第10話 噂の謎の男


「あの話って、どの話?」


 東宮殿を立ち去った後、ソランは誰にもバレずに星宮殿の自分の部屋に戻ることができた。

 師匠であるサンウォルが、巫女の任務で西地方にある離宮に行っていたおかげだ。

 各地の離宮にも規模は小さいが巫女たちが住まう星宮殿があり、そちらにも花巫女に立候補した者がいる。

 その候補者の力量を見極めるために、サンウォルを含む上級の巫女たちの多くが不在だった。


 バレずに戻れたのは良かったが、ソランはリンミョンから聞いた夜伽の話が、本当なのか誰に聞いたら良いかわからず一人悶々もんもんと数日間悩んでいた。

 そんな中、いきなり同じく花巫女に立候補している同部屋の燕嬉ヨンヒに話を振られ、首をかしげるソラン。


「もう、皇太子様の話に決まってるでしょう? ちゃんと聞いてた?」


(こ、皇太子様!?)


 いつの間にか星宮殿では皇太子の噂でもちきりになっていた。


「こ、皇太子様がどうかしたの?」

「どうかって……皇太子様って、ただでさえ気難しいって有名じゃない? 子供の頃に飼っていた兎を殺したとか、機嫌を損ねた内官を自らの手で死刑にしたとか……」

「え……? そうだっけ……?」

「もう、しっかりしてよ。ソランって、本当に巫女として仕事してる時以外は、ぼーっとしてるわよね」

「うう、ごめん」


 確かにソランは巫女としてはもはやこの星宮殿で右に出るものはいないのではないかというくらい、最強の巫女だ。

 わずかな瘴気や呪詛、妖も見ることができ、どんな悪霊でも瘴気でも祓うことができる。

 祓いの舞を踊らせれば、男役も女役でも見ている者を魅了してしまうほど美しく、身体能力も高い。

 身長が高いのと姿勢が良い為、遠くから見ても美しく、星宮殿の巫女の証である黒の衣がよく似合う。

 四柱推命の計算は少々苦手だけれど、それ以外は何もかも巫女として完璧。


 ところが、それ以外は幼少期と変わらず、どこかをぼーっと眺めていることが多い。

 噂話が好きな女の園の中にいても、その話を一緒になって何気なく聞いていたり、聞いているようで何も聞いていなかったり。

 とにかく、巫女の業務以外ではぼんやりしている。


「なんでも、東宮殿で仔犬を飼い始めたらしくて……その日から、皇太子様の機嫌が物凄く悪いそうなの。東宮殿で働いてる女官も内官たちもみんな、何が原因なのか探っているようだけど————理由がはっきりしていないんですって」

「仔犬……?」


 あの人懐っこいポヤの愛くるしい顔を思い出したソラン。


(そういえば、あの日が飼い始めて一日目だって、言っていたわね……)


「それで、一番有力なのが皇太子様が連れてきた黒い服の謎の男がいてね、それが皇太子様専用の浴場を使ったくせに、礼も言わずに忽然と消えたんですって。そのせいじゃないかって、今、東宮殿の内官たちが必死にその謎の男を探しているそうよ————」

「えっ!?」


(それ、私のことじゃ……————)


「見つけたら打ち首にするって、噂になってるのよ」

「打ち首!?」


 打ち首と聞いて、ソランは滝のように汗をかいた。

 ただでさえ、リンミョンから聞いた夜伽のことで頭がいっぱいで、選考試験どころじゃなかったのに、もし、皇太子が探しているというその謎の男が自分だとバレたら————


(私、打ち首!? 死ぬの!?)


 明日には星宮殿に戻ってくる想月サンウォルの顔を思い出して、真っ青になる。

 サンウォルはソランを花巫女にするために、この十二年、自分の全てをかけてソランを育て上げた。

 その計画が全て水の泡になってしまうと知ったら、打ち首になる前にサンウォルに殺される。


「お、怒ってるって、どういうこと?」

「だから、皇太子様にお礼を言わなかったそうよ。東宮殿の浴場って、皇太子様専用らしいし、普通は使わせない場所なのよ。それに、皇太子様って、私実際に見たことはないけれど、目がとっても怖いそうよ。いつもぐっと眉間にシワを寄せていて……————礼儀作法にもうるさいみたいでね。ほんと、その男もバカよね。出て行く前に、ちゃんとお礼を言えば良かったのに。皇太子様と関わるなら、常識でしょう?」


(知らない、私、知らない!! そんな話!!)


「さっさと名乗り出て謝ればいいのにね。まぁ……謝ったところで、許してもらえるかはわからないけど。こういうのって、長引けば長引くほど、悪くなっていくものよね」

「そ……そうだね」


(ど……どうしよう————!?)





【第二章 犬と不機嫌な皇太子 了】



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