第4話 兎小屋の憂鬱


 翌日の昼、あの白い兎を抱きながら、皇太子・フィソンは内官から報告を受けていた。


「————それで……?」

「ですから、その、皇太子様がお助けになった娘は、行方がわかっておりませんでして……」

「なんだよ、助けてもらったのに礼もなしにいなくなったのか? まったく、失礼なやつだな」


 助けたあの娘の目が覚めたのか、体調はどうなのか気になって調べさせたものの、この内官の話では行方知れず。

 元気になって、家に帰ったのではないか……という話だった。

 別に何か見返りを期待していたわけではないけれど、せめて挨拶くらしてから変えるのが礼儀ではないかと思ってしまう。


(せっかく助けてやったのに、名前も聞けなかった……)


 一体どこの誰だったのか……

 フィソンの目にはあの娘の姿が焼き付いていて離れない。

 こんなことは初めてで、気になって仕方がなかった。

 それに、なぜ自分の兎をあんなに乱雑に扱ったのか、まだ理由も聞けていない。

 兎が池に落ちることはなかったものの、内官が見つけて捕獲した後しばらくして、この兎にもなんだか具合が悪そうで————あの娘が何かしたのではないかと考えていた。


(もしそうなら、罰を与えないといけない。動物をいじめるなんて、人として最低だ)


「……あ、それとですね、皇太子様。そちらの兎と死んだ兎二匹————それから、以前げんの国からいただいた羊のことなのですが……」

「……やっと原因がわかったのか?」


 フィソンは動物が好きだった。

 その為、東宮殿では兎の他に犬や猫、他国から献上された珍しい種類の鳥などをも飼っていたが、この数ヶ月の間に相次いで死んでいる。

 老衰で亡くなったものもいるが、二匹の兎と羊は老衰するには早すぎる。

 不審に思ったフィソンは内官に調査を命じたが、皇太子付きのイム内官という男は、動物のことなんてどうでもいいと思っていた。

 もっと早く薬師に聞くべきだったのに、昨日になってやっとフィソンを担当したリョンスに訪ねたのだ。


「ええ。その、昨日皇太子様を診た薬師に言われたのですが……池の周りに生えている花が毒草だそうで」

「え……?」

「水仙というそうです。皇太子様、あの辺りをよく動物たちを連れて散歩してらっしゃいますよね? その……そこで、あの毒草を口にしたのではないかと————」


 フィソンは、花に毒があるなんて全く知らなかった。

 あの庭はその花が池の周りにたくさん咲いていて、綺麗で見晴らしも良く、飼っている動物たちを遊ばせるのに最適だと気に入っていた。

 まさか、その美しいと思った花に毒があったなんて思うはずもない。


「それじゃぁ、悪いのは俺だったんだな……」

「い、いえ! 毒草を知らなかった我々の落ち度でございます。皇太子様は何も悪くありません!!」


(それじゃぁ、あの子が兎を持ち上げたのも————……そうだとしたら、あの子は助けようとしただけじゃないか)


 フィソンはそのことに気がついて、助けられたのは自分の方で、悪いのは話も聞かずにあの娘を驚かせ、池に落としてしまったのは自分の方だったと反省する。

 悪いことをしてしまったし、罰ではなく、何か褒美を与えるべきだと考えた。


「あの娘の行方がわかったら教えてくれ。礼を言いたい」


 イム内官にそう伝えたが、あの娘の行方は十二年経った今でも不明だった。

 この内官は、動物の件もそうだが、面倒そうな事は後回しにする癖があり、そもそも真面目に探してもいなかったのだから仕方がない。

 フィソンは主のいなくなった兎小屋を見つめる度に、内官に尋ねていたが、返ってくる答えはいつも「わかりません」。

 その度に、憂鬱そうに深いため息を吐いていた。


「またか……」


(一体、どこに行ってしまったんだろう……これだけ何年も探しているのに、見つからないなら、国外にでも行ってしまったのだろうか?)




 ◇◆◇




 東宮殿の池の前に今年も水仙が咲き始めた頃、星宮殿に若い巫女たちが集められる。

 とある試験の告知が行われていた。


「本日より、皇太子様の妃候補、および、花巫女の選定を始めることとなった。花巫女に立候補する者は、推薦者と共に十日後の期日までに名乗り出ること。花巫女候補者以外は、皇子妃候補全員と皇太子様との相性を見るように。以上」


 四年ぶりの花巫女の選定試験だ。

 前回は第一皇子の婚姻のために行われ、最終試験に残った四人の中から、最後は皇子自身が一人を選んでいる。

 花巫女は、星宮殿で巫女として修行を積んだ年頃の女官にとっては重要な仕事。

 皇族や高官の花巫女になれば、将来は安泰。

 この星宮殿の幹部となり、中には寵愛され側室と同等の扱いを受ける者もいる。

 第一皇子の生母はまさにその例であり、長男なのに皇太子ではないのは星宮殿の花巫女と皇帝の間に生まれた庶子しょしであるためだ。


 今回は現皇帝と前皇后の間に生まれた嫡男のフィソン皇太子。

 フィソン皇太子の花巫女となれば、次の皇巫の座も決まったも同然。

 星宮殿は、皇帝でさえ口を出せない神聖な場所。

 国の未来を占い、皇帝が迷うことがあれば、皇巫としてまつりごとに口を出すこともできる。

 貴族の出身ではない娘たちが目指すには、最高の地位だ。

 女官として働き、皇帝に見初められ側室となるよりずっと難しいと言われている。

 そもそも星宮殿に入ることが難しい。

 瘴気や妖が見えなければ、巫女になる修行すらできないのだから。


「前回の時は、年齢制限で引っかかったけど、今回なら……!!」

「私も試験を受けるわ!」

「私だって、そのために星宮殿に入ったのだもの!!」

「あなたも、今年は受けるんでしょう? ソラン————」


 ざわついている巫女たちの中で、ぼんやり立っていたソランは、急に話を振られて一瞬驚いたが、深く頷いた。

 そんなこと、聞かれるまでもない。


「もちろんよ。そのために、私はここにいるの。花巫女に選ばれなければ、死ぬしかないわ」


(頑張らなくちゃ……花巫女に選ばれたら、自由に外に出ていいって、師匠が約束してくれたもの)


 ソランの目標はただ一つ。

 花巫女となり、誰の許可を得るでもなく星宮殿から自由に外へ出られるようになること。

 それだけだ。



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