第5話 黒き巫女の舞
星宮殿の巫女は、後宮殿の女官とは違う、特別な存在だ。
薬師にも治せない患者がいれば、その場に馳せ参じ、祈祷をあげ、病の元となっている瘴気や呪いを祓う。
そして、特に後宮殿は色恋沙汰による恨みや嫉みの場となり、穢れがたまりやすいため、毎月一日と十五日とに、必ず祓いの儀式が行われる。
様々な色で溢れている後宮殿の女官とは違い、光沢のある黒に少し青を混ぜた色の生地に、星空のような刺繍が施された衣で舞う、巫女たちのその神秘的な美しさと少しの
後宮殿の下級女官からすれば羨望の対象であった。
「きゃーっ! 星宮殿の巫女様たちよ!」
「今日も素敵だわ……ソラン様」
「やっぱりソラン様よねぇ、はぁ、素敵」
祓いの儀式で行われる舞は男役と女役に分かれており、特にソランが男役をやると、下級女官たちは頬をぽっと赤らめながら、うっとりとした表情になる。
「先月の女役も素敵だったけど、やっぱりソラン様の舞は力強くて、大胆だから男役の方が私は好き。他の巫女様より手足が長いせいね、きっと」
「わかるー! 女役もいいんだけどねぇ、やっぱりソラン様といえば男役よ! あの剣を構えている立ち姿も、男の中の男って感じ!」
他にも男役の巫女はいたが、ソランは別格だった。
あまりに美しいその姿に、後宮殿の若い女官達からは“星宮殿の皇子様”と呼ばれている。
本人は、そんな自覚はまったくないが……
「でも、噂じゃぁソラン様、今回の花巫女候補なんでしょう?」
「ええ!? そうなの!? それじゃぁ、ソラン様の舞はしばらく見られないの?」
「今日が最後じゃないかしら? ソラン様の実力なら、花巫女に選ばれること間違いないでしょうし……」
「そんなぁ」
真っ黒な男役の衣装に身を包み、太鼓や笛の音色に合わせて剣を手に宙を舞っている間は、何も考えずに済む。
ソランはこの時間をとても大事にしていた。
退屈な星宮殿からほんの少しの間だけ外に出られるのは月に一、二度で、基本的に瘴気や悪霊祓いの仕事がなければ、ただひたすら星宮殿の中で過ごすしかない。
サンウォルがら星宮殿に連れてこられ、何度も外に出たいとソランは訴えたが、「ソランは妖に
何か欲しいものや、どこかに行きたいとソランが要求すると、「読み書きを覚えたら」、「瘴気祓いを覚えたら」、「儀式の舞を覚えたら」、「呪詛返しを覚えたら」————と、師匠であるサンウォルに言われるまま、彼女の思い通りに花巫女になるため巫女としての修行をさせられ十二年。
もう十八歳になるのだから、自由に出歩きたいと言ったソランに、サンウォルは「花巫女になれたら……」と言った。
他の師匠や巫女たちの話では、サンウォルは自分が花巫女に選ばれなかったことをとても悔やんでいて、ソランにその夢を託しているらしい。
ソランは事あるごとに「花巫女に選ばれなければ、死ぬしかない」と言われ続けてきた。
それに瘴気が見える子供の多くは、悪い妖や悪霊などに取り憑かれやすく、命を落とすことが多いのは事実。
星宮殿に入ったのは、ソランにとって最善だったのかもしれないが、ソランだってもう年頃の女の子だ。
後宮殿の同じ年頃の女官たちは一人で町に出たり、友人と遊びに行ったり、頻繁に実家に帰っている女官もいるらしい。
それに星宮殿の巫女は後宮殿の女官とは違う決まりがあるのは事実だが、他の巫女はここまでソランのように厳しく外出を禁止されてはいない。
羨ましくてたまらなかった。
(今日で、しばらくここへ来ることもないわね……)
花巫女の選抜試験が本格的に始まれば、候補者となる者は祓いの儀式には参加できない。
ソランはこれが最後になるかもしれないのだと思うと、なんだか物悲しさを感じた。
(まぁ、自由を得るためには、必要なことよ。花巫女にさえ選ばれれば、私は皇太子様のものになるんだもの……皇太子様以外、私に命令なんてできなくなるんだから)
星宮殿に戻るため男装のまま後宮殿の内門から出たソランは、これからのことを考えながら他の巫女たちの一番後ろを歩いていた。
(……え?)
すると突然、目の前に白い仔犬が飛び出してきて、ソランは足を止める。
仔犬はソラン足元で止まり、尻尾をブンブンと振っていた。
(なんで、こんなところに犬が……?)
真っ白で毛並みよく、とても愛らしい。
垂れ耳で目は大きく、丸々太っていて、その姿がなんともいえず、ソランはしゃがんで仔犬を撫でる。
(かわいい……ふわふわ)
なんだか荒んでいた心が少し癒されたような、そんな気持ちになる。
できることなら、ずっと触っていたい。
あまりの可愛さについ顔をほころばせていると、ドタドタと足音を立てながら若い男が一人がこちらに向かって走って来た。
「————見つけた!」
犬を撫でたまま、男の顔を見上げるソラン。
服装からして、内官でも武官でもない。
若い官吏なら宮中では基本青色の官服、武漢なら
(……だれか偉い人のご子息かしら?)
端正な顔つきで、どこか品があり、なんとなく頭が良さそうという感じがして、ソランは勝手にそう思い込んだ。
「こんなところにいたのか、まったく、随分探したんだぞ」
まさか、それが皇太子だなんて、思うはずがない。
それは皇太子であるフィソンも同じで————
「……それは私の犬だ。こちらによこせ」
自分の顔をまじまじと見つめている不敬なこの黒服の男が、ずっと探していた少女だとは思うはずがなかった。
【第一章 星宮殿の皇子様 了】
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