第3話 星宮殿の巫女


 母と同じ顔の巫女は、リンミョンと他の巫女たちに下がるように伝え、ソランと二人きりになった。


「————ソラン、私の顔はあなたの母上によく似ているかい?」

「うん、そっくり……母上じゃないの……?」

「違うよ。確かによく似ているだろうけど、私は想月サンウォル。あなたの母上は、きっと私の双子の妹ね。子供の頃に別れて以来、一度も会ってはいなかったけれど————」

「妹……? 母上が?」


(母上にお姉さんがいたなんて、知らなかった……)


 池から助けられた後、すぐに内官に呼ばれた薬師がソランを診たが、ソランは目を覚まさなかった。

 様子がおかしいと思った薬師は、瘴気が少しだけ視える体質で、ソランを覆っている黒い影に気がつき、巫女を呼んだのだ。

 瘴気は薬や針治療では消すことができないが、星宮殿せいきゅうでんの巫女であれば、助けることができる。


 星宮殿は、主に神事や祭祀を執り行う部署で、巫女たちは要請があればどこへでも出向き、瘴気や呪い、悪霊などを祓い清める。

 皇后や側室たちが住まう後宮殿も男子禁制ではあるが、星宮殿は皇帝ですら立ち入るのに許可が必要とされている。

 一度、星宮殿の巫女となれば、自由に家族と会うことすらできない。

 妹のマンウォルと違って、幼い頃から巫女の才能があったサンウォルは、ソランと同じ年くらいの頃にこの星宮殿に入り、巫女となった。

 その間、ほぼ自分の家族と直接会うことはなかったそうだ。


「マンウォルが結婚したという話は、文で聞いていたわ。子供が生まれたって話も。直接会うことはなかったけど、文のやり取りはしていたのよ」

「それじゃぁ、どうしてお葬式には来なかったの?」

「……————連絡を取っていた本人が死んでしまったのよ。私に知る術はなかったわ。最近文の返事がこないとは思っていたの。でも、まさか、こんなことになっていたなんて……」


 ソランの顔はどちらかと言えば父に似ている。

 サンウォルがソランが自分の姪だと認識することは、ソランが「母上」と呼ばなければ、もしかしたら永遠になかったかもしれない。


「もしかしたら、話せないあなたを心配して、マンウォルが私を呼んだのかもしれないわね……————ところで、ソラン」

「なぁに?」


 サンウォルは、部屋の隅を指差してソランに尋ねる。


「あなたは、あれが見える?」


(あれ……?)


 サンウォルが指差したその場所に、先ほどの猫のようなものがいる。

 尻尾が二本ある猫のような何かは、部屋の隅からじっとこちらの様子を伺っているようだった。


「猫? でも、どうしてあるの?」


 ソランが聞き返すと、その瞬間サンウォルの表情が変わる。


「やっぱり、見えるのね!? そうだと思っていたわ!!」


(え……?)


 突然、興奮したようにサンウォルの声が大きくなった。

 とても喜んでいるようで、どうして喜ばれたのかソランは理解できなかったが、サンウォルのその表情は、母がソランを褒めてくれた時の表情によく似ている。


「やっぱり、あなたには素質があるわ! 巫女として……いえ、私の姪ですもの、あなたらな、きっと————花巫女はなみこにだって……」

「はなみこ……?」


「花巫女になるには、先ずはあれが見えていないといけないのよ。ねぇ、ソラン、私と一緒に、星宮殿に行きましょう? この国の安寧のために、あなたのその力が必要なの。それに花巫女を目指すなら、できるだけ早いほうがいいわ————私と一緒に星宮殿に行こう。ねぇ、そうしましょう、ソラン」

「あの……えっと……」


 ソランは、わけがわからないままサンウォルに抱き上げられ、星宮殿へ連れていかれる。


「————待ってください! ソランをどうするつもりですか!?」


 追いかけてきたリンミョンが、ソランをどこに連れて行くのか尋ねたが、サンウォルは聞く耳を持たなかった。


「待って!! 待っててば!! ソランを返して!!」


 許可がなければ、皇帝すら入ることができない星宮殿の門番に阻まれ、リンミョンはソランをサンウォルから取り返すことができなかった。




 ◇◆◇



「————ソランが、星宮殿の巫女に連れて行かれた!?」


 皇太子の診療に当たっていた父・蓮水リョンスがソランを迎えにきた頃には、もう時すでに手遅れだった。


「兄上、あの子に、巫女の才があったの? 星宮殿の巫女になるには、見えなければならないのでしょう? 瘴気とか……呪いとか……そういうものが」


 リンミョンはソランにその才があるなんて知らなかった。

 この国では、その才がある女子は巫女として生きなければならない。

 しかも一度、星宮殿に巫女見習いとして入ってしまえば、成人後も星宮殿の最高位・皇巫おうぶの許可がなければ自由に家族と会うこともできない。

 それがわかっていたから、母はソランに見えることを他の誰にも話してはいけないと言い聞かせていたのだ。

 誰にもソランが巫女の才を持っていると知られないように、隠し通そうとしていた。


「そうか……————それで……————そのせいで、マンウォルは……」


 自分の処方した薬がマンウォルに効かないかった理由がわかって、リョンスは泣いているリンミョンの肩に手を置く。

 巫女の力を持つ子供は、死を引き寄せるという話もある。

 だからこそ、本来ならもっと早い段階で手放さなければならなかった。


「こうなる運命だったんだ。巫女の才があるなら、あの子が生きるためにも、俺たちが生きるためにも、あの子は————ソランは、行くべきところへ行ったんだよ」

「でも……!!」

「これはもう、どうしようもないことだ。リンミョン、お前も女官なら知っているだろう? 星宮殿の巫女が目指すものが何か」

「それは————!」

「幸いにも、お前はこの東宮殿の女官だ。年齢的にも、ソランが花巫女に選ばれる確率は高い。もし、そうなったら、いずれあの子はこの東宮殿で暮らすことになる。あの子が過ごしやすい環境になるように、手を尽くしてくれ」



 この国————星華帝国せいかていこくには、花巫女という婚姻にまつわる風習があった。

 それは婚前の男が花嫁と式をあげる前に穢れを祓う儀式。

 花巫女と数日夜を共に過ごし、穢れのない姿で花嫁と初夜を迎えるというもの。

 要するに、花巫女とは初めての夜伽相手をさせられる女のことだった。


 花巫女に選ばれるのは、瘴気や妖、幽霊など普通の人間には見えないものが見える特別な力を持つ女たち。

 人はこの世に生まれ出てから成人するまでの間に、様々な穢れを受けるとされている。

 なぜ男だけが穢れを受けているということになったのか、その経緯は不明であるが、とにかく花巫女というのは不遇の存在だった。


 一度花巫女となった者は、他の男と婚姻することも、他の男と接触することすら許されない。

 中には儀式で子を宿した者もいたが、決して正妻にはなれないため、思い悩んで自ら命を断つ者も多かった。

 かつては皇族と貴族の間でだけ行われていた儀式だったが、現在では庶民にも浸透。

 庶民の間では花巫女は巫女としての能力がない者でも、金さえ払えばどこの家でも雇うことができるようになっている。

 その後、別の男と結婚しても構わないし、なんなら花巫女に惚れ込んでそちらを正妻にしてしまうことも……


 そんな中、現在でも花巫女の風習をしっかり守っているのが皇族と一部の高級貴族だった。

 宮廷には、皇后や側室が住まう後宮殿の他に、巫女たちが住まう星宮殿がある。

 巫女の才を持つ少女たちは、男子禁制のこの星宮殿で巫女としての教育を徹底的に受けて育つ。


 この星宮殿の巫女の中から、皇子や高級貴族の男子が婚姻する際は花巫女が選ばれ、花婿が皇太子であれば、新しく皇帝となるときには同時に皇巫の地位が与えられるのだ。

 皇巫は、皇后と共に皇帝を支える重要な役割を担っており、星宮殿の巫女になったからには、皆がこの座につくことを目標に、日々、修行に励んでいる。


 今の皇太子の年齢的にも、ソランが花巫女に選ばれる可能性は高い。

 もしそうなれば、皇太子の花巫女は星宮殿を出て、東宮殿で過ごすことになるのだ。

 その時、ソランが困った事態に陥らないように、リンミョンには女官としてすべきことがたくさんあるとリョンスは考えた。


「……わかったわ」


 東宮殿の花巫女たちの苦労を女官見習いの頃に散々聞かされてきたリンミョンは、その日のために備えることにした。


「私が出世して、あの子を支えるわ。これ以上の不幸になんて、絶対させない————」





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