第1話

「ごめんなさい……ごめんなさいっ! もう二度と近づかないので、許してください!」

 

 地面に膝をつき、頭を下げている。

 顔色は悪く、息も絶え絶えだ。

 そんなあいつは、恥もプライドも捨てて、許しを乞う。

 ただひたすらに。

 

「言ったでしょう。貴方を手に入れるためなら、私は手段を厭わないと」

 

 土下座するあいつを前にしても、少女は一切動じる事なく、いつものように微笑みながら、こちらを見据えていた。

 ……今の俺には目の前にいる彼女が、人間の皮を被った悪魔のように見える。

 

「私はとても脆い人間です。精神的に支えてくれる貴方がいなければ、日常生活を送る事すらままならないほどに」

 

 黒髪の少女は、未だに謝罪を続けるあいつの事を気にも留めない。

 恐らく、もう眼中にないのだろう。

 俺の予想が正しいのであれば、彼女の役目は既に終わっている。

 

「……だからこそ、私には貴方が必要なのです。誰にも見向きされてなかった私に、唯一手を差し伸べてくれた貴方という救世主が」

 

 ずっと側にいてくれるのならば、私は必ず貴方を幸せにしてみせます。

 と、彼女は言っていた。

 この言葉は冗談などではなく、心からの発言であったのだろう。

 兼ねてより、俺を欲していた少女は、俺の願望を成就し続ける事で。

 俺を手に入れようとしているのだ。

 ……イカれている。

 とても、正気の沙汰とは思えない。

 

「他の誰でもない私が、貴方に最高の人生を提供してみせます」

 

 少女はゆっくりと手を差し伸べる。

 その瞳には底知れぬ狂気が宿っており、ドロドロと濁りきっているが……。

 その反面、何かを期待するような輝きも秘めていて。

 見ているだけで、引き込まれそうになる。


「……なので、これからもずっと一緒に居てください。それだけが、私の望みなんです」


 戸惑いや不安が全く無いとは言えない。

 だが、俺を救ってくれた彼女の誘いを断る選択肢なんて存在しない。

 差し出された手を俺は躊躇わずに取る。

 すると、少女はまるで幼い子供のような……俺達が小学生だった頃に、彼女の手を取って逃げた時のような笑顔を見せた。

 

「これで私たちは運命共同体です。死が私達を分つまで、ずっと一緒にいましょうね……」

 

 心の底から嬉しそうにそう告げた少女の瞳には、依然として狂気が宿っている。

 けれども、不思議と恐怖は感じない。

 ……きっと俺も。

 知らず知らずのうちに、彼女の狂気に蝕まれつつあったのだ。

 


 高校2年生になってから、数ヶ月。

 今日もウチのクラスは変わり映えしない。

 俺のようなぼっちは悉く机に突っ伏して、オタクなどが集まるスクールカースト下位グループは教室の端っこに集まり……。


「もうすぐ、テストがあるけど……みんな、テスト勉強とかしてる?」


「全然してねーよ! 問題集を開いて、シャーペンを握ろうと思っても、気がついたら寝ちまうんだよなー」


「本物のバカじゃん。隼人ハヤトらしいっちゃ、らしいけどさー」


「とは言っても、そろそろ本腰を入れて勉強しないと不味いぞ。要点とかまとめて教えてやるから、一緒に勉強しようぜ。俺ん家で」


「マジか! さっすが、日向ヒナタ。頼りになる男だぜ〜!」


 教室の中央でキラキラしている少年少女、俗に言うスクールカースト上位陣が和気藹々とした様子で昼ごはんを食べている。

 金髪に加えて、耳にピアスをつけているヤンキーみたいな風貌の飯田ハヤトに、成績優秀な爽やか風のイケメン、堺ヒナタ。

 読者モデルをやっていて、学年問わず、男子からの人気が凄まじい棚岡メグミに。


「学年トップのエリートに教えて貰えるとか助かるな〜。ありがとね、日向くん」


「えっと、隼人と二人きりでするつもりだったんだけど……それに、痣花アザカは成績良いから、俺が教える必要はないような気が……」


「そんなことないよ。すごく必要だよ〜、古文と漢文が苦手なんだ、私!」


 ウェーブのかかった銀色の髪が目立つ、快活な雰囲気の少女。

 かつて虐めっ子だった過去を持ち、俺がぼっちになった諸悪の根源、加羽かばねアザカ。

 この4人で構成されているグループは、日陰者の俺とは正反対の存在。

 いつどんな時もクラスの中心になって、青春を謳歌していて。


 ……正直に言うと、俺は他人の人生をめちゃくちゃにしたのに高校生活を楽しんでいるアザカの存在を、疎ましいと思っている。

 虐めしてた奴が、幸せそうにしてんじゃねぇよ、と言ってやりたい気持ちはあるが。

 冴えない陰キャである俺には何も出来ないし、特別な事をするつもりもない。

 ひとりぼっちであっても、波風が立たない平穏な生活が送れれば十分。

 無視されたりしないだけ、まだマシだ。


「……ん?」


 そんな事を考えながら、VRMMORPGの攻略サイトを見ていると、昔からよく遊んでいるフレンドから連絡が来た。


『ユージンさん。今日、INしますか?』


『明日は土曜日なので、無限にやるつもりではありますね』


『それなら、先日解禁されたダンジョンに挑みませんか? 新しい装備を作るための素材が欲しくて……』


『全然OKです!』


 ユージンとは、ゲーム内での名前。

 俺の本名「右城うしろ悠人ゆうと」を「悠人ゆうじん」と読み替えたシンプルなユーザーネームだ。

 ネット上の関係とは言えど、気の合う人と一緒にダンジョン攻略をする約束を取り付けた俺は心の中でガッツポーズをする。

 たとえ、リアルが充実していなくとも、俺にはゲームがあって。

 これ以上、何かを望むのは贅沢すぎるよな、と自分に言い聞かせた俺は放課後を心待ちにしながら、授業に臨んだのだった。



 時刻は深夜2時30分。

 白銀の鎧を見に纏う騎士が、赤いドラゴンに剣を突き立てる。

 すると、ドラゴンの体は砂のように崩れ去り……赤色の結晶がドロップした。


「あ、ドロップしましたよ。ハッチさん!」


「本当だ……こんな時間まで、付き合わせてしまい、申し訳ないです。ユージンさん」


「いえいえ、そんな。気にしないでくださいよ。俺も楽しかったので!」


「そう言ってくれると助かります……!」


 白銀の鎧の騎士はアイテムポーチにドロップアイテムをしまう。

 今回潜ったダンジョンのボス、レッドドラゴンはなかなかの強さだったが、俺とハッチさんの敵では無かった。

 前衛を務めるハッチさんと、後方支援を務める俺のコンビネーションは抜群。

 本来ならば、4人で戦う事を想定したボスであっても、容易く屠ることが出来るのだ。


「いつの間にか夜遅くなっちゃいましたね。今日はこの辺で解散します?」


「えっと……落ちる前に、ちょっと話したい事があって、お時間よろしいですか?」


「はい、何でしょう」


「あの……ユージンさんさえ良ければ、なんですけど。リアルで会ってみたいです」


 想定外の提案が飛んでくる。

 リアルで会う、か。

 それも、俺とハッチさんの一対一で。

 ……およそ4年の付き合いがあるハッチさんと趣味や感性が合うのは間違いないし、やり取りしていても楽しいと感じる。

 これは、間違いない。

 その上、小学生や中学生の時の苦い思い出を掻い摘んで話す程度には仲が良いけれど。


 それらはあくまで、ネット上の話で。

 顔と顔を向かい合わせて会話する現実世界だと話は変わってくるのではないか?

 そう考えると、あまり気乗りしない。


「ダメ、でしょうか?」


「……いえ、ダメじゃあないっすよ。いつ頃会います? 俺、基本的に土日は暇なんで、そちらの都合に合わせますよ」


「本当ですか!?」


 だがしかし、俺は会ってみることにした。

 年齢や性別は分からないものの、ハッチさんが真面目な人柄なのは分かる。

 だから、そう悪い結果にはならない筈だ。

 長い事、親以外の人間と話していない俺がヘマをしなければ……の話ではあるが。

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