければ、ポヤがずぶ濡れになっていたし、探し続けていれば私が濡れていた可能性もあった。お前に助けられた……と、そう、思って————」


 自分で何の礼なのか、説明どんどん恥ずかしくなってくる。

 口調も早口になってしまったし、ちゃんと伝わったかどうかもわからなかった。

 フィソンはあまりに恥ずかしくて、耐えきれず懐から扇子を出して広げ、口元を隠す。

 目の前の謎の男と目を合わすことができず、チラチラと横目で見ながら、反応を見る。


「ああ、そうそういうことでしたか!」


 謎の男は説明に納得したようで、「なるほどなるほど……」と、何度かブツブツ言った後、はっきりとフィソンの目を見ながら言う。


「当然のことをしたまでです。困っている人がいたら、助けるのは人間として普通のことですし……それに、その時のお礼なら既にいただいております」

「え……?」

「あんなに広くて豪華な浴場を使わせいただいたのは初めてでしたし、皇太子様のおかげで、ずっと会えたなかった叔母に会うこともできました」

「叔母……?」

「あ、えーと、とにかくですね! 私はてっきり、あのように逃げるように姿を消しましたので、皇太子様がお怒りになっていて、打ち首にしようとしているのだと————そんな噂を耳にしまして…………今日はその謝罪に来たのです」

「謝罪? いや、別に怒ってはいないぞ?」

「では、私は打ち首にされることはないですよね……?」

「するわけないだろう。仮にお前が何も言わずに帰ったとしても、ただそれだけで打ち首なんて幾ら何でもありえないだろう」


 謎の男はホッとしたようで、それまでずっと緊張気味だった体からすっと力が抜けたのがフィソンには見て取れた。


「ところで、お前はどこの誰なんだ……? 内官たちに探させていたが、全く行方が分からなかったし……どこかの武官や官吏でもないようだが……」

「え……っ!? あ、あぁ、ええと……そのぉ……」


 ところが名前を聞いてみれば、目が泳いでいる。

 とても怪しい。


「名前は?」

「その……あー……えーと……」

「名前も名乗れぬのか……?」


 フィソンは問い詰めようとしたが、その時、空気を読めないシン内官が御膳を持った女官を二人引き連れて後ろから声をかけてきた。


「皇太子様、朝食の準備ができましたがどちらに置きましょうか?」


 シン内官はまさか誰かと会話中だとは思わず、身を乗り出してフィソンの背中で隠れていて見えなかった相手の顔を覗き込む。


「あ! あの時の!? 貴様のせいで、フィソン様のご機嫌が悪くて大変だったんだぞ!? どうしてくれる!?」


 人の顔を覚えるのが苦手なシン内官も、流石に顔を見たら思い出した。

 そして、「不機嫌な皇太子様と一緒にいるせいで、寿命が縮んだ」だのなんだの、くどくど文句を言いはじめる。


(まったく、こお男は……一度話し出すと余計なことまで次々と————)


「シン内官。そんな風に思っていたのか……私の機嫌がそんなに悪いように見えていたと……?」

「だ、だって、眉間にこんなに深いシワを寄せておられたではないですか! 皇太子様はご自分に怒ってらっしゃるとは言っていましたが……やはりずっと難しそうなお顔をされていましたし————我々も早く見つけなければと必死に探していたんですよ? 打ち首になさるんでしょう?」

「……なるほど、打ち首の話を広めたのはお前だな」

「え……?」


 なぜ打ち首なんてことになっていたのか謎だったが、フィソンは全て理解した。

 このおしゃべりな内官が、何か皆が誤解するようなことを口走ったのだ。


「え、だって…………その————違うんですか?」


 こちらも、キョトンとしている。

 フィソンは説明するのが面倒で、大きくため息を吐いた。


「もういい。朝食と言ったな————天気もいいし、そこの東屋に置け。あと、この者の分も用意してやれ」

「え? この者の分もですか?」

「何か問題でも……?」

「い、いえ……別に……かしこまりました」


 フィソンは謎の男を朝食に誘った。

 池のあるこの庭には、池の整備と同時期に立てた赤い材木で建てた東屋があり、庭を眺めながら休むのにちょうどいい。

 実はフィソンはずっと空腹だったし、時間的にこの謎の男もきっと食べていないだろうと思った。

 皇太子と一緒に朝食を食べるなんて、普通なら、この上ない喜びだ。

 官吏だろうが、庶民だろうが、一生自慢できる。

 ところが————


「あの、すみません。その朝食、食べない方がいいと思います」


 謎の男は女官が持っていた盆の上の陶磁器を指差して、そう言った。


「————毒が入ってますよ」


 女官はを指摘され動揺し、盆ごと地面に落とした。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る