第4話 妻は聖女

 魔王を倒した褒美で貰ったこの家。

 外観はちょっとした貴族の屋敷みたいだ。

 とはいえ、メイドや執事を雇っている訳でもなく、家族三人で住むにはやや広い。

 

 最近家に入るのに、少し勇気が必要だ。

 他人の家を訪ねるような⋯⋯大袈裟に言えば、ダンジョンの攻略をする前の心境のような。


 いや、敵を殺せば解決するダンジョンとは違う。

 家族との人間関係は、常に試行錯誤が必要だ。

 などと考えるのは、流石に二人に失礼かもしれない。

 ただ一つ言えるのは、ここで夜通し突っ立っていても、解決なんてしないって事だ。

 それで解決するなら、それこそ何日ここに立たされても構わないんだがな。

 くだらない考えを止め、中に入る。




 リビングではカミラが寛いでいた。

 

「ただいま」

「お帰りなさい、あなた⋯⋯あら、私が掃除している間にお酒を飲んで来たの? 良いご身分だこと」

「あ、うん、いや」

「まあたまの休日だものね。いいのよ」


 ⋯⋯なら、先にイヤミを言わなくても、と思うが。

 どうせ口では敵わない。

 違う話をしよう、何か話題はないだろうか。

 部屋を見回しても妻だけで、娘はいない。


「エミリアは? まだ寝るには早い時間だろう? もう自分の部屋に?」


 俺が聞くと、カミラはため息を吐いた。


「エミリアなら、今晩は教会にお泊まりよ。前に言ったわよね?」

「⋯⋯あ」


 そう言えば⋯⋯前回の仕事へ向かう前にそんなことを聞いた、気がする。

 出掛ける間際のバタバタした時だったのですっかり忘れていた。


「もう、いつもそうじゃない。本当にあなたは、私やエミリアの話をちゃんと聞いてないのね」

「いや⋯⋯ごめん、もうしな⋯⋯」

「もう、同じことで何度も謝られてるけど? その度に言ってるわよね、もうしない、って」

「⋯⋯ごめん」

「いいわ。もう、諦めてるから」


 もちろん俺にも言い分はあった。

 何も仕事に出掛ける間際の、既に依頼の事で頭が一杯の状態で聞いたことくらい、抜けても、と。

 だが、どうせ言い訳するなんて、と返されるに決まっている。

 それに、いくら正当化したところで、結局妻の言葉を聞き流したのは俺なのだ。


 だから俺はそのままカミラの横に座り、彼女の膝に置かれた手の上に、自分の手を重ねた。


「本当にごめん。君をガッカリさせてばかりで」

「いいって言ってるでしょ。そのくらい仕事に打ち込んでくれてる、って好意的に解釈してますから」


 もっと色々言われる事を覚悟していたが、あっさりと許された。

 機嫌が良いのだろうか? とにかく安心した。


 そのまま、妻の顔を眺める。

 知り合ってから12年。

 今年28歳となった今も、相変わらず美しい。

 プロポーションは知り合った当時と変わらず、メリハリがしっかりと⋯⋯。


 エミリアは留守、か。


 俺には幾つか、家庭に対する悩み事がある。

 そのうちの一つを、できれば、早急に解決したい。

 酔いも手伝って⋯⋯俺はカミラに勇気を振り絞って、気持ちを伝える事にした。


「なぁ、カミラ」

「なに?」

「その、エミリアもそれなりに大きくなったし⋯⋯」

「そうね」

「そろそろ、次の子の事も考えても⋯⋯」


 俺がそこまで言うと、カミラは重ねているのと反対の手で俺の手を掴み、そっと振り解いた。


「もう、酔って何を言ってるの? その件は何度も話し合ったでしょう?」


 カミラは特に声を荒げるわけでもなかった。

 ただ、彼女の全身からは強い拒絶が伝わってくる。


「⋯⋯そうだね、ごめん」

「アナタに⋯⋯その、我慢させてしまっている事は私なりに理解してるわ」

「⋯⋯」

「ただ、私は『聖女』として、みだりに姦淫かんいんに耽る訳にはいかないの」


 ⋯⋯姦淫、か。

 それについては何度も話したが⋯⋯カミラの強い貞操観念からすれば、男女で愛を確かめる事は『罪』らしい。

 エミリアを生んだのも、あくまで次代の聖女を育てるという義務的な意味合いだ、という事らしい。

 愛の結晶ではなく、妥協の産物と言われているみたいで俺としてはツラいのだが。

 埋まらない価値観で、口論しても詮無いことだ。


「ああ、そうだね。ごめん⋯⋯その、もう寝るよ。明日も早いし」

「⋯⋯ええ。おやすみなさい」


 気まずい雰囲気に耐えられず、立ち上がる。

 そのまま居間を出て一人寝室へと向かおうとすると⋯⋯。


「ヴァン」

「ん?」

「その、あなたが無理して家族の時間を作ろうとしてくれてるのはわかるわ、ありがとう」

「⋯⋯あ、ああ!」

「でも、そのせいであなたが焦って怪我をしたりしないか心配なの。私達の事は気にせず、自分のペースでお仕事してね?」

「う、うん!」

「今回はどのくらいかかりそう?」

「そうだな、5日もあれば⋯⋯」

「ほらまた。今回行くのは国境付近にある廃城なんでしょ? そんな無理しないの。一週間くらいかける気持ちでちょうどいいと思うわ?」

「⋯⋯うん、ありがとう。じゃあおやすみ」

「うん、おやすみなさいヴァン」


 思いがけない妻の優しい言葉に、少しだけ胸が軽くなる。

 だがいざベッドに入ると、まだ冷たいその感触に、心も再び冷えた気がした。




 ──妻とは、娘を授かって以来『夫婦の営み』がない。

 俺は捨て子だった事もあり、兄弟というものに憧れがあった。

 だから、エミリアにも弟か妹が欲しかったのだが⋯⋯。

 こんな広い屋敷に、たった三人の家族。

 正直俺には持て余してしまっている。

 

「まあ、それも俺の我が儘⋯⋯か」


 少しやり切れない思いを抱えながらも⋯⋯俺の戦士としての本能が、無理やり身体を休ませる事を選び、すぐに入眠した。



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