第10話 投獄

 確か、八歳になってすぐの頃だった。

 あの日、俺は勇気を総動員してバーンズ老に言った。

 魔法の実技をこなし、褒められ、頭を撫でられ。

 その勢いで、言ったのだ。


「お⋯⋯お父さんの、教え方が、上手だから⋯⋯」


 『師匠』。

 それがバーンズ老の呼び方だった。

 だが、捨て子だった俺を育ててくれた二人、バーンズ老と元帝国騎士カルナックを、父のように慕っていた。

 バーンズ老は俺の言葉に一瞬驚いた様子だったが、気を取り直したように真顔に戻り、言った。


「ヴァン、私は君の父じゃない。そんな呼び方をしてはいけない」

「⋯⋯はい、すみません、師匠」

「カルナックにもだ。いいね?」

「⋯⋯はい」


 声を荒げた訳ではない。

 だが、キッパリとした拒絶だった。

 変な呼び方をして、もしかしたらガッカリさせてしまったかも知れない。

 もう、バーンズ老をガッカリさせたくない。

 だから二度と父とは呼ぶまいと思った。




◇◆◇◆◇◆



 鼻をつく、すえた匂いで目が覚めた。

 気を失う直前の事を思い出し、匂いの正体が分かった。

 まさか自分が吐いた汚物の中に顔を埋めるハメにるとは。

 まあ、戦闘中はモンスターの臓物にまみれる事もある。

 そう考えれば、大したことでもない。


 しかし『場所の記憶を覗く魔法』の思わぬ副作用だ。

 情報が一気に流れ込んでくるため、感情の処理が追い付かない。

 今まで何度か凄惨な現場を調査した事があるが、こんなショックを受けたのは初めてだ。


 人の生き死にに慣れ過ぎてしまっていた、と思う。


 とはいえ気を失ったのは僥倖だったかも知れない。

 もしあのまま意識を保っていたら──俺はたぶんあの場で二人を殺しただろう。


 周囲を確認すると、どうやら牢に入れられているようだ。

 鉄格子の前に見張りの兵がいる。

 冷たい床に転がされていたせいか身体が痛い。

 こんな所はいつでも抜け出せるが、しばらくは大人しくしておこう。

 取りあえず身体を起こすと、その気配を察したのか兵士が振り向き、声を掛けてきた。


「目覚められましたか、ヴァン様」

「ああ。あまり良い寝起きとは言えないが」

「その⋯⋯身体を拭いたりできず申し訳ありません。殿下からそのままにしておけとキツく命じられておりまして、その」

「ああ、構わない。あと俺に変に丁寧に接するな、君の立場が悪くなるかもしれない。他の囚人と同様に扱ってくれ」

「わかりま⋯⋯いや、わかった。そのようにしよう。目覚めたら殿下に報告する手筈になっている、今しばらく待て」


 看守はそのまま牢の前を離れた。

 報告するという事は、奴がここに来るのだろう。

 まずはこの間に顔を洗うか。

 手を器のようにして、水の魔法で満たそうとするが⋯⋯魔法は発動しなかった。

 いまさらだが天井を見上げると、魔法陣が刻まれていた。

 

「ああ、魔力を抑える仕組みになっているな」


 魔法使い専用の牢獄だな。

 まあ、解錠の魔法を使用されたら脱獄し放題だし。

 ただ魔法陣の内容を見るに、どうやら魔法自体を封じる訳ではなく、あくまでも魔力の出力を一定量抑える仕組みのようだ。

 再度魔法を準備し、今度はより出力を上げる。

 魔法は問題なく発動し、手の器を満たした──タイミングで待ち人が来た。


 アルベルトはまず俺の手を見て、次に天井を見上げた。

 そのまま天井を指差しながら看守に尋ねる。


「あれは機能しているのか?」

「はい、ここに入れる前に別の魔法使いが確認しています」

「なら、あいつが手にしている水はお前が?」

「いえ! 何も与えていません!」

「ちっ⋯⋯相変わらずの化け物か。ここはいい、ヴァンと二人で話す」

「⋯⋯はい」


 二人のやり取りを聞きながら、俺はせっかく用意した水が零れる前に顔にかけ、袖で拭う。

 兵士がいなくなったタイミングで、俺から声を掛けた。


「王子様に会うんだ、おめかししとかないとな」

「ふん、心にも無い事を」

「当たり前だ、裏切り者が」


 俺が睨み付けると⋯⋯アルベルトは愉快そうに笑みを浮かべた。


「裏切り者はお前だろ? 魔王軍の残党と内通するとはなぁ?」

「⋯⋯何の話だ?」

「お前の罪の話だよ」

「はっ?」


 俺の罪?

 王族への居住区への侵入⋯⋯大したことないとまでは言わないが、いままでの俺の功績を考えれば、陛下なら不問にする可能性もある、その程度の認識だが⋯⋯。

 アルベルトの笑みはさらに口角を上げ、皮肉げに言った。


「ガルフォーネ⋯⋯に籠絡され、俺を暗殺に来た。王子暗殺と国家転覆の画策、それがお前の罪だよ、ヴァン」



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