第24話:後悔の淵へ
週が明け、足の捻挫が治った澪は仕事に復帰した。
「おはよう、佐々木さん。足の怪我はもう大丈夫なのか?」
先に来ていた万真に背後から声をかけられびくっとしたが、
「だっ、大丈夫……です……」
数日前、自分をおんぶしてアパートまで送って、怪我の手当までしてくれた人。彼女にとってはまだ信じがたいが、初めて男からの優しさに触れた気がした澪。万真に対し入社してからやっと、目をしっかり合わせることができた。
昼休み、由貴は澪を呼び、一緒に昼食を食べていた。この光景はよくあるのだが、この日の澪は今までとは違い、表情が柔らかくなったようにも見えた。
仕事が終わり、帰ろうとする万真へ声をかけたのは澪だった。
「……あ、あのっ!」
「ん?」
「その……少し、時間……ありますか?」
「うん」
承諾を受け澪はほっとしていたが、万真は何事かと思っていた。
会社を出てから、澪から話し始める。
「……由貴先輩から、万真くんのこと色々聞きました。万真くんのお姉さんのお友達、だなんて不思議な縁ですね。高仲コーポレーションを就職先に選んだのは、由貴先輩からのお誘いだったんですね?」
「そうだよー。去年の大学祭の時、突然姉ちゃんが連れてきて何だと思ったけど、今の俺がいるのは由貴さんのおかげさ」
「万真くんはすごいって言ってました。ここしか受けてないのに内定取ったって」
1社で内定を取ったのは、今でもまぐれではないかと万真は思っている。
「私……昔、男からしょっちゅういじめられてて、男全員が怖くなっちゃったんです。誰も優しい人なんていないと、思い込んでいました。だから、こないだ万真くんが助けてくれた時も、冷たいことしか言えなかったんです……」
「そう、だったのな……」
「由貴先輩から言われました。万真くんは今まで出会った男のような人じゃないよ、と。今、こうしてお話できるから、私はもう、万真くんのこと心から許せるようになれたんですね」
今まで万真を避けてきたかつての澪は、もうどこにもいない。微笑みながら、澪は話を続ける。
「こないだは、私のこと助けてくれてありがとうございました。万真くんのこと少し……いや、かなり見直しました」
「礼には及ばないよ。佐々木さん、これからもよろしく。……同期なんだから、敬語はなしね」
「は……うん。じゃあ、私からもお願い。佐々木ってこの世の中わんさかいるから、下の名前で呼んでほしい、かな」
「分かった。んじゃ改めてよろしく、澪」
互いに握手し、澪が住むアパートまで送った万真も、帰路に着いた。
☆☆☆
その後万真と澪は、仕事中もコミュニケーションを取れるようになってきた。
「万真くん、これ……どうやるんだったっけ?」
「これはね――」
同期でも、相棒のような存在になった2人。そんな後輩たちを横目で見ていた由貴も、
(私も、負けていられないな)
と思いながらも、トラウマを克服し顔つきが変わった澪の様子に一安心できた。それは、課長もそうだろう。
やがて澪の一件から1か月余りが経過。お盆が終わり、とある週末に1年目の社員揃って飲み会をすることになった。同期入社した、営業課にいる男性社員の提案で皆で行くことになった。
そこで聞かされたのは、広報課にいる澪と仲がいい女性社員と、飲み会提案者の男性社員が付き合うことになったそうだ。万真は興味なさそうに祝福の拍手を送っていた。隣に座る澪は何を思ったのか分からないが、普段は飲まないお酒を1杯、注文していた。
飲み会が終わって解散したが、2杯しか飲んでないのにお酒の力でうつぶせになって寝てしまっている澪。1滴も飲まなかった万真は仕方なく、彼女をおんぶして送り届けることにした。
「……うーん? 私、寝てしまってた?」
「気づいたか? 澪だけ寝てしまっててさ、置いていくわけにもいかねーから、家まで送ってく。……俺は大丈夫だ。どこかホテルに泊まって、翌朝の電車に乗って帰るから」
「……また、おんぶしてもらっちゃって。贅沢だね、私」
酔いから完全に醒めてないのか、澪はご機嫌だ。
「……いいなー、お付き合いとか」
「まだまだこれからだろ。急ぐことじゃないし……」
「……ねえ、万真くん」
「何だい?」
「万真くんは、好きな人……いるの?」
澪からこっそり、耳元で
「……いないよ」
しかし、先月では感じられなかった澪という女性の匂いが、ほのかに感じた。その匂いが、誰かに似ていた。その正体に万真は気づいていた。そのせいで、足を止めてしまう。
(あの心地よい匂いと、雰囲気。俺はこれらに救われた。だから……か……っ)
「……万真くん、どうした?」
「……あ、ごめん何でもない。そろそろ着くぞー」
あの時、謝れなかった。追いかけられなかった。その後悔と、今更気づいたあの子への秘めた想い。言えなかったままだった。2つの後悔で、万真は心を痛めていた。
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