海の空、束の間の雫②
「それでは」
「えっあのちょっと!?」
それだけ言い残すと、俺を連れてきた彼女はあっという間に何処かへと跳んでいってしまった。
「……」
後に残された俺は色んな意味で置いてけぼり。
呆然と過ぎ去った方向を眺めることしかできず、ひとまず神社周りを探索してみようかなとゆっくり立ち上がる。
『あの』
「ポゥ!?」
流石に誰もいないと確信していただけに話しかけられて文字通り心臓が跳ね、更に歩きながら下がれそうな人みたいな声を出してしまう。
逸る鼓動を抑えようと両手を胸に押し当てたまま振り向く。すると、そこには…!
『貴方、もしかして紳人くん?』
「えっ…どうしてそれを」
青白い燐光を放つ40代くらいの女性が、茶髪を揺らし柔和な微笑みを浮かべて背後に立っていた。
『ふふ、ごめんなさい。あの方たちったら…ただ貴方とお話ししたいって言っただけなのに』
「……色々気になることはありますけれど、とりあえず。俺は神守紳人、貴女の名前は?」
『あら、礼儀正しいのね♪』
くすくすと楽しげに笑うと、こほんと咳払いを挟んで彼女は名前を教えてくれた。
『私は妙。これでも昔、旅館で女将をしていたのよ』
「た、妙さん!?貴女が!?」
驚きのあまり軽く体が仰け反ると、ゆらりと彼女の輪郭が炎のように揺らめく。
すぐに元に戻ったものの、先程まで真白色の服を着ていたはずの彼女はいつの間にか綺麗な紫色を基調とした花柄の着物を纏っている。
間違いない。彼女は、彼と一緒にあの旅館で過ごしていた人物。
そう…。
「マノトのこと、覚えてらっしゃいますか…!」
『えぇ、えぇ。一日とも忘れたことはありません。本当に、彼に会ったことがあるんですね』
「会ったどころか、泊まりに行ったらお手伝いさせてもらいましたよ」
『そうですか…彼はまだ、あの旅館に』
遠い目をして、夜空の海を眺める妙さん。
彼女はぎゅっと思い出を抱き締めるように、胸の前で手を握る。
その目は今、視線の先に浮かぶ月を見ているのだろうか。
その心は今も、同じ月を見ているであろうマノトのことを想っているだろうか。
"今…彼に会いたいですか"
聞いてみたい。寿命という避けられない別れを経て尚、忘れることはないほどに想う彼女にこそ俺は聞きたい。
でも。
何だか今の妙さんはとても儚くて、寂しくて。
邪魔をすることだけはしたくなかった。
『…ありがとう、紳人くん。人間が神様と共に夜の食国に来たと聞いて、もしかしたらマノトの話も聞けるかもと思ったの。
聞かせてくれて、嬉しかったわ』
「そうだったんですね…」
やがてふと此方に向き直った彼女は、とても晴れやかな笑顔をしていた。
以前ヨミと彼処を歩いた時噂になったんだろう。だから、神様に繋がりがあるならもしかしたらマノトともと話を聞いてみたくなった訳だ。
何て一途な…素敵な愛なのか。
「でも、それなら夜の食国で聞いてくれたら良かったのに!素直に答えましたよ?」
それが眩しくてつい、俺は軽口を溢す。
『私もそう言ったのですがね?話を聞いてくださったツクヨミ様が、此処で待っていてくれと私をお連れしたのですよ』
「ツクヨミが…?」
『あの方たちも、不思議な神様ですね』
妙さんが面白そうに口元を手で隠して笑うのと対照的に、俺は顎に手を当てて考え込んでしまった。
ただ妙さんと俺が話すのを叶えるだけならば、こんなことをする必要はないはず。
一体、彼女たちは何をしようとしている…?
ざわつく俺の心を映し出すように、夜空の海が微かに揺らめくのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます