第12話 父が去った日(エミリア視点)

「エミリア、この人がアナタの──本当の父親よ」


 一年前。

 ヴァンが仕事で出掛けている間に、母からひとりの男性を紹介された。

 それはエミリアも知る人物⋯⋯この国の王子、アルベルトだった。


「やぁエミリア。今まで言えなくてすまないね、色々と事情があったんだ。ただ君も大きくなったし、そろそろ理解できるだろうと思ってね」


 そのまま、二人は『事情』とやらを説明し始めた。

 魔王退治の旅の中で、お互い惹かれあった事。

 だが、当時から王子は帝国との縁談が内々で決まっており、これは国の平和の為にも拒否できなかった事。

 縁談相手は当時八歳で、結婚まで十年はかかると考えられており、その前に母を側室として迎え入れるのは難しい状況だった事。


「それでも、私たちはお互いの愛の証──つまり君の誕生を望んだ。ただお母さんは聖女という肩書きから、未婚で子供を産むわけにはいかなかったんだ」


 その為にヴァンが『父親役』として選ばれた。

 ヴァンもこの件については了承しているらしい。


 嘘だ、と思った。

 そんなのあまりにも──パパに得がない。


 娘の目から見ても父は格好良いし、その気になれば女性に不自由などしないハズだ。

 実際エミリアと街を歩いている時や、教会へ父と同行した際に出会った友人の母親など、ヴァンに色目を使う女は散々見てきた。


「なんでパパは──」

「エミリア。ヴァンの前なら仕方ないけど、本当のお父さんがいる時は『ヴァンさん』と呼びなさい」


 母はニコニコと口元に柔和な笑みを浮かべながらも、目に剣呑な雰囲気を湛えながらエミリアに注意してくる。

 エミリアは知っている、これは癇癪を抑える為の表情だ。

 仕方なく、呼び方を変えた。


「なんでヴァン⋯⋯さんはそんな役を引き受けたんですか?」

 

 言ってみて驚いたが⋯⋯父を『ヴァンさん』と呼ぶことに、自分は酷く傷ついている。

 自分も裏切り者の一員、そんな心境だ。

 アルベルトと母は顔を見合わせたのち、本当の父親とやらは取り繕うように説明を始めた。


「まあ、その辺は⋯⋯大人には色々事情があってね」


 適当な嘘だ。

 それで自分を騙せると思っているのだろう。

 もっと追求はできる、だが──。


 チラリと母の様子を確認する。

 母は柔和な顔をしたままだが、ここでエミリアがしつこく追求すれば、癇癪を爆発させるだろう。

 今はまだいい、だがアルベルトが去ったあと、どんな目に遭うかわからない。


「わかりました、色々お聞きしてすみません」

「いや、いいんだよ。ところでエミリア⋯⋯どうだい?」


 本当の父とやらは言葉足らずだが、何かエミリアから反応が欲しい、ということはわかる。

 だが、あまりにも材料がないため、結局聞き返した。


「どうだい、とは⋯⋯?」

「ははは、子供だとピンと来ないかな? わかりやすく言ってあげよう。君の本当の父親がこの国の王子、つまり将来の王様なんだ、つまり、その──嬉しいだろ?」


 どうだ? と言わんばかりのアルベルトの表情。

 その顔をひっぱたきたくなったが、我慢した。

 自分がもっと子供じみていればそうしたかもしれない。

 だが、分かってしまう。

 この男や、母が望む答え。

 そして自分の身を守るために、どう答えるべきか、が。


「はい! とても嬉しいです!」


 ただその分、ヴァンを裏切らなければならない事に、心が削られたような気がした。


 目の前の二人は、満足そうに笑っていた。








「よくやったわ、エミリア。いい? アルベルトに気に入られなければダメよ」


 王子が去ったあと、母は満足そうだった。

 自分の態度は及第点だった、という事だろう。

 その後、母は『計画』とやらを説明した。


「本当はアルベルトとあの時に結婚できてれば良かったんだけどね。そうすればもっと早く教会の影響力を高められた。いつも言っているように、お母さんはね、この国は教会が治めるべきだと思っているの」


 そう、母は常々言っている。

 母の行動は全て『教会の権威を高める事』に集約されている。

 魔王との戦いに赴いたのも、アルベルトの愛人となり、将来はその第二夫人に収まろうと画策するのも、全てはその為なのだろう。


「いい? 将来私がこの国の実質的な女王になってみせる。そのあとを継ぐのはエミリア、あなたよ」


 また母は答えを強制してきた。

 望む答えじゃなければ、母は酷く癇癪を起こし、エミリアを責め立てる。


「うん、お母さん。私立派な女王になる!」

「ふふふ、エミリアは本当にいい娘ね」


 意志を消して人形になる事が、ヴァンがいない家で身に付けた、エミリアの護身術だった。





◇◆◇◆◇◆◇◆


 そして今日。

 とうとうこの日が来てしまった。


 ヴァンは城に赴くという。

 家族の裏切りにまだ気づいてない父だが、流石に城に行き、そこで母の噂を聞けばバレてしまうだろう。

 今まで城から使者を派遣し、ヴァンをそこから遠ざけていた事はエミリアも知っている。

 破局を避ける方法はある。

 エミリアがわがままを言い、ここに足止めし、ヴァンを城に向かわせない。

 そうすれば、もう少しだけこの偽りの家族が維持できる。


 ──だが。


 こんな家に、ヴァンを縛り付けてはいけない。

 もうその覚悟はできている。

 だからこそ、一年前からヴァンに嫌われるような言動を繰り返したのだから。

 父が心置きなく、ここを去れるように⋯⋯。


 最後に思わぬ楽しい時間があった。

 ヴァンと魔法について話す。

 エミリアが一番好きな時間だ。


 ヴァンを見送る時、エミリアは思った。


 もう、パパはここに戻って来ないかもしれない。



 しばらくして脱衣所に向かった。

 慌てて着替えたのか、ヴァンの旅装は籠からはみ出していた。

 エミリアはヴァンの匂いが嫌いではない、むしろ、嗅ぐと安心する。

 父は元々体臭が薄いが、流石に長く身に付けていたであろう旅装からは彼の匂いがした。


 その匂いとともに、ヴァンとの思い出が溢れてきた。

 同じように、エミリアの瞳から涙が溢れた。


「パパ、ひどい、事ばっかり言って、ごめんなさい⋯⋯悪い子で、ごめんなさい⋯⋯」


 その日も母は帰って来なかった。

 だからエミリアは、遠慮する事なく、一晩泣き続けた。

 


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