第12話 噛み合わない二人


 翌朝、ソランは誰よりも早く起きて、隠しておいた東宮殿を出るときに着ていた衣に着替える。

 あの時は焦って胸にサラシをまく余裕がなかったが、今回はちゃんと巻いた。

 胸の凹凸をなくしてしまえば、身長の高いソランの男装は完璧だ。

 問題は、どこから入るか————


 正面から東宮殿に入る場合、門番に身分証の提示と、なぜ東宮殿に来たのか、理由を告げなければならい。

 そんなことをしたら、ソランが星宮殿の巫女だということがバレてしまう。

 花巫女候補なのだから、それだけは避けなければならない。


 逃げた時と同じように、東宮殿の敷地をぐるりと囲っている塀を超えるのが一番手っ取り早い。

 ソランは早朝ということもあり、人があまりいない場所から侵入を試みた。

 塀の上に登り、誰もいないことを確認して飛び降りる。


「……わっ!」


 ところが、着地した位置が悪かった。

 朝露に濡れた草で足が滑って、ソランは右足をくじいてしまう。


「いたた……やっちゃった」

「————ワン!」


 痛くてその場に座り込むと、白い仔犬がソランめがけて走ってきた。


(————ポヤだ!)


 フィソンに全然懐いていないのが不思議なくらい、人懐っこく、今日も尻尾をご機嫌に振り回している。

 ポヤのもふもふの誘惑に負けて、撫でてやるとポヤは嬉しそうにさらに激しく尻尾をブンブン振った。


(かわいい……)


 ポヤが可愛すぎて、一瞬足の痛みとここへ忍び込んだ目的を忘れてしまったソランは、こちらへ駆けてくる足音に気づくのに遅れてしまう。


「あ……! お前、あの時の!!」


 声に気づいて顔を上げると、そこにいたのは皇太子の護衛官・優守ウス

 この国一番の長身の男に上が目の前に立ち塞がり、ソランは驚く。


「あ、あの……えーと……」


 ウスはニヤリと不敵な笑みを浮かべ、わざとらしく大げさに言った。


「お前のせいで、輝星フィソン様が不機嫌なんだ。どうしてくれる……!」

「ど、どうと言われましても……」


 フィソンが不機嫌な本当の理由は知っている。

 それと同時に、かなり怒っているという噂が流れていることもウスは理解していた。

 フィソンから「もしあの時の男を見つけたら褒美をやる」と言われていたウスは、何をもらおうかとつい口元が緩んでしまうのを隠しながらソランをからかった。


「とにかく、フィソン様の御前に突き出してやるからな! 覚悟しろ!」

「えっ!? ちょっと待って————!!」


 ウスは人攫ひとさらいのようにソランを肩に担ぎ上げる。

 そして、空いているもう片方の手でポヤを掴んで歩き出した。


「ちょ、ちょっと!! 何するんですか!? 降ろしてください!! 自分で……自分で歩きますから!!」

「嫌だね」

「嫌だねって……そんな————」

「フィソン様の機嫌を損ねた極悪人を捕まえたんだ。これで褒美をたんまりもらえるぜ……!」


(ほ、褒美!?)


 ソランは抵抗したが、相手は皇太子の護衛官。

 それも、幼い頃から怪力で有名な男。

 一度捕まったら、最後である————




 ◇◆◇




「————それで、褒美をよこせと……?」

「はい。だって、フィソン様、こいつのこと探してたでしょう?」

「それは、そうだが……」


 ソランが連れてこられたのは、フィソンが動物たちを遊ばせているあの庭だった。

 色とりどりの草花が咲き、柵の向こう側には池もある。

 十二年前、フィソンとソランが落ちたあの池だ。

 また落ちたら危険だということで、竹で作られた柵が取り付けられている。

 動物たちが誤って水仙を口にしないように、きちんと整備もされていた。


 ウスはフィソンに顔を確認させる。


「確かに、あの時の男だな」

「でしょう? 俺が見つけました」


 すぐにソランは頭を押さえて下を向くように押さえ込まれたため、顔を上げることができなかった。

 声からではフィソンがどんな表情をしているかわからず、本当に首をはねられるのではないかと恐怖で冷や汗をかいていた。


(ど、どどうしよう……!! やっぱり、怒ってた!? あ、謝りたいけど、この状況じゃぁどうすることもできない……!! なんて力なの!?)


「————まぁ、いい。ウス、手は離してやれ」

「え、でも、逃げたらどうするんです?」

「大丈夫だ。この者は足に怪我をしている。逃げてもお前ならすぐに捕まえられるだろう?」

「え……怪我……? してるのか?」


 ウスに聞かれ、ソランは何度か頷いた。


「全然気づかなかった……」

「さっき少し歩いた時、右足を引きずっていたのを見ていなかったのか?」

「み、見てません」

「ウス、お前、褒美の事で頭がいっぱいになっていたな」

「あ、バレました?」

「当たり前だろう。まったく……褒美は後でやるから、ポヤを小屋の中に戻しておけ。あと、ついでに薬師も呼んでこい」

「はーい!」


 やっとウスが手を離してくれて、ソランは体の自由が聞くようになる。


(た、助かったのかしら……?)


 ちらりと顔を上げて、フィソンの顔を盗み見る。

 だが眉間にシワを寄せ、不機嫌そうな顔でこちらを見ているフィソンと目が合って、すぐに下を向いた。


(怒ってる! すごい怒ってる!!)


「……顔を上げろ。話がある」

「ご、ごめんなさい、ごめんなさい!! 打ち首だけは……打ち首だけはどうか……どうか……!!」

「打ち首……? なんの話だ……?」

「へ……?」


 もう一度、ソランが顔を上げると、フィソンは少し頬を赤らめて、恥ずかしいのか視線を横にそらしながら言った。


「お、お前に礼を言うために、探していたんだ。打ち首なんて、するわけないだろう……」

「へ……?」


(お礼……?)

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