第3話 救国の勇者

 酒場を出た頃には日が暮れていた。

 戻った時に酒臭いと、またエミリアに何か言われかねないと考え、少し酔いを醒ますために街中を歩く事にした。

 

「弱いのに、調子に乗って飲み過ぎたな⋯⋯全く、マスターも商売上手だ⋯⋯」


 何の罪もないマスターに、自分の失態を責任転嫁してみる。

 家の場所がわからないほど酩酊しているわけでもなく、しばらくして足は自然と家に向かう。

 酔いは醒めつつあったが、比例して気が重くなっていく。


 ドン。


 上の空だったせいか、人にぶつかってしまった。

 視線を落とすと、俺の足元に少女が転んでいた。

 エミリアとそれほど変わらない年齢だろう。


「あーっ、ほら! 前を見ないから! すみません、娘が⋯⋯」


 若い夫婦⋯⋯といっても、俺とそれほど変わらないが⋯⋯が慌てて駆け寄ってきた。

 俺は少女に手を差し伸べて立ち上がらせ、意識的に笑みを浮かべた。


「いえ、大丈夫ですよ。こちらこそ不注意で⋯⋯お嬢ちゃん、怪我はないかい?」

「うん! 大丈夫!」

「良かった」


 お尻をパンパンとはたきながら笑顔を浮かべる少女を、俺が微笑ましく眺めていると⋯⋯。


「あの⋯⋯もしかして、ヴァン様⋯⋯ですか?」


 少女の父親がおずおずと問いかけてくる。

 俺は酔いを誤魔化すように、少し背筋を伸ばして答えた。


「はい、そうです」

「ああ、やっぱり!」


 俺たち二人のやり取りを聞いていた少女は、キョトンとした顔で尋ねた。


「偉い人なのー?」

「ああ! いつも話してる『勇者様』だよ! この方のお陰でこの国は平和なんだ!」

「わたし知ってる! 魔王を倒した人だ!」

「そうだよ! この人が『救国の勇者様』なんだ!」


 興奮気味に話す父親を見ながら、俺は内心で苦笑を浮かべた。



 この父親が言うように、俺の二つ名は『救国の勇者』。

 かつて魔王を封印した、『四英雄』と呼ばれる者たち。

 そのひとりが俺、ヴァン・イスミールだ。


「もう、あなた。ヴァン様がお困りですよ」


 母親がたしなめながら、こちらに頭を下げてくる。

 俺は手を振りながら彼女に答えた。


「いえ、良いんですよ」

「本当に⋯⋯でも、いつもあなたの事を話してるのです。大目に見てあげてください」


 妻の言葉に、夫から抗議の声が上がった。


「き、きみだって、いつもお二人の話をしてるじゃないか!」

「それは仕方ありませんわ。ヴァン様とカミラ様の結婚式は、この国の女性全員の憧れですもの。美男美女、お似合いの二人が王家に祝福されながら永久とわの愛を誓う⋯⋯まるで物語のようですもの」


 うっとりとした表情で語る女性。

 ⋯⋯むしろ先ほど『勇者様』と父親が興奮したことより気まずいのだが。



 魔王討伐の旅で知り合った、同じく『四英雄』のひとり、聖女カミラを妻として結婚したのが十一年前、まだお互い十代だった。


 カミラは国一番と評される美貌の持ち主で、俺たち二人の結婚は国を挙げて祝福された。

 今でも国の語り草だ。



 その後夫婦は何度か頭を下げたのち、両脇から少女の手を繋ぎながら去った。

 しばらくその背後を視線で追う。

 少女はニコニコと、両親それぞれに顔を向けながら笑みを浮かべていた。

 楽しそうに話す三人の後ろ姿に、今の自分が抱えている心境からか、少し惨めな感情を覚える。


 正直、彼らは俺なんかより幸せに見えた。




 世間で俺の評価は高い。

 剣と魔法、両方の頂点に立っていると評される事もある⋯⋯実際、成人してからは1対1なら、魔法であれ、剣であれ、今まで誰にも負けた事はない。


 過去の功績を買われ、今でも国内に現れた強力なモンスターや魔王軍の残党狩り、他国との小競り合いなどの対処に優先的に指名され、その期待に応えようと各地を駆けずり回っている。

 そして、依頼人に満足して貰えるだけの結果を残し続けている、という自負はある。

 ただそれは、家族と過ごす時間を犠牲にして得た評価だ。




 俺が今手にしているもの。

 充実した仕事と、それに見合う報酬、名誉。

 最近はちょっと生意気だけど、可愛い娘と美しい妻。


 他人から見れば、順風満帆と言える人生なのかもしれない。

 今、俺が抱えている悩みなんて、贅沢なのかもしれない。

 だが当事者にしてみれば、羨ましいだの、英雄だなんだってのは他人の評価。

 他人から良く見られたからって、俺自身が幸せになるわけじゃない。


 実際の俺は、妻や娘の機嫌も上手く取れず、家庭での振る舞いも覚束ないダメ男でしかない。


「⋯⋯帰るか」


 ひとり呟き、歩みを再開する。


 結婚当初、家に帰るのがこんなに億劫になるとは想像もしていなかった。


「何でだろうな、まあ、俺が悪いのだろう」


 俺は『家族』という関係性への理解が浅い、という自覚がある。

 孤児だった俺は幼少期に、師であるバーンズ老に拾われ、彼と、彼に仕える執事に育てられた。


 バーンズ老には魔法を、元帝国騎士の執事に剣と学問を叩き込まれ、厳しく育てられた。


 俺は二人を家族だと思っているが、彼らからは何か一線を引かれているように感じていた。

 二人とも無駄話をするタイプではなかったので、必要最低限の会話しかなかった。

 エミリアと楽しそうに談笑するバーンズ老を見たときは、軽く娘に嫉妬したもんだ。


 俺の生い立ちが違っていれば、家庭の長として、もう少しうまく振る舞えたのだろうか。


「まあ、無い物ねだりしても仕方ない、か」


 思わず独りごち、首を振る。

 二人が子供の頃から俺に厳しい躾を施し、教育の機会を与えてくれたからこそ、魔王討伐のパーティーに参加し、カミラと出逢い、夫婦になり、可愛い娘が生まれたのだ。

 別の生い立ちまで想像し、あれもこれも望むのは贅沢というものだろう。


 考え事をしていると、家に着いた。





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