第7話 浴場での再会


 最終的に花巫女を選ぶのは花婿である皇太子自身。

 事前に交流があっては選ぶ際に公平性に欠ける為、花嫁候補は選考期間中に許可なく近づいてはいけない決まりだ。


(まだ締め切り前だから……大丈夫? いやいや、でも、この状況はまずいでしょう!?)


「————どうした? 早く脱げ。そのままだと風邪をひくぞ?」

「いやー……えーと…………その……私のような者が皇太子様より先に入るというのは……」


 しかも雨に打たれ、全身ずぶ濡れ状態になってしまったソランは、あれよあれよという間に気づいたら皇太子専用の浴場に通されていた。


「なんだ、そんなことか……この東宮殿の主である私がいいと言っているんだ。順番なんて気にしなくていい」

「で、でも……」

「……なんだ? もしや、恥ずかしいのか? 男同士で何を言っている。変な奴だな」


(お、男同士!?)


 ソランはそこで初めて、自分が男と勘違いされているのだと悟った。

 二人の身長は同じくらいで、何より男装しているため普通に男だと思い込んでいる。

 確かに、ソランは女にしては大きい方だが、高身長の女官はそこら中にいる。

 だが普段から皆、フィソンの前では頭を下げているため、彼は自分の身長が男としては少々低い方だという認識がなかった。

 護衛のウスが平均より遥かに背が高いだけで、皇太子の世話をする他の内官たちも、そんなに身長は高くない。


(ど、どうしよう……入るなら、早く脱がないと————でも、こんな見られている状況で、脱げるわけがないわ)



「す、すみません。その、体に傷がありまして……とても皇太子様にお見せできるような体ではないのです……!! お、終わりましたらお呼びしますから、その……ひ、一人にさせていただけませんか?」


 必死に考えて、ソランは口からでまかせを言った。

 晒しをきつく巻いて胸を潰している上に男物の衣を着ているからこそ、男だと思われているが、裸を見られたら女だとすぐにわかってしまう。

 そこからもし、ソランが花巫女候補の星宮殿の巫女であることがバレてしまったら、大変なことになる。


「体に傷……? 私は別に気にしないが……」

「いえいえ!! あんな醜いものを皇太子様の視界に入れたくないのです!! お願いします!!」


 何度も何度も、ずぶ濡れのまま頭を下げてお願いするソラン。

 その度に濡れた髪からの飛沫しぶきがフィソンにもかかった。


「……まぁ、そこまでいうならいいだろう。とにかく、よく温まれよ?」

「はい、ありがとうございます!」


 やっとフィソンが出て行って、これで一人になれると思ったソラン。

 ところが雨水を大量に吸い込んで重くなった服を脱ぎ始めたところで、フィソンが出て行った扉とは反対側から、一人の女官が入ってくる。


「————お着替えをお持ちしました。どちらに置きましょう……か……?」


 ソランは慌てて後ろを向いたが、その女官ははっきりと顔を見てしまった。


「あ、えーと、その辺りに適当に置いておいてください……」

「…………ソラン?」

「……え?」


(どうして、私の名前を————)


 不意に名前を呼ばれ、驚いて振り返ると、その女官は持ってきた着替えを床に落とし、手が震えている。

 そして、今にも泣きそうな声で言った。


「ソラン……やっぱり、あなた、ソランでしょう? 兄上の若い頃にそっくりだわ」

「え……?」


 着替えを持って来たのは、ソランの叔母・鈴明リンミョンだった。




 ◇◆◇




「————それじゃぁ、私って、師匠に無理やり星宮殿に連れ去られたの?」

「そうよ。いきなりだったわ。私にも、兄上にも許可を取らずに……」


 ソランが浴槽に浸かっている間、リンミョンは湯をかき混ぜながら、あの日の出来事を語った。

 まだ幼かったせいもあって、ソランは、自分が星宮殿に入れられたときのことはよく覚えていない。

 無理やり星宮殿に連れ去られていたとは思っていなかった。


(師匠、そんな強引なことを……)


「まぁ、確かに巫女の才がある子供は、星宮殿に入った方が、身を守るのには適していると言われているけど……————家族にも自由に会えないなんて、誘拐と一緒よね」


 あれから十二年。

 リンミョンの女官としての階級は上がっているが、皇太子付きの女官のため、働いているのは東宮殿。

 後宮殿の祓いの舞にソランが出ていることも知らなかったし、どこか他の場所で瘴気や呪い祓いの要請があっても、これまで一切すれ違うこともなかった。

 ソランが皇太子であるフィソンの顔を知らなかったのも、同じ理由で、祭事の時に遠くから見たことならあるかもしれない程度。

 それほど、星宮殿は他より閉鎖的な場所なのだ。


「まさかあんなに小さかったソランが、こんなに大きくなってるなんて————……顔なんて本当に兄上の若い頃にそっくり。親子ってこんなに似るものなのね。性別は違うのに、不思議だわ」

「そういえば、私、子供の頃、父上に似てるってよく言われていた気がする」


 男装すると、余計にそっくりだ。


「それにしても、どうして男装なんて……?」

「後宮殿で祓いの舞をした帰りに、偶然、皇太子様の仔犬を出会って……それで————」

「祓いの舞? ああ、そういえば見習いだった時に後宮殿で見たことがあるわ。確か、男役と女役に別れて舞うのよね?」

「そう、それ。私、舞の才能があるみたいで、結構評判がいいの。男役をやると声援が聞こえて来たりして……」

「それは、この顔だもの……若い女官たちが放っておかないでしょうよ。兄上も昔はそうだったわ」

「父上も……?」


 ソランの父も、中性的な容姿と薬師を目指しているという頭の良さが知的で魅力的だと、女たちから追いかけ回されることが多かったらしい。

 この国一番の色男————なんて、言われていた時期もあったとか。

 ソランの母は、そんな色男を射止めた女として、結婚当初はかなり女たちから嫉妬されていたそうだ。


「次はいつ後宮殿で舞うの? そんなにすごいなら、私も見てみたいわ」

「……ああ、それが、今日で最後だったの。私、花巫女に立候補したから————」

「え……?」


 花巫女と聞いて、リンミョンの手が止まる。


「皇太子様の花巫女になって、星宮殿からも、この城からも、自由に出歩けるようになるのが目標なんだ」


 ソランの表情は、未来への希望に溢れていた。

 皇太子の花巫女にさえなれれば、自由が手に入る。

 そう信じて、疑っていないという表情をしていた。


 リンミョンはもう花巫女に選ばれるほど時が経ったのかと最初は驚いたが、どうもソランの様子が思ったものと違って首を傾げる。

 もしかして、花巫女がどういうものか、本当の意味で理解していないのではないかと……


「ソラン、花巫女になるって、どういうことか、本当にわかっているの?」

「え……? 皇太子様の穢れを祓う仕事でしょう? 皇太子妃様と婚姻なさる前に、数日そばにいて祈祷を……————」

「違うわ」

「え……?」


 リンミョンは、眉間に深いシワを寄せながら言った。

 やっぱり、ソランは理解していない。


「花巫女は、夜伽の相手をするのよ。それも、花婿のそれまで受けてきた穢れを一身に受ける————下手をしたら、死ぬ場合もあるわ」


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