第二章 犬と不機嫌な皇太子

第6話 交差する世界


 眉間にくっきりとシワを寄せた目つきの悪い男に、とても高圧的な態度で見下されている咲蘭ソラン

 同年代の男と接することはほとんどないが、これまで接することのあった内官や武官たちからも、ここまではっきりと嫌そうな顔をされたのは初めてで、開いた口が塞がらない。

 星宮殿の師匠たちは厳しい時もあるが、基本的にはみんな穏やかで、優しい人たちの中で育ったソランには、輝星フィソンのその表情がものすごく不快に思えた。


(そんな、嫌そうな顔しなくても……)


「私の犬から手を離せ。この不届きもの……」


 何故怒られているのかさっぱりわからないが、言われた通り仔犬から手を離す。

 しかし、仔犬はブンブンと尻尾を元気に振りながら、ソランのそばを離れようとしない。

 ずっとクルクルとソランの周りを回っていて、フィソンの顔は見もせず、遊んでくれとソランにばかりせがむ。


「おい、こら! お前の主人は俺だろう、こっちへ来い、ポヤ、ポヤ、ポヤ!!」


 フィソンは何度も名前を呼んだが、ポヤはフィソンの方をちらりと一瞬みただけで、またソランの周りをずっとクルクル回っていた。


(うーん、これは仕方がないわね……)


 ソランはポヤを抱き上げて立ち上がると、両手を伸ばしてフィソンに手渡そうとする。


「どうぞ」

「…………」


 フィソンも受け取ろうと手を出した。

 ところが、ポヤはプイッとそっぽを向く。


「……ぽ、ポヤ……?」

「ブッ……」


 まるで飼い主に関心がないようにしか見えなくて、ソランは思わず吹き出してしまった。


「あなた本当にこの子の飼い主なの? ずいぶん嫌われているみたいだけど……」

「う、うるさいな!! 飼い主だから、こんなところまで探しに来たんだろうが!! それに、まだ飼い始めて一日目なんだ……仕方がないだろう。笑うな!」

「あはは、ごめんなさい。そっか、一日目かぁ」


 恥ずかしそうに耳まで真っ赤にして焦っているフィソンが面白くて、ソランは笑いが止まらなかった。

 さっきまであんなに不機嫌そうで、とても偉そうだったのに、飼い犬に翻弄されている姿が、なんだか可愛く思えてしまったからだ。

 身長もソランとあまり変わらないくらいで、星宮殿に入る前によく遊んでいた近所に住んでいた男の子のことをふと思い出すソラン。

 その男の子も犬を拾って来たはいいものの、なかなか懐いてもらえず、結局その犬はソランに懐いてしまった。


(そういえば、あの犬……元気かな?)


 花巫女に選ばれたら、必ず会いに行こうと思いながら、ソランは提案する。


「また逃げられても大変でしょう? 私は外門の外に出ることはできないけれど、途中までなら一緒に行くわ」

「…………仕方ない、不本意だが、そうするしかないな。こっちだ」


 ソランはてっきり、外門に出るのだと思っていた。

 一緒に行くのは、貴族たちの家が立ち並んでいる東側の門の方だろうと————

 ところが、フィソンについて歩いて行くと、何故か内官や女官の数が増え、すれ違った人々はみんな道を開けて立ち止まり、頭を下げる。


(ん? あれ……? なんで?)


 不思議に思って少し振り返ると、皆ヒソヒソと後ろに歩いているあの綺麗な顔の男は誰だと噂している。

 男装したままなのだから、男と間違われても仕方がないが、何故女官や内官たちから頭を下げられるのか、さぱりわからなかった。


 そして、東宮殿の門の前に立っていた内官がひどく驚いた表情で駆け寄って来たところで、その理由をようやく知ることになる。



「……————!! 一体どこに行かれていたのですか!?」

「ポヤが逃げから追いかけただけだ。何か問題あるか? シン内官」


(……ん? 今、なんて言った……?)


「ありますよ!! お出かけになる際は、いつも必ず私にお声がけくださいと、何度も言っているではありませんか!! もっとご自分がこの星華帝国のお世継ぎである自覚をもっていただかないと困ります!! 成人の儀もとっくに終えているんですからね!?」


 シン内官はかなり慌てている様子だったが、フィソンは全く気にしていない様子だった。


「私だって、成人の儀を終えたんだから、もう一人前の大人だろう? 一人で出歩いて何が悪い。いつまでも子供扱いするな」

「しかし————!!」


 フィソンは不機嫌そうにまた眉間にシワを寄せた。

 その瞬間、空がピカリと光り、近くにあった木に雷が大きな音を立てて落ちる。

 いつの間にか厚い雲で覆われ、真っ暗になっていた空から、落ちた雨が地面の色を変えてゆく。


「うわ! 急に降って来た!! 、屋根の下にお入りください!! 今、傘を持って来ますので!!」


 雨が激しくなり、驚いたポヤはソランの腕から飛び出して東宮殿の方へ走って行った。

 ちょうどその場にい遭遇した護衛官の優守ウスが捕まえて、また脱走とはならずに済み、フィソンは安心して東宮殿の門の屋根の下に入る。


「おい、お前も入れ。風邪をひくぞ……?」


 フィソンに声をかけられたが、ソランはずぶ濡れのまま、そこから動けなかった。



(————こ、皇太子様!?)


 花巫女に立候補した者は、私的に花婿となる男と接触してはならない決まりがある。


(ど、どどどどどどどどうしよう!?)


 下手をすれば、花巫女の候補から外される——————



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